祈り、意乗り

昨日は日曜日だったのに海の話を書かなかったのは、ワクチン接種を受けに行ったからです。

夫婦ふたり揃って、行ってきました。

なんだろうね。この、一瞬先のことはわからない感じ。行列なんてできないはずの(並ぶ習慣、待つ習慣がない)この島で、お行儀よく列ができていることの不思議。

案内してくれた人、ひとりひとりの手にアルコールスプレーをかける人、誘導の人、受付の人、その先の誘導の人、お医者さん、次の誘導の人、説明してくれた人、看護師さんと助手の人、具合はどうですかと聞いてくれた人、次回の説明をしてくれた人、予診票を回収する人、出口の案内の人、座っていた座席の消毒をする人、私が接種会場に着いてからお世話になった人が少なくともこれだけいます。
だけどきっとこの先どこかですれ違っても、ひとりとしてわからないでしょう。

昨日は接種の予約をしてから来た人だけでなく、思い立って来られたのか、どうにか時間の都合をつけて来られたのか、当日受付に並ばれる方が多くみえました。
みんなはどんな気持ちでいたのかな。どんな気持ちで受けに来たのかな。


私は接種を待つあいだ、そして経過をみるために用意された15分間、目を閉じて祈った。マスクなしで笑いあえる日。島ではあたりまえの、久しぶりに会った人と握手できる日。
閉まっていたシャッターがあがる。図書館があく。ランチに行ける、お茶しに行ける。
あらゆる『立入禁止』が解かれる日。
休止していたラジオ番組が再開する。大人もこどもも、みんながイキイキと輝いている。

コロナを経験したからこそ自然にできる思いやりや配慮がある。誰ひとり引きこもることなく、遠慮することなく好きなように好きなことをやれる。みんなが誰かのおかげで生きているし、私が生きていることが誰かの役にもたっている。

コロナをきっかけに変わってしまって、もうもとには戻らないことも、きっとあるのだと思う。それでもここは地球という美しい星で、私たちは創造力ゆたかな人間だ。

祈る。
意図をもって、この地球という球に乗る。

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