手のひら先生の高麗手指鍼療法 65   治療法解説の1


昨年「手のひら先生の高麗手指鍼療法」を出版しました。

20年以上前から学び始め自分なりに研究をしてきた集大成として、韓国で2年に1度行われている韓日学術大会で論文発表しました。

それを翌年に1か月でまとめたものを本にしました。

本当のことを言うと自分では消化して理解できていたのですが、一般の方も東洋医学関係の方でも理解は難しいまたは出来ないのではないかと危惧していました。

一言で表すと「メインテーマの鍼灸と進化論は関係あるのか?」という事です。

鍼灸学校では授業で学ばないし、卒業してもどこにもそのようなことを書いている本も文献も過去にもないからです。

ところが医療にも東洋医学にも関係ない方たちから、「素晴らしい」と評価を頂き自分でも医療関係でないからこそ、そこが評価されるのだと分かりました。

鍼灸と人間の進化論などが結びついているなんて、今まで誰も考えつかなかったことです。

確かに三木茂夫教授の「生命形態学」では人間がいかにして進化をしてきたかを説明されています。

受精卵が体内の38日間で4億年の進化の過程をたどって変化していることを説明されています。

しかしその歴史が体の中に記憶としてツボの記憶に残っていることは、今まで誰も書き著したことはありませんでした。

高麗手指鍼と言う特殊な鍼治療だったから、このようなことが分かったのでしょうか?

いやフランス人ポール・ノジェ博士がそのヒントを与えてくれました。

しかし彼は6つほど現れる位相(フェーズ)が何を意味しているのかまでは追求できなかったようです。

フェーズと言うのは体に電圧を変えて電流を流すと、同じ臓器のツボが様々な位置に出現するものを表したものです。

博士のご著書にはフェーズⅢ(スリー)まで、様々なツボが現れることが書かれています。

しかしそのツボをどのように使うか、運用と言うのですがそのことは書かれていません。

耳鍼をただまねた中国式ではフェーズの考え方もありません。

と言う分けでいかにして「手のひら先生の高麗手指鍼療法」が今までの鍼治療と違っているのかを説明しましょう。

そして今までそして今も治せない関節リウマチやパーキンソン病を治せるのか、今までの鍼がなぜそれらを治せないかを説明していきましょう。

ただnoteで毎回完結するようにまとめるのではなく、なるべく理解されるように私の言葉で伝わるように、時には同じことを繰り返すかもしれませんが、長~い読み物にしようと今は考えています。

関節リウマチを完治させるとか、パーキンソン病を治しただとかよくしただとか、ほんとかよとあなたは思いませんか?

「お前本当に治したのか?医者が治せないのに?」とか問いかけたくなりませんか?

身内でも「お前が良くなっているのは俺が治療したからだよ」と言うと「感謝してるよ」と言いながらもやはり何かというと病院に行くのですね。日本では仕方のないことですが。

自分も鍼灸師でなかったらそうするのかとも思います。

自分自身を大切にしようと思うなら、病院で検査を受け治療は東洋医学を上手に使うのが良いかなと思いますが。

それでは「手のひら先生の高麗手指鍼療法」のお話を簡単な歴史から始めましょう。

1、鍼治療の歴史

紀元前256年に書かれた「黄帝内経素問霊枢十八巻」が源典と言われています。

文字の成り立ちや文字が残されてきた歴史などを考えたり中国の歴史などを思いやれば、鍼の歴史は1万年ぐらいははあるのではないかと夢想するのですが。

中国の考古学はいま2千年ぐらいまでさかのぼったようなのです。

一時ヨーロッパアルプスの氷河の中から、アイスマンと呼ばれたミイラが完全な形で発見されました。

アイスマンの肌に刻まれた刺青が鍼灸で言うツボに合致するというので、5千年前のヨーロッパにも鍼灸があったという医師か鍼灸師がいました。

その後熱が冷めたのはそれ以外に鍼灸に関するものが、何一つ出土しなかったからでしょう。

私の考えでは、むしろ東西の交流が5千年以上前からあり、中国の鍼灸師がヨーロッパに来たかアイスマンが中国に行って治療を受けていた、そう考えた方が自然と思います。

そのように考えれば、鍼灸の歴史は紀元前五千年前には存在していたと言えます。

書物になっていたのが紀元前256年で麻王堆漢墓の遺跡から判明しました。

最古の国とされる夏国が発掘されて鍼灸の痕跡が見つかりました。

布に文字が残っていました。

夏国は紀元前二千年前までさかのぼれることになります。

ツボの位置と刺青 漢字で鍼治療が書き残されていた、などから夢想すれば鍼治療の最初は1万年前に芽生えていたのではないだろうか。

さて秦の始皇帝の行った「焚書坑儒」よって国中の本が焼かれてしまいましたが様々な方法で復刻がされました。

近年は台湾の故宮博物館と仁和寺所蔵の黄帝内経明堂と黄帝内経太素が原点に近いという事で、これから作られたものが標準図書になっているようです。

鍼灸治療が日本に伝えられたのは、仏教伝来と同時でした。

貴族のための医療であって、庶民が受けられるようになったのは江戸時代まで待たなければなりませんでした。

勿論今のような金属の鍼があったわけではありません。

治療はお灸と鋭い石の鍼で血を出す瀉血が主流であったと言われます。

紀元500年頃に漢方薬も使われるようになりました。

正確な歴史は分かりませんが、紀元前に奇跡のような治療を行う神医とよばれる治療家が出ます。

「中国医学の誕生」加納喜光著 東京大学出版会刊 では、これらの医師の技術から考えると、彼らはいまのトルコやイランあたりからギリシャ外科学を修めたものであろうと推測されています。

中国医学の歴史は長くそして東西医学の交流も含めて深いと考えます。

なぜ現在は西洋医学が正式の医療に位置し、医療類似行為と言う位置になっているのでしょうか。

次回は次の予定で説明いたしましょう。

2、韓国の鍼灸事情
3、韓国の鍼理論ほか
4、高麗手指鍼とは
5、韓国の医療状況


私のホームページはこちらです。「手のひら先生のリウマチ相談室」

次の本は「手のひら先生スタイルの高麗手指鍼療法」がどのようにして生まれたのかを書いたものです。
他の鍼灸書のようにこのツボを使えば治るというような本ではありません。手のひらのツボのことや治療法については
「高麗手指鍼講座」柳泰佑著 たにぐち書店 刊 日本語訳がありますのでご覧ください。鍼灸は見たり読んだりしても身につくものではありません。

サウンド・アキュパンキュチャは本の最後に数ページですが記述しております。

一般の方には病気を治す鍼治療とはどういうものか理解できるように書いてあります。さらに私なりの簡単自律神経調整法を図解しております。

最後まで拙い文章をお読みいただきありがとうございました。感謝いたします!!

サポート頂いたら最先端の医学雑誌と、最先端の進化論本を購入し難病治療研究に役立てる予定です。