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「高齢者施設内での転倒事故について」 神戸地裁での判決(2022.10)から 【介護現場から考え始めたこと②】

 2022年11月1日、神戸地裁で、病院内での看護中の転倒事故に対して、家族が病院の事業主である県へ損害賠償を求めた訴訟の判決がありました。

 この判決は、高齢者施設で介護職を務めるワーカーにとって、考えさせられることが多い内容でした。

 まず、事故の内容と判決内容のあらましを把握するために、①新聞記事と②その要約を下記に貼り付けます

①新聞記事
<入院中の認知症患者が廊下で転倒、重い障害「転倒の恐れ予見できた」 県に532万円の支払い命令>
 兵庫県立西宮病院で2016年、認知症患者の男性=当時(87)=が廊下で転倒して重い障害を負ったのは、看護師が転倒を防ぐ対応を怠ったためとして、男性の家族が兵庫県に約2575万円の損害賠償を求めた訴訟の判決が1日、神戸地裁であった。高松宏之裁判長は「転倒する恐れが高いことは予見できた」などとして、約532万円の支払いを命じた。
 判決によると、男性は16年4月2日早朝、看護師に付き添われトイレに入った。看護師は男性が用を足す間に、別室患者に呼び出されて排便介助に対応。男性はその間にトイレを出て廊下を1人で歩き、転倒して外傷性くも膜下出血と頭蓋骨骨折のけがを負った。男性は2年後、心不全で亡くなった。
 男性の家族は、けがによる入院生活の継続で男性は完全な寝たきり状態となり、両手足の機能全廃になったと訴えていた。一方で県側は、別室患者は感染症を患っており、排便の介助を急いだことはやむを得ないなどと主張していた。
 高松裁判長は判決で、認知症の男性から目を離せば、勝手にトイレを出て転倒する可能性が高いことが「十分に予見できた」と認定した。また、男性の状態と、別室患者がおむつに排便すれば問題がなかった状況などを比べ「優先しなければならなかったとは認められない」と指摘。男性は事故で寝たきりとなり、認知症が進んで両手足の機能全廃に至ったと認めた。
 一方で、男性の年齢や、事故以前からの認知症も影響している点などを考慮し、損害金額を算出した。
【神戸新聞 2022年11月1日】より引用

②新聞記事の要約
<新聞記事の簡単な要約>
病院内で、認知症のある男性患者がトイレで排便している間、看護師が別室の患者の排便対応をしていたところ、トイレにいた方の男性患者がトイレを出て転倒。外傷性くも膜下出血と頭がい骨骨折し、2年後に心不全で亡くなったというものです。
遺族が病院を運営する兵庫県を相手に裁判を起こし、病院側の過失を認め、532万円の支払い命令を行ったというニュースです。
裁判長は判決の中で、「別室患者がオムツに排便すれば問題がなかった」と発言をしています。
【介護福祉ブログコミュニティ/ヘルパータウン】より引用

これは、「兵庫県立病院」で起きた「看護師」が関わった事故に対して、地方裁判所の判決で「兵庫県」に賠償命令が出たことを伝える記事ですが、「兵庫県立病院」を「民間高齢者施設」、「患者」を「利用者さん」、「看護師」を「介護職」、「兵庫県」を「高齢者施設事業者」に置き換えると、そのまま高齢者施設の介護職がしょっちゅう直面している状況に似てきます。

家族からの損害賠償金の訴えは、管理責任や支払い能力を考慮して、多くの場合施設の事業者(この場合は兵庫県)に対してあります。ただ、民間高齢者施設の場合は、民間高齢者施設事業者から事故の当事者である介護職に対して業務上の過失による損害賠償を訴えることもあります。

即ち、家族への損害賠償金の一部あるいは全額に近い額を事故当事者である介護職は、雇用先である高齢者施設事業者に支払うことになる可能性があるわけです。

「兵庫県立病院」 ⇒ 「民間高齢者施設」
「患者」     ⇒ 「利用者さん」
「看護師」    ⇒ 「介護職」
「兵庫県」    ⇒ 「民間高齢者施設事業者」

上記に置き換えて、この判決内容の状況を介護職の視点で検討してみます。

現実の介護は、利用者さんの個々の条件状況に合わせた個別対応であり、どの利用者さんへも同じ介護をするという介護はありません、という当たり前のことを前提にします。また、病院は、病気治癒の場であり、高齢者施設は、生活の場であることも踏まえておきます。

