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オブラート2枚目「よくそんな時間ありますね」

私は小説が好きだし、もちろん読書も好きだ。

ここ数年はミステリーが大好きで、日に日に本棚の蔵書は増えている。

「あれ、昨日と本違いますね」

ある日後輩に言われた。休憩中に読んでいた小説が昨日まで読んでいたものと違うからだろう。

「あー、あれ、昨日読み終わったから」

「どれくらいかけて1冊読むんですか?」

私はこの質問が嫌いだ。

「作家さんによっては時間かかるのもあるけど、大体2日か3日だね」

「よくそんな時間ありますね」

出た。決まってそう返ってくるのだ。


この場合の「よくそんな時間ありますね」は

決して「余裕があっていいですね」というような意味ではない。例えそう言われたとしても、それだってオブラートが1枚引っ付いている。

「暇ですね」

と言われているのだ。

そして1つ言わせて頂きたい。暇ではない。

というか時間がある訳でもないのだ。

速読とまではいかないけれど、私は400ページ程度の小説なら3時間もあれば完読できてしまう。

通勤時間は往復2時間。

ここまで話せばおわかり頂けると思うけれど

1日のうち仕事以外の時間でがっつり集中して読書に更ける時間等を持ち合わせている訳ではなく

通勤時間のみで読んでいるのだ。

ちなみに私は通勤時間に仕事のことを考えられる程優秀なサラリーマンではないので

改札を潜ったらミステリーの続きのことしか頭にない。


「もう昨日の読んだんですか!よくそんな時間ありますね」「俺そんな時間ないっすよ」

読んでいる本が変わる度に後輩には言われて来たけれど

私もいい大人なので「それって暇だねってこと?」なんてことは言わない。

「まぁ、好きだからね」

その程度だ。

しかし頭の中ではいつも同じことを言っている。

お前にないのは時間じゃなくて、意欲だ。

私と後輩に与えられた1日の時間は平等に24時間なのであって、それはこれから先も変わらない。

なんなら後輩は往復1時間程度なので時間を作ろうと思えば私より容易なはずである。

それでも本を読まず「時間がない」

それはもう意欲がないだけである。

もちろん読書意欲がないのだから読む必要はないし、自分の好きなことに時間を割くべきである。それは大いに構わない。

だが本が変わる度に毎回毎回微妙なオブラートに包んで人の暇を主張するのはどうもモヤッとしたものが残ってしまう。

「読むの速いんですね」では駄目なのだろうか。


こういった捉え方しかできない私の心が狭いのではないかと一時期気にしたこともある。

しかし文章では伝わりにくいが

後輩の喋り方が、そう思わせてくるものなのだ。

どこか斜に構えた彼のトークのトーンが、私をそうさせるのだ。

彼にそんなつもりはないのかもしれない。

けれどそう聞こえてしまうタイプの人間は、この世に多すぎる気がする。

そして彼に読書意欲がないのは間違いないだろう。


私の10年来の友人なんかは「え、そんな時間あるの?」と疑問形で聞いてくる。

あぁ、上手だな、と心から思う。

「通勤時間長いからさ、読めちゃうんだよね」

「あー、でも通勤時間ってすることないもんね。スマホとか、化粧してるより100倍良い」

昔から超ド天然で時々周りを苛立たせていた友人だけれど

彼女の話し方は世界中に真似してほしいとさえ思う。



【おまけ】

私の弟も同じくらい読書が好きな男であり

よく友人から「暇だね」と言われているらしい。

オブラートに包んでいない分、どこか清々しい。

先日久しぶりに実家へ帰った時、弟もいたので少し話をした。

「今映画になってるあの漫画、持ってる?」

あまり漫画は読まないけれど映画が面白く原作も気になったので弟に聞いてみた。

「あるよ。俺もう全部読んだから、持って行っていいよ。本棚空けたいし」

流石弟。話が早い。

弟は私のエコバッグを持って自室へ行き、詰めてきてくれた。

「結構重いな」

「もう読まない文庫本で好きそうなの入れといた。いらなかったら置いてって」

流石弟。気が利く。

私は早速リビングで、頂戴する漫画以外の文庫本を広げた。6冊あった。

流石、弟。

「この3冊は私も持ってるから、いいや」

確かに面白いし好きな作品だった。

漫画に追加で3冊の文庫本を頂戴し、実家から自宅まで約2時間で、漫画1冊読んで帰った。

漫画は何故か、2時間かかる。

嫌いではないけれど本当に時間がなくて読めないのだ。

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