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観たり、読んだり。鑑賞妄想文。

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本やアート作品に触発されて出てきた妄想のまとめ。 独断と偏見の読みです。 作品紹介が目的なのではなく、作品をネタにした私の妄想と感動を語るのが目的なので、ネタバレありです。 ただ…
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ボルヘス 『伝奇集』 の並行世界。 すべては密やかに進行する。

世界の成り立ちの秘密。宇宙の仕組み。 人間はじまって以来、あまたの哲学者や科学者、あるいは神秘家たちが挑んできた謎。そう遠くないうちに、その解答になり得るようなことが科学的に示されることになるかも知れない。 なんて、そんな期待を持ってもおかしくないような域に、すでに我々の文明はさしかかっているんじゃないか。と、近頃感じたりする。 科学技術によって、人間の知覚範囲と活動領域は広がり続けいて、いよいよ宇宙や非物質的な次元にまで侵入している。 日々上がってくるテック関係のトピックの

「採集」は、科学か芸術か。

数冊のアートブックから妄想したこと。 ① Karl Blossfeldt  『芸術の原型』   植物をミニマルに撮影し続けたカール・ブロスフェルト。 美術の教師だった彼は、これらの植物のクローズアップ写真を、授業の教材にするために手製のカメラで撮影したのだという。 ブロスフェルトの肖像を見ると、つばの広い帽子を被って、ゆたかな口髭をたくわえ鋭い視線をカメラに向けるワイルドな風貌で、身近な自然を見つめるミクロな視点や、6000枚にもおよぶ同じような写真を淡々と撮影したことと

『瞑想の彼方』 横尾龍彦 回顧展

人間は誰しも大なり小なり内なる地獄を抱えていて、それと向き合わざるを得ない時があるわけだが、芸術家となると、それは一層激しいものになる。 というか、もとより「地獄」に敏感な人間が芸術家なのだろうし、また、芸術家とは「地獄」を「美」へと変化させる宿命を負った人種なのだ。 そして、美を知ることは人間の本質的テーマでもある。 ・ 絵の具の色なのか、それとも絵の発するオーラの色なのか。今、自分が見ているものは実態があるものなのだろうか? 横尾龍彦の絵を観ているとそんな風に思う時が

『地表は果たして球面だろうか』 吉阪隆正

擬人化したライオンやキリンに家を作らせ、ダムを暴力団の親玉に喩え、なめらかに仕上げられたコンクリート壁を“丸腰の町人の肌“よわばりし、原始の文明や細胞の話から宇宙へ飛び出し、アフリカの大地へ降りて、突如ヒゲの話がはじまる…。 マクロとミクロの視点と、太古からはるか未来の時間軸を縦横無尽に行ったり来たりしながら、どこに行き着くともわからないような論が飄々と展開されてゆく。いったい、この人の頭の中はどうなってるのか。 建築家・吉阪隆正の名前を知ったのはずいぶん昔のことになる。

『よろこびの機械』 レイ・ブラッドベリ

2023年初頭の現在、全方位でバーチャル世界は拡大の一途を辿り、我が日本でもコロナに後押しされたかたちで地味ながら着々とDX化は進行し、この1年ほどの生成系AIをめぐる過熱ぶりは目に余る。いわゆるシンギュラリティーというやつは予想されていたより早くやってきそうな雰囲気になってきたし、少なくとも数年以内には、いよいよ人間のアルチザンとしての実存的価値はほとんどなくなるだろうから、我々は今のうちに、来たるべきデジタル化した中世のような世界に対応する生存戦略を立てねばらない。 だな

AIにはまだ書けない、コスパの悪い感想文

読書感想文が書きたくなりました。 レビューではありません。あくまで偏見にまみれた、わりと読むのが面倒くさいタイプの感想文。そんなものを少しづつ書くつもりですが、今日はひとまず、本を読むことや書くことについて。 そもそもですが、僕は本当に本が好きなのか正直わかりません。 「本好き」って何なんですかね。文芸作品の鑑賞が趣味だということでしょうか。 読書習慣はあります。だいたい3冊くらいを並行して読んでいて、読むものがないと落ち着かない性分です。でも別に本だけが特別な存在なわけで