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手のひら先生の高麗手指鍼療法 40   東洋医学とは その2


前に書いたことと重なる部分があるかもしれませんが、悪しからずご容赦ください。

突然鍼灸学校に通いたいと考えたのが入学試験半年もない時でした。

取り敢えず生物学 国語 日本史の3科目を勉強し直さなければなりません。

20年来の大学受験勉強です。国語は勉強し直しても努力の割に、点数は伸びないのでせいぜい漢字問題を解きました。

日本史は習っていた当時と比べると、中身ががらりと変わっていました。少し問題集を解きましたが、分からないことばかりでした。

問題は生物学でした。

高校生の時はやっとワトソンのDNAらせん云々を習っていたのが、RNAの塩基配列がどうやらこうたら、この分野は日進月歩で進化していたのでした。

むかし聞いていた文化放送「旺文社の大学受験講座」のカセットテープ版を購入しました。

お蔭さまで生物は何とか満点近かったのですが、日本史は惨憺たる結果で得意のはずの国語は6割の出来でした。

発表までの間は落ちたかもしれないと眠れませんでした。来年は40歳、1年間の受験勉強は無理だなあと思って眠れないことが続きました。

合格していました。

入学して分かったことは、みんなの出来が悪かったので、入れたのかな?

入学してから考えたこと

入学することしか頭になかったので入学が決まって冷静になると、日々進化している医療の世界で二千年前の治療が何でいまも効果が出せるのか疑問が湧きました。

その時学者西丸震哉さんが「人間の生理と言うのは百万年単位ぐらいでないと変わらない」と仰った言葉で、たった二千年と言う短い時間ではツボなどは変わらないと納得しました。

ここから鍼灸生として,東洋医学への第1歩を歩み始めたのでした。

しかし基本の考え方になじむまでは、ほぼ1年はかかりました。

同級生の入学動機とは何

自分の入学動機は定年後の第二の人生に、ナンチャッテ鍼灸師になれればいいかな?というものでした。

夜間部33名の構成は、20歳前の生徒は6名ほど、20から30手前の生徒が10名ほどでしたか、最も多いのが30を超えて40手前の生徒で、40を超えていたのは私を含めて2人でした。

同級生の志望動機などは関係ないはずですが、なぜ鍼灸などに興味を持ったのだろうか気になりました。

特に高校卒業したての場合は気になりました。

医療系の資格をすでに持っているのにさらに学びに来ていることが疑問でしたが、後にこの世界を知ってから納得しました。

30歳前後の女性たちが多いのは納得しました。

何か資格をえてこれから生きていこうというのかなと個人的には思いました。

30後半の男性で鍼灸師になろうという彼らは、目的がはっきりしていました。

何年か準備をして受験をし、資格を取得して開業を描いていました。

合格の難易度はいろいろあるにしても、当時は第2次鍼灸ブームだとかで倍率は30倍近くあったと聞きました。

人それぞれ動機は違えど学ぶ熱気は熱いものがありました。

しかしどの世界も厳しいもので30人の生徒が10年後に開業できているのは、1クラスで1人と言うのが過去の実績なのです。そして優等賞を貰った生徒は開業できないというのも、ジンクスとして残っているようでした。

その現実を皆が知るのは半年もしないうちです。

残酷と言えば残酷なものです。どの世界でも同じでしょうが。

鍼灸学校制度変更が変わっていた

入学して初めて分かったのですが、それまで都道府県の資格だったものが国家資格になる元年だったことでした。

鍼灸師の社会的地位が低かったので、先輩たちは改善しようと運動をした成果が、鍼灸師資格が国家資格に変わったのでした。

な~んにも知りませんでした。

初めての国家試験であり生徒たちは未知の試験だったので、2年生以降は激動の学校生活でした。

専門学校になり先生は教員課程で学ばないと、教えることが出来なくなりました。

その過渡期でしたのでまだ昔の先生が(気の話や実際の治療の話を、担当の科目にかかわらずお話ししてくれることがありました)今の制度ではこのような体験を生徒はすることがあるのでしょうか。

先生の身分は講師

講師の先生方は出勤しない日は、自宅で治療を行っていました。

失敗の話もしていただきました。「このツボは肩こりに劇的に効くのだけれど、貧血を起こさせることがあるんだ。先生この鍼は~なんて言ったと思ったら、患者さんが貧血を起こしてしまったりしてね。特攻穴だけど、注意が必要だよ」

生徒にとっては貴重な話が聞けたのでした。

本校は昭和の鍼灸界を牽引された柳谷素霊さんが設立された学校でした。

先生は亡くなっていましたが、直接の教えを受けた先生が何人もいらっしゃいました。

その方たちの口からは良く「気」という言葉が吐かれました。

このことだけでも貴重な体験でした。

鍼灸師として一番大切なことは実践です。

教科書に書いてあることは基本が書いてあるだけで、治す方法までは書いてありません。

教科書に書いてあることをやれば何でも治せるなら、全員鍼灸師として卒業とともに独立できるはずなのです。

そううまくいっていないのは、単なる学校制度には東洋医学は適さないのかもしれません。

鍼灸師は気のパワー次第

鍼治療や按摩には気の修行が必要です。

しかし学校の制度の中ではこの気を修得することが出来ないからです。

患者さんにもこの「気」に付いて聞かれます。

確かに自分では意識したことがないのですが、気の体験をして気に敏感な方が来れれた時「先生の気はすごいですね」と言われたことがありました。

気について私が学び体験してきたことが参考になるなら、そのうちにご披露しましょう。

先生たちは後から気が付き分かって驚いたのですが、その世界では第一人者と呼ばれる方たちです。

鍼灸修行の期間に出会えたのは、幸運だったと後になり気が付いたのでした。

まとめ

1、知られているようで知らない鍼灸師の実際
2、道標のない職業
3、治療家一人一人の独自の治療法がある
4、気の大切さを学生時代に習わなければならない
5、鍼灸師の使う気のパワーは譲り受けることが早道


私のホームページはこちらです。「手のひら先生のリウマチ相談室」


次の本は「手のひら先生スタイルの高麗手指鍼療法」がどのようにして生まれたのかを書いたものです。
他の鍼灸書のようにこのツボを使えば治るというような本ではありません。手のひらのツボのことや治療法については
「高麗手指鍼講座」柳泰佑著 たにぐち書店 刊 日本語訳がありますのでご覧ください。鍼灸は見たり読んだりしても身につくものではありません。

一般の方には病気を治す鍼治療とはどういうものか理解できるように書いてあります。さらに私なりの簡単自律神経調整法を図解しております。

最後まで拙い文章をお読みいただきありがとうございました。感謝です!!

サポート頂いたら最先端の医学雑誌と、最先端の進化論本を購入し難病治療研究に役立てる予定です。