今回の場合の与件から、状況を見てみましょう。
①時間帯 早朝
  ⇒ 人員がいない。応援を頼める職員がいない。職員ひとりで対応に動かざるをえない。
②認知症のある利用者が排便中(要約による) 
      ⇒ 便座に座っているということは、立ち上がりさえなければ、トイレ目指して立ち上がり移動しようとしているよりも安定した状態といえる
③別室患者に呼び出された=別室からコールがあった
 ⇒ コールがある以上助けを求められている状態

転倒の恐れのある認知症の利用者さんのトイレ介助の最中に別室からコールが鳴ったとき、次に取るべき行動は何か、ということが問題になってきます。

次の行動を絞るとふたつになります。
1.現在介助中の作業を終えてから、別室に向かう
2.現在の介助を中断して、すぐに、別室に向かう

と書くと、二者択一に整理されてしまいますが、実際は、もっと大きな前提があります。

現在介助中の利用者さんは、どんな状態のひとか?同じく、コールしている別室の利用者さんはどんな状態の人か?

どんな人というのは、認知症の進み具合、ADLの状態、ふだんの性行はどうなのかということです。

もし、私が夜勤あるいは早番で同じ状況になった場合、まず、コールを鳴らした別室の利用者さんは、どんな人で、なぜ今コールしたか、何の介助を求めているかを想像します。同時に、別室の利用者は、私が傍に行くまで待っていてくれる人か、待たずに自分のやりたいことを始めてしまう、例えば転倒の恐れがあるのに立ち上がってしまう人か?によって、すぐに別室に駆けつけるか、目の前のトイレ介助を終えてから別室へ向かうかを瞬間的に判断するでしょう。

また、新聞記事では、別室からの呼び出しがコールだったかはわかりませんが、この場合は別室から距離がありそうなことを考えるとコールの確立が高そうです。

コールでもナースコールか、センサーコールか、がわかりませんが、これはとても重要なポイントです。

ナースコール
センサーマット


ナースコールは、利用者が介護職員を呼ぶための装置で、スイッチを押すと介護職員の携帯するピッチが鳴ります。私の勤務している介護付有料老人ホームでは、利用者のベッドに必ず設置されています。
センサーコールは利用者が危険な行動(立ち上がれない人が立ち上がろうとするなど)を行うときに、センサーが感知して、介護職のピッチが鳴ります。ベッドから自力で立ち上がり、立位が不安定で転倒の恐れがある利用者さんにセンサーマットとしてセットされることが多いです。

ナースコールのスイッチを押して職員を呼ぶ利用者さんは、自分に転倒の恐れがあり、介助が必要なことを自覚しており、自分から解除無で転倒の恐れのある行動に移ることはほとんどありません。
転倒の恐れがあることをあまり自覚しておらず、しかも、ナースコールを押さない利用者さんには、ベッドわき下にセンサーマットをセットします。このセンサーが鳴ることは、ベッドに腰かけ立ち上がろうとしているのか、既に立ち上がっているのか、いずれにしろ転倒の恐れが高い状態になっていることが推測されます。

別室からナースコールを鳴らしている利用者さんでしたら、コール越しにそのまま待つことをお願いして、目の前の利用者さんの安全を確保してからゆきます。

しかし、別室の利用者に転倒の恐れがあり、しかもセンサーマットからのコールだったら、目の前の利用者さんは便座に座っていて安定した姿勢なので、まず、別室の利用者さんの状態をともかく急いで見に行き、そこで、どちらを優先するかの判断をすることになりそうです。

センサーコールを鳴らしている利用者さんの安全を確保するために、ベッドに戻す(オムツならば余計に)か、トイレに行くことを止められないなら便座に座っていただき、前の利用者さんにいったん戻ります。もっと安全性を確実にする必要があるならば、センサーコールした利用者さんを車いすに乗せて、元の利用者さんの居室へ同伴し、もとの介助の続きをおこないます。以上は、ひとりでしか対応できない場合で、余裕あれば、もうひとりの介助者を呼びます。
ここで判決に至る裁判の仕組みをさらってみます。

