見出し画像

10年前の経験を語る その1(それまでの経緯)

はじめに

コロナがなければ今頃は震災10年で世の中埋め尽くされていたと想像しますが、それでもその日が近づくにつれて、さまざまな報道やイベントが開催されて、10年前を思い返すようになります。思い出したくないという方も少なくないのかもしれませんが、少なくとも日本の人口の過半数はこの日から始まる出来事を実体験として強く記憶に残っているものと思います。気象庁を退職してある程度は自由に語れる立場になりましたので、記憶に残っているうちに未来に残したいことは可能な範囲で書いておこうと思います。書き始めたら、いろいろと書くべきことがあることがわかり、まず今回は10年前に至るまでのことをまとめてみます。なお、ここで記述する内容はすべて個人的見解に基づくものです。

全球数値予報

すでにnoteにも数値予報について少しづつ書いていますが、私はもともと全地球の大気を予測する全球数値予報モデルの開発担当者でした。積雲対流のパラメタリゼーションと呼ばれる積乱雲の効果を大気の流れに反映する部分の開発を進めて、台風の進路予報を世界トップレベルに改善したということも以前に述べました。

気象庁では、世界中の観測データを国際的な取り決めのもとで即時交換により収集し、全球の大気を予測する数値予報モデルを1987年12月から運用してきています。日本の天気を予報するのに、なぜ地球全体の予測が必要なのかというと、またどこかでしっかり説明する必要がありそうですが、とりあえずの説明をします。まず、週間予報や台風5日予報の時間スケールとなると、地球全体の大気の循環の予測が影響します。それと日本付近の領域に限定したモデルを動かすとしても、その額縁の物理要素の予測結果が必要で、そのためにももっと広い領域の予測結果が必要となります。

一方、このように全球の数値予報という技術基盤を得たことで、北米の急発達する低気圧も南半球のサイクロンも予測する技術を手に入れることになります。たとえば、気象庁の全球数値予報モデルによる北米の急発達する低気圧の予測については、1993年に私も小文を書いています。日本に接近する台風について、米国や欧州の数値予報モデルも予測していることは、いまや多くの方がご存知かと思います。

浮遊物質の移流拡散情報への活用

大気の流れを解析・予測できる基盤を活用することで、天気予報以外にも、地球の自転速度の変動が予測できたり、大気中に浮遊するエアロゾルなどの小粒子がどう広がっていくかもわかります。たとえば、中国の内陸部での黄砂が空中に巻き上げられてそれが日本にどう影響するか、あるいは桜島の噴火による火山灰がどこにどれくらい積もるのか、すでに実用化された予測情報があります。

1986年、当時のソビエト、今のウクライナにあるチェルノブイリの原発事故がありました。上空に舞い上がった放射性物質を含むエアロゾルは風に流されてそれが凝結核となって雲粒となり、それが成長して雨として地上に落下し、土壌汚染となり農作物にも影響します。この事故に伴う放射性物質の長距離輸送については、気象解析・予測データを用いてシミュレーション技術でかなりの精度で把握できることがわかりました。この技術についての日本語で読める文献として、当時気象研究所の主任研究官だった木村富士男さんの論文があります。https://www.jstage.jst.go.jp/article/jar/3/3/3_3_200/_article/-char/ja/ 

風がわかると粒子の運動をどう計算するのか、ごくごく簡単に説明した図を掲げます。

画像1

COVID-19関連で富岳のシミュレーションとして、飛沫がどう拡散するかという動画が出てきますが、空間スケールこそ違いますが手法の基本は同じです。

原子力事故への国際的対応の確立

このチェルノブイリの事例でもそうですが、放射性物質の輸送は長距離まで到達することから、国境を越えた対応が必要となります。チェルノブイリの事故の頃は、全球数値予報が世界で開始されつつある時期でもありました。気象水文の国際機関であるWMO(World Meteorological Organization)や原子力の国際機関であるIAEA(International Atomic Energy Agency)は、気象解析・予測システムを活用した国際的24時間監視予測体制を整備しました。このERA(Emergency Response Activities)と呼ばれる活動は下記WMOのホームページに詳しい解説があります。https://community.wmo.int/activity-areas/emergency-response-activities-era

ここにある通り、24時間監視するセンターが、中国、英国、オーストラリア、カナダ、ロシア、ドイツ、フランス、オーストリア、米国とともに日本に設置されました。これらのセンターのほとんどは各国の気象機関となっています。日本は、ロシア、中国と共に第II地区と呼ばれるアジア・中東地区の監視の任務となります。

気象庁では、東大助手から数値予報課に異動してきた中村一さんが、卓越したモデリング開発能力であっという間に全球移流拡散モデルを開発、その後国際調整するポストに異動されて、開発は私の数値予報課での師匠だった岩崎さんと若手の大型新人だった山田慎一さんに引き継がれて素晴らしいシステムとして完成しました。最初に掲げたチェルノブイリからの粒子の拡散図も彼らの力によるものです。岩崎さんはその後、東北大学教授となられて日本気象学会の理事長まで勤められました。ほかのお二人は、病気や不慮の事故で急逝され、その後のご活躍があれば、気象庁いや日本の気象分野の技術力はもっと飛躍していたものと残念でなりません。

こうして全球移流拡散モデルが開発されましたが、原発事故については、事故による放射性物質の発生情報がないことには、予測はできません。放射性物質発生情報については、IAEAから受けることになり、いざという時に備えて定期的に訓練も国際的に行われます。ロシア、中国と日本でそれぞれ計算した結果を3機関の打ち合わせを通じてまとめて、然るべきルートで提供するという訓練が、欧州時間に合わせてだと思いますが、深夜に実施されていました。訓練だけで終わるといいな、それにしても事故が起こるとしたらどこだろう、ロシアだろうか、中国だろうかなどと想像していました。

国内の状況

一方、原子力事故に対する国内的な対応としては、原子力発電に関係する省庁が仕切る形でした。気象庁にも風などの情報提供の役割は与えられていて、国内の原発事故の訓練にも参加していて、私も福島事故の数年前に西日本の某原子力発電所の訓練に現地参加したことがあります。今まで述べてきたような気象庁の国際的な枠組みでの予測結果は訓練では全く登場せず、SPEEDIモデルの結果等から避難等の判断が淡々と進められるという段取りでした。全球での計算は分解能としては50km四方と粗いものなので、国内事故での情報提供では、領域モデルで細かな分解能のSPEEDIを使うのは合理的であることは理解していました。

ただ、風などの予測がそう簡単ではないことを知る自分としては、モデルの結果のまま、避難等を判断する段取りはにはちょっと疑問を感じて、訓練のアンケートでもその趣旨の感想を書いたことがあります。一応、気象庁から出向中の職員にはその旨伝えておきましたが、訓練担当の事務局を困らせたのかもしれません。

3.11までのまとめ

3.11以降に起きたことを説明するにあたって必要なそれまでの経緯を語ってみました。全球数値予報を基盤として世界の原発事故に対して放射性物質の移流拡散計算ができるようになり、それが国際的な枠組みのもとで、国際協力として気象庁もその一部の役割を担うことになっていました。一方で、国内的にはSPEEDIの放射性物質の拡散予測が原子力防災として位置付けられていて、国内の事故に対しては、そちらの枠組みが役割を果たすものと信じていました。ただ、領域モデルでの細かな移流拡散モデルについても気象庁が関わればもっといいものができるのになあ、と技術者的には考えていました。まあ、それがそうシンプルな話でもないな、ということも含めて次回に回します。




この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?