見出し画像

「霊言」ってほんと?霊感のない僕が霊を信じるようになったのはなぜか。


人間が「霊的存在」だと知ったのが
約40年前、だんだんそれが確信でき、
「信仰」となって、今に至る。

みなさん、こんにちは。SHOJIです。
今回は、そもそも「霊」って何なの? これについて語ります。
みなさんは「霊」と聞いて、まず何を連想しますか?
やっぱり幽霊でしょうか。
「うらめしや~」最近は言わなくなったのかなw。
まあ、こわいとか、おぞましいとか、こう考えるのが、
まだ一般的なんだろうと思います。

でも、ぼくは違います。
「霊」は、そこにもここにもあるありきたりのものとして、捉えています。
確かに目には見えません。
だけど、自分も周りの人たちも全部「霊」が本体だと思ってる訳です。
人間の本質が「霊的存在」で、皆、肉体という「乗り舟・着ぐるみ」に宿って生活してるのが現状だと考えています。

しかし、「霊」とか「霊界」の存在証明。これって、無理ですよね。
だって、目に見えないんだから。
これが霊界です。あ、今ここにいるのが霊です。って説明できません。
そういうものが霊なんです。感じること、は、可能だと思います。
何となく、そこにあるような。直感みたいな。
だから客観的に証明できないものですね。
じゃあ、ダメじゃないですかってことになる。
では、言葉を変えてみましょう。じゃあ、考えてみてください。
「愛」って何ですか?「心」って何ですか?目で見えますか?
どうですか。言葉で証明できますか? 
世の中には、実際あるけど、説明しきれないもの、ことって、
けっこうあると思いませんか。
ということで、もう一つ例を上げれば、「神」「仏」って何ですか? 
やっぱり見えないですよね。結論として、こういう対象は、
「信じる」ことでしか捉えられないわけです。
突き詰めれば、信じるか信じないか。この二択なんです。
ということは、信じる人にはあって、信じない人にはないんです。

人間が霊的存在だと思うか思わないか、死んだら、魂などない、何にもなくなる、だから「あの世」もない。
これは、確かに個人の「考え方」ではあるけど、事実はひとつなんです。
あるかないか。は、どちらかなんです。
100%、あるかないかであって50%はありえない。
確率論じゃないんです。だから信じるか信じないかになるわけです。
まあ、究極の「賭け」ですよね。でも、結果は出るわけです。
みんな必ず死ぬからね。その時、わかる。
これが突き詰めると「信仰」の問題になってくるんです。

自分が「霊的存在」だと知識として知ったのは、大川隆法氏の説く「仏法真理」に出会ったからです。
そして、その知識を学習して自分の生活の中で考えながら実際に対面する人生の諸問題、自分の悩みを解決するための道具として実践してきました。
その日々の積み重ねが、だんだんにこの「教え」の「正当性」「普遍性」を確信できました。その過程で、「信仰心」が育ってきたと感じています。
だから、目に見えない霊とか神様とかは、きっかけは知ることによって始まるけど、やはり「信じる」ことでしか、その存在を捉えることはできないんだと思います。



「霊言」に対する疑問はあるでしょう。
しかし、その内容に対して先入観や噂話を排して向かい合う価値はあると思う。

大川隆法氏の著作で「公開霊言シリーズ」として現在、500冊以上が出版されています。歴史的偉人、歴代宗教家、政治家、企業家、芸術家、芸能人、スポーツ選手などなど、あらゆるジャンルの有名人、話題の面々が、「霊」として現在の意識で語りかける。
これを世間は、そんなアホな。いくらなんでもそりゃーないだろ。
とか言って、信じない人が多いわけですよね。
確かにいわゆる「常識」の域は超えていると思います。
しかし、そこが逆に「霊言」のすごいとこなんだよね。
この「驚天動地」の現実を受け入れると、そこでまた、「常識」が変わるわけです。ということは、やっぱり最後は、信じるかどうかになってきます。

大川隆法氏自身、1981年に「霊言現象」が始まって、すぐには、それを信じなかったと述懐しています。
それ以来、数々の「霊言」に日々接しながら、その記録を冷静に客観視し、収録を重ねました。その検証は、「6年間」続きました。
それほど、本人の慎重な分析を経ているんです。
その事実を世間に発表するまでに、
これだけの準備と確証が必要だったということです。

ぼく自身が「霊言」を信じる理由は、まず前提に「大川隆法先生」の心の教えに納得したからです。
「愛・知・反省・発展」の四正道。この「正しき心の探求」がこの世とあの世を貫く幸福を得る道だと、確信したからです。
そして、「あの世」はある。100%ある。ぼくは「霊的世界」の実在を信じました。
その具体例として示されたものが、あの世の存在が語る「霊言」なのです。これは、この世の人々に対して「霊的存在」を広く発信・発表する実験を試みたということです。

最後に、大川隆法著『真実の霊能者』2017年発刊 より「まえがきとあとがき」を抜粋・引用させていただきます。
今回のテーマ記事が、みなさま、ひとりひとりの心の奥に何か響くきっかけとなれば、幸いです。では、また。(つづく)


  【まえがき】本書では、第1章として「真実の霊能者」について、体験的なものも含めて解説し、第2章としては、その応用編として「マスターの条件を考える」を追加した。霊的なものを頭から否定する人から見れば、一言で、「バカバカしい」と片付ける内容かもしれない。しかし、日本には、霊能者が約1万人はいるといわれる。宗教法人が国内に十数万は存在するところから見れば、「一万人」でもひかえ目な数字であろう。霊能者の真贋(本物とにせ物)を、他人が見分けることも、自分自身が見分けることも、それほど簡単なことではない。幸福の科学は、そしてそのグランド・マスターである大川隆法は、四十年近い歳月の試練にたえて、未だ輝き続けている、数少ない真理の実証者である。本物の真・善・美の探求者、求道者のあるべき姿をここに描いてみた。

【あとがき】本書の内容は、宗教学者にも、精神分析医にも書けない真実を含んでいる。の本では宗教の活動内容や、協議についてマスコミが報道することも、放送倫理に反することと考えられがちである。したがって、一般に、テレビや新聞、週刊誌には、「宗教の起こした事件」ばかりが報道され、習俗的な宗教以外は、「悪」のレッテルを貼られることが多い。それが人々の宗教不信につながり、教育における本当の「真理」の欠如ともなっている。今回、本書で、真実の霊能者のあるべき姿や、宗教指導者の基準を示したことで、多少なりとも、宗教現象を見分ける眼を養うことに役立てたら、とてもうれしく思う。最も信頼される宗教的マスターを目指してきた私自身の、秘かな達成感もそこにある。

大川隆法著『真実の霊能者』


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?