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アパート日記7

二〇〇八年八月二十九日

私は五歳の頃、葛飾という土地に移り住みました。そこにはまだ私達が今思い描く昭和というものが確かにありました。握りばさみ一つで白鳥や象をつくりあげる飴細工屋が、自転車で子供達の間を巡り、見知らぬおじさんがボールの握り方や凧の揚げ方を教えてくれました。大雨が降るとすぐに道路はプールのように水浸しになり、駐車場近くには必ず『車でお金』という訳のわからない看板が掲げられていました。

中でも鮮烈に印象に残っている事があります。
その頃、家の近所に古いアパートが軒を連ねてひしめき建つ一角があり、様々な国の外国人や明らかに正業についていないと思われる怪しげな風貌の人間が出入りしていて、その湿った暗い雰囲気は子供心に恐怖と好奇心を抱かせました。
ある日近くで、なにとはなしに遊んでいると、アパートの開け放たれた窓から、私を呼ぶ男の声がしました。私は呼ばれるがままにその一室に近寄りました。その時私は初めてアパートの中をのぞき見ました。そこには、体中に色とりどりの刺青を施した四人の男がいて、彼らは酒やらゴミやらが散らかった部屋で麻雀卓と化したコタツを囲んでいました。そして私を呼び止めた男は愉快そうに私に何かを話しかけ、部屋にあったラムネ菓子を私に分けあたえました。

今現在私が住むサンコーポ沼袋の周りには似たような安アパートが連なり、小さなコミュニティーを形成しています。そこには昼から缶ビールを片手に路地裏でたむろする白人達がいて、下着姿で窓際に佇む金髪がいて、中国人のけんかのような団欒が聞こえたかと思えば、半裸のおじいさんがただ、目の前の川を見つめています。そして、私は昼から何もしていません。この一角が近所の子供達にどのような印象を与えているかはわかりません。ただ一つ言えるのは、先日私がアパートから外へ出ると、近くで一団で話している小学生とそのお母さん達がいて、一人のお母さんが私を見るやいなや、反射的に自分の子供をその身に隠したということです。

追記 ラムネをもらってしばらくしてそのアパート群は区画整理にあい、とり壊されました。

※本文にあるアパート名は実際はひどくよく似た違う名称です。
(テキスト:吉田正幸)

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