時を戻そう
ひどく暑い、とか
いやに暑い、という日はそのあとにお天気が崩れるのが常なんだけれど
昨日から今日にかけてはこの気温差がヤバかった。んー、実際の気温はそんなでもないかもしれないけれどいわゆる『北風バーバー』で、海も何色って言えないような色だった。
海はいつもそこにあって、なにも変わらないじゃないかという人もいるけれど
職場ちかくの海はこの2年で埋め立てが進みどんどんちいさくなっており
しずかだった海はどこかで常に重機の音、工事の音がしていて
あの波の音以外なにも聞こえないしーんとした海はもう帰ってこないのだと思うと
いつまでもここでこうしてはいられない
という、どこからそういう発想になるのかわからないような思いが出てくる。
埋め立てがすすんだり、大きな橋がかかったりするとこのことはよく注目されるのだけど、ちいさな漁港にコンクリの桟橋がひとつ作られるだけでも潮の流れは変わる。
そういった人工物ができた直後というのはまあ魚が見えないし、もう二度とやってこないのではと思うけれども、波に洗われ、藻がつき、少しずつ魚は戻ってくる。
私は釣りはやらないから詳しくはないし、同じ種類の魚が同じ場所で引き続き釣れるかどうかはわからないけれど、
一時期はパッタリと消えたかのように思える『生き物の気配』は、戻ってくるのです。
島全体もそうなのかもしれない。
私が移住してきた頃の、
よそ者をやすやすと受け入れないような厳格な佇まいだった島はどこへやら。
今やあっちでもこっちでも重機、工事、伐採、掘削、あっという間に景色は変わり、よそ者が場所をわからないままでものを建て、むしろ大きな顔をしているように見える(イヤミで書いています)けれども
島のなつかしい空気はいずれ戻ってくるのかもしれない。
先日、たまたま同じくらいの時期に移住してこられた方とお会いする機会があったのだけれど、
なんというか『その頃の島を知っている者どうし』の『同士感』みたいなものが即座に生まれることに気づきました。
彼女と私の感じていることはやっぱり似ていて、
すっかり様変わりしてしまった。あの頃の良さはどこかへ行ってしまった。
こんなに便利にならなくて良かったのにね。夜が明るいってヘンだよね。人多すぎ、建物多すぎだよね。と話しながら
人と人とのつながり方も全然違ってきていることをあらためて思ったのです。
ART in YOUのご主人も私と移住時期が近く、マルシェを一緒に立ち上げたねえねえはさらにその十年以上前からの島をみてきている。ずっと変わらなかった島が、いわゆる島バブルの前と後でくっきりとわかれているのがわかる。
島に来るタイミングも理由も人それぞれだと思うけれど、そしてどれもが正解なのだろうけれど、
関わる人を意識することで、できることなら選ぶことで、ただそれだけで優しい時間や優しい風はすくなくとも私の世界には戻ってくるのかもしれない。排除ではなく、分断でもなく、そうする方法はきっとある。
どこへ身を置くのか。
誰とともにいるのか。
主体的でありたい。
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