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10年前の経験を語る その3(学ぶべきこと)

移流拡散モデルの利用に関する基本的課題

まず、放射性物質に限定せず、移流拡散モデルの実利用についての基本的な課題から整理してみます。移流拡散モデルは、空気の運動と共に動く物質のふるまいを予測するものです。物質としては、二酸化炭素やオゾン、水蒸気のような空気の成分を予測するものがありますし、空気中を浮遊する微小な粒子であるエアロゾルを予測するものもあります。後者については、国内、あるいは隣国等から発生するPM2.5などの大気汚染物質、中国大陸の奥地で嵐等により巻き上げられる黄砂、火山噴火に伴う火山灰、スギ・ヒノキ等の花粉、といったものが予測対象となります。このほか、空気とともに移動するものはすべて予測対象となりうるのですが、上記で述べたエアロゾルはすべて人間活動への影響が大きいという観点から予測情報の提供が進められてきました。

これら予測情報の活用における課題は、
(1)排出源の情報の誤差
(2)移流・拡散および降水などに伴う地上への落下に関する誤差
(3)物質のの濃度が人間活動に及ぼす影響の蓋然性
(4)これらに伴う不確定性の読み方の理解
に整理できると考えています。

火山灰を例にとって説明してみましょう。火山が噴火したとして、火山灰がどの程度空気中に放出され、それが高さ方向にどう分布しているか、これがわからないと、その後の予測は難しいです。そこで、目視で火山噴火の高さを観測、そこから経験的な火山灰分布情報を推定して、というプロセスで決めています。雲に覆われていると噴火の高さの目視が難しい場合もあり、気象レーダーの利用や気象衛星の利用なども研究は進められています。http://www.bousai.go.jp/kazan/chousakikaku/pdf/dai2kai/20190327siryo1-5.pdf

火山灰粒子の大きさにより落下速度が異なりますので、大きさの分布をどう推定するか、火山灰を移流拡散させる数値予報モデル結果の精度、さらには雨で降下してくる火山灰の予測も誤差は大きいと考えられます。火山灰の予測が正しかったとして、その社会的影響についても、今までの経験を積み重ねたり、あるいは実験等による評価が必要です。空中を浮遊する火山灰はジェットエンジンを止める危険があり、国際的にVAAC業務という枠組みで、気象庁も担当地域の航空路火山灰情報を提供することになっています。https://ds.data.jma.go.jp/svd/vaac/data/indexj.html

2010年にアイスランドの長い名前の火山が噴火して欧州の航空交通が完全に停止したことがありました。それについて、火山学者の石原先生のレポートがありますが、移流拡散モデルの使い方が正しかったのか、経験不足で混乱したのではないか、火山灰の航空機への影響についての定量的評価が足りないのではないかという記述があります。
http://www.dpri.kyoto-u.ac.jp/web_j/saigai/topics_20100414.pdf
欧州のVAAC担当機関は英国気象局であり、私が2010年の秋に出席した英国気象局の科学諮問委員会でも、英国気象局としてこれを教訓として、より定量的な火山灰の情報提供に向けて取り組んでいるという報告がありました。

この2010年の欧州の火山灰事例は、いくつか2011年の福島に通じるものがあったように思います。その一つは低頻度の現象への備えの難しさであり、もう一つは移流拡散モデルの使い方の難しさだといえましょう。

一方、課題解決のヒントとして移流拡散モデル自体は検証ができるということも重要です。火山灰モデルであれば、実際に降灰した量を観測することで、定量的な拡散予測の検証ができます。また、噴火による火山灰の発生量がわからないとしても、逆に降灰観測データと火山灰モデルを使って、発生量を推定することも可能です。温室効果ガスについても、地球各地の濃度観測と移流拡散モデルから逆に各国の排出量を推定するような研究も進められています。

