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神様の望まれる【低い心】とは?

「みなさんは英語を話せますか?」
 
 
 
 
あるテレビ番組でこんな調査をしていました。
 
 
 
 
日本人のほとんどは
 
「英語を話せません。」
 
と、答えます。
 
 
 
 
ほとんどの場合、日本人が
 
「英語を話せます。」
 
と、言えるかどうかのレベルは、
 
英語で日常会話が出来るかどうかが
 
基準になっているそうです。
 
 
 
 
一方で、アメリカ人に
 
「日本語を話せますか?」
 
と、質問をしてみたら、
 
 
 
 
ほとんどの方が、
 
「YES!」
 
と、答え、
 
「コンニチハ!」
 
と、言うそうです。
 
 
 
 
アメリカ人は、
 
「コンニチハ」が言えたら日本語が話せる。
 
という基準なんだそうです。
 
 
 
 
日本人に置き換えたら、
 
「ハロー!」と言えたら
 
英語が話せると言えることになるので、
 
なんだか違和感がありますよね。笑
 
 
 
 
この調査から、日本人は
 
めちゃくちゃ ”謙虚” であることが分かります。
 
 
 
 
お道では【低い心】が大切にされているように、
 
日本人の持つ謙虚さは誇るべきところですが、
 
 
 
 
一方で、日本人の”自己肯定感の低さ”が
 
現代では問題視されています。
 
 
 
 
現に、一時期の書店では、
 
自己肯定感の上げ方などの本が多く並び、
 
大変注目されていました。
 
 
 
 
謙虚な日本人は、
 
「自分なんて…」「自分にはできない…」
 
と、その謙虚さゆえに、
 
自信まで無くしているように感じます。
 
 
 
 
謙虚を通り越して自分を卑下しているんですね。
 
 
 
 
ここでもう一度改めて、
 
お道で言う【低い心】を考えてみたときに、
 
 
 
 
自分自身、一番納得しやすかったのが、
 
八つのほこりの一つ「こうまん」の
 
真逆の心でした。
 
 
 
 
「こうまん(高慢)」とは、
 
 
 
 
力もないのに自惚れ、威張り、富や地位を
 
かさに着て人を見下し、踏みつけにする。
 
また、頭の良いのを鼻にかけて人を侮り、
 
人の欠点を探す、あるいは知らないことを
 
知ったふりをするような心。
 
 
 
 
ですので、これの反対は、
 
 
 
 
力があってもうぬぼれず、威張らず、
 
高ぶらず、人を見下さない。
 
また、人をあなどったり欠点ばかり探さない。
 
知ったかぶりしない心。
 
 
 
 
となりますね。
 
 
 
 
また、「謙虚」を調べてみますと、
 
自分を偉いと思わず、素直に学ぶ気持ちがある。
 
へりくだって、つつましやかなこと。
 
と、出てきます。
 
 
 
 
偉そうにせず、他人を敬うのが、
 
謙虚で低い心。
 
 
 
 
言うなれば、
 
自身を上に見ず、他人を下に見ないのが謙虚。
 
自身を下に見るのは謙虚ではなく、
 
自虐のように感じます。
 
 
 
 
「自分にはできません。」
 
「自分なんてダメな人間です。」
 
というのは、謙虚なのではなく、
 
ただの自己否定、卑下している
 
だけのように感じます。
 
 
 
 
神様が全く同じ人間ばかりを創造せず、
 
一人一人に個性を付けたのは、
 
欠点や短所を見て、指摘し合ってほしいから
 
ではなく、
 
それぞれの長所を認めて活かし合って
 
ほしいからではないでしょうか。
 
 
 
 
他人を認める謙虚さを持ちながらも、
 
自分の長所を活かして人の役に立つ。
 
 
 
 
これこそが、神様が求められている人間
 
のように思います。
 
 
 
 
「自分には出来ない。」
 
と、考える前に、
 
「自分には何が出来るだろうか。」
 
と考え、長所を活かして行動することが
 
大切なんだと感じました。

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