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岡本太郎「神秘日本」

今年は岡本太郎生誕110年。


手ぶり、足ぶみ。婆さん同士で何か卑わいな冗談を言いあって、笑いはやし、ざれあいながら、ぐるぐる廻る。やがて踊りの輪は、渦がふくらみ息づくように、ゆるやかに大きくなって行く。それにつれて歌声も、リズムも調子づき──もう、立派な盆踊りだ。  
この夜をながめわたして、私はこれだと思った。


子どもの頃の記憶からオシラ様について書きはじめ、東北の言葉、そして東北の女性について書く岡本太郎の文章がすごい。

いわゆる標準語の、おていさいばかりの空虚さに無性に腹が立つのである。リズムを失った、味もそっけもない、官僚的ないやらしさ。

アマビエが蘇り鬼滅が全盛のコロナの中でいま私たちが欲してやまない感覚を、岡本太郎が、この東北の言葉と対比して卑下する標準語に対していっている気がしてならない。
それを神秘といい、イタコを情熱としてあると言っている

この国に昔からつづいてきた土着の言葉を忌み嫌い標準語教育なるものが秋田をはじめとする東北では戦前から戦後にかけて各地で熱心に行われてきた。
そして沖縄までウチナー言葉を卑下して熱心に標準語教育をしていたことを先日NHKスペシャルで言っていた。

いつになったら標準の呪縛から私たちは解脱できるのだろうか。

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