福島の教訓

前節で述べた予測情報活用の課題はそのまま福島の事例でも起きています。まず、(1)の課題に関しては、放射性物質の放出量が測定システムの故障でわからなかったこと、ここでマニュアル通りの対応ができなかったというのがあったのだろうと思います。しかし、事故に伴い測定システムが故障することはそう特殊な話ではないように思います。その場合の対応として、周辺のモニタリングポストでの放射線量の観測結果から、逆問題として原発からの放射性物質の放出量を推定すること、これは移流拡散モデルの研究コミュニティにいれば自然に準備できていたように思います。平時からできることとして、人体に影響しない放射性同位体を利用するなどでこの排出推定の性能も現地でのフィールド実験で評価できていたと思います。

ところが、事故から3年以上たった2014年10月に原子力規制委員会は、誤差が伴う予測情報は避難の判断に使わない、モニタリングポストによる実測値等で判断する、という考え方を示しています。https://www.nsr.go.jp/data/000027740.pdf
福島事故の前には、SPEEDIの結果で淡々と避難判断する訓練を繰り返していたのに、それが誤差を含む情報であることが事故で顕在化し、全く逆方向に方針が振られたように私には見えます。

原発の近くの住民、自治体には、モニタリングポストの実測値が上がる前に、予測で危険の可能性がある程度示されればそれで避難する、という仕組みが必要ではないのかな、実測値では手遅れにならないかな、と私は思います。津波警報、大雨警報や火山の噴火警戒レベルの運用で、ある程度の危険の可能性の蓋然性が高まれば、避難、というコンセプトが身体に叩き込まれているせいかもしれません。

一方、比較的遠く離れた地域については、移流拡散モデルへの過剰反応という副作用を考慮する必要があると考えています。2011年の3月に海外からのネット情報で原発からいろんな地域に放射性物質が流れているのをみて恐怖を感じた人は少なからずいると思います。濃度分布の色付けを調整するだけで、遠くまで到達する様子を見せることは可能です。定量的に問題のない濃度であっても、その影響を直感的に知る事ができないこともあり、非常に不安になってしまうのが人情です。

富岳等によるCOVID-19の拡散シミュレーションもしばしば目にしますが、これも同じ危うさを持っています。マスクをするとこれだけ拡散する量が減る、という部分を素直に受け取るのは重要だと思いますが、あの粒子の流れにあまりに過敏に反応すると何もできなくなってしまいます。どの濃度以上だとどの程度感染するのか、どの放射線量だとどの程度発がん率が高まるのか、こうした影響評価があいまいなままだと、動画がわかりやすいだけに逆に危うい情報となります。

いやそれでも情報はどんどん公開して使う側の判断に任せるべき、というのも正論です。一方、公衆衛生、広域避難といった立場では、個人個人が勝手に判断して行動されると社会の混乱というのは確かにあります。この課題には、個人個人、特にメディアが情報を正しく理解する力がとても重要で、ここで難しいのは、まれにしか発生しない事象はほとんど正しく理解できないことが多い、ということです。南海トラフ地震、富士山噴火、伊勢湾台風、関東大震災、東日本大震災、こうしたものを語り継ぐことの重要性はそこにあります。

気象庁の火山灰情報では、噴火していないときにも、もし噴火したとするとこう火山灰が降灰しますよという情報があります。平時から、噴火したらこんな情報が出ますよ、と日々触れること、そして噴火した瞬間にもそれをみて判断ができる、というねらいがあります。これを原子力発電所で平時から情報提供するのも一つの手段なのですが、ますます反対運動が強くなるばかりかもしれません。

最後に

今回は技術的な議論をするのが目的ですので、これ以上の議論は控えることにします。なお、私の個人的な見解として記述してきましたが、参考まで日本気象学会の2014年12月17日の提言「原子力関連施設の事故に伴う放射性物質の大気拡散監視・予測技術の強化に関する提言」もリンクしておきます。先ほど紹介した原子力規制委員会の見解への反論という立ち位置だと理解しています。 https://www.metsoc.jp/2014/12/17/2467


10年前の昨日に1号機の水素爆発、いまごろは日本全体が危機感に包まれていたころでした。最後にNHKさんが作成された東日本大震災タイムラインをリンクしておきます。
https://www3.nhk.or.jp/news/special/shinsai-portal/timeline/?fbclid=IwAR18iT2znZfK5E_S7l6rVd9IrSRDrRJtqtexlTJ_DxFVBq__zCXOHLam_t8


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