働き方改革は免罪符になり得るか

働き始めて早数年。
ようやく仕事が何たるかを少しずつだが理解し始めた。
その中で、「やらなくても良いこと」と「面倒ではあるけど、やらなければならないこと」がある事も学んだ。

日本人は兎角働き過ぎである。
コレは自分自身が精神的に崩壊してしまった経験からも間違いなくそうだと思う。
「自分がやらなきゃ」「自分がやった方が早い」「周りに仕事を振るくらいなら自分でやってしまおう」
そんな考えから1人で何人分もの仕事を抱えてしまう人も多いだろう。

その多くことは「やらなくてもどうにかなりそうなこと」である。
しかし、それらを処理しないといけない(上から振られる)のもまた事実である。

そんな中、颯爽と現れたのが「働き方改革」である。
ムダ(だと思っていたこと)を極力省いていくことが正式に認められた方策であろう。

だが、この「働き方改革」を盾にして、最初に挙げた「面倒ではあるけど、やらなくてはならないこと」までもが、特に検討もなく排除されそうになっているという事実もある。

今日職場の会議でまさにその事に直面した。
「例年やっていた○○について、次年度からは無くそうと思います」
仕事の内容になるので詳細は明かせないが、確かにその仕事は毎年大きな負担となっていた。
だが、決して「やらなくても良いこと」とは言い切れない事でもあった。
そのおかげで外部から評価されている部分が多くあったことでもある。

実際にやめた場合のマイナスなど辞めてみなければ分からないことではある。
やめてみたけど特に何も変わらないということもあるだろう。

だが、仮にやめたとして、外部からの評価を得られずマイナスが大きくなってしまった場合にはどうするのか。
そのリスクヘッジが全くできていない。

面倒なのはやり方が悪いという見方もできる。
であれば、段階的に運用方法を検討しながら減らしていくという方法もあるはずだ。

働き方改革を全ての免罪符にするには少々心許ない。
やはり、面倒な仕事も方法を工夫しながら上手く回していく必要があるだろう。

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