①結果(転倒事故)の②原因(看護師の不在による転倒者の独歩)を調べ、結果と原因に③因果関係があることを証明し、そこに④過失があるかを判断します。
因果関係があることはすぐにわかりますが、そこに過失があるかどうかについては、今回の件では、「予見可能性」と「結果回避義務」によって判断されました。

・便座に座っている利用者さんが看護師がそこを離れた場合にひとりで立ちあがり歩き出し転倒する可能性があることを看護師自身が予見できる立場にあった。

・転倒するという結果を予見しながらも、それを回避する義務を怠った。

この2点で過失という判断になりました。即ち、この事故は、「防げる事故=防ぐべき事故」であって、「防げない事故」ではなかった、ということです。

裁判長は、別室からコールがあった患者に対して、「別室患者がオムツに排便すれば問題がなかった」と発言しています。
別室からコールした利用者さんが、オムツをしていることはこれでわかりました。

しかし、引用した文章では、
①別室の患者は、自力で立ちあがり歩き出すなどの転倒のある恐れがある行動はするひとか、しないひとか、がわかりません。。
②別室の患者は、オムツになかに排泄することに頓着しない人なんでしょうか。ふつう、そんな人ならば、自分でオムツに排泄してナースコールはしません。

先に書いたように、この別室の方からは、コールがあったということは、何らかの介助を求めているわけで、トイレ介助ならまだしも、ひょっとしたら床にあるマットセンサーの上に既に倒れているかもしれないのに、見に行かなくても良いと裁判長は発言しています。
また、この人が排泄するときにオムツを外す人だったり、オムツ内の排せつ物が気持ち悪くてオムツを外す人だったりすると、排せつ物が居室に散らばる可能性もあります。早朝というひとの居ない忙しい時間帯に片付ける作業が一つ増えてしまいます。

この判決は、地方裁判所なので、これから高等裁判所、最高裁へと控訴上告することはできますので、司法による最終判断ではありませんが、介護職としては、同じ状況に遭遇することが多いので、記憶しておいたほうが良い判例でしょう。

日勤時間帯での同じような例では
車イスの利用者さんに便座に座ってもらっていたら、別室からセンサーコールがあり、駆けつける途中で他の介護職員に利用者さんが便座に座っていることを告げたにもかかわらず、他の職員がゆかず、便座から立ち上がり転倒して頭がい骨骨折で訴えられ、損害賠償というのもありました。

これは、明らかに「防げる=防ぐべき事故」であり、前の事例に比べると判決理由がわかりやすいですが、日常的に起こりやすい事例です。

今回の判決で介護職として思ったことは、
①介護対象である利用者さん個々の特性を心身ともに把握する。
②転倒の恐れのある利用者さんについての情報と対応のシミュレーションは、介護職で共有化する。
②利用者さん介助で、介護対象の優先順位をつける理由について、言語化する能力が、介護職に求められている。

こういう判例を読んでいると、介護職にはある程度以上の人間的な総合的な能力があるひとがならなければ、利用者さんや介護職同士のコミュニケーションが滞り、事故も起きるし、家族への説明不足での混乱もやまないとつくづく思います。

家族と施設との契約のなかでは、利用者さんへの「安全配慮義務」が重要視されます。
「安全配慮義務」ということばを家族がどのように受け止めどのように内容を理解しているかは、介護職にはわかりづらいところですが、ケアマネや施設長と相談し、家族の理解との齟齬がないように気を付けねばならないでしょう。

*家族と交わす安全配慮義務について
「介護事業者と利用者は介護サービス契約を締結しており、その介護サービスに付随するものとして、介護事業者は利用者の安全に配慮し、生命身体財産に損害を与えてはならないという義務が発生します。 これを安全配慮義務と言います。」


*介護職に対しての安全配慮義務について
労働契約法第5条は「使用者は、労働契約に伴い、労働者がその生命、身体等の安全を確保しつつ労働することができるよう、必要な配慮をするものとする。」と規定しており、労働契約における安全配慮義務を明文化しています。
具体的な事例としては、「長時間労働」「事業所内でのハラスメント」「介護事故、虐待対応などのアクシデント」「感染症への罹患」「介助中の怪我や病気」です。

*<介護事故のサイエンス>へのメモ
介護事故を科学的に検証し、再発を防ぐためのメモ書きノートです。
いろいろな文書を参考にしてます。


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