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今日の魔女術:序章

今日の魔女術:概要 という記事の続きです。
まだお読みになっていない方は、まずそちらをご覧下さい。
→ https://note.com/tenkei_magick/n/n4fb71e64e792

※この記事における引用は、特別記載がない限りはジェラルド・ガードナー氏の【今日の魔女術】からの引用です。
また、太字は和訳を要約したものになります。引用は和訳をそのまま載せたものです。



その業界に於いて大きな影響を与えた古典には大抵、後の学者による前文がつけられます。
この序章は、ティモシー・R・ランドリー という方によって書かれたものです。ここでは著者のティモシー氏が以下にして魔女と出会い、興味を深めていったのかが書かれています。

抑圧されたカトリックの少年だった17歳のティモシー氏は、クレアという少女が気になっていました。これは恋愛的な意味ではなく、彼女の格好が、です。
彼女は黒い服に影のようなメイク、そして銀色の五芒星のネックレスをかけていました。
ある時、ティモシー氏はクレア氏へと話しかけます。

「あなたは悪魔を信仰しているのですか?」と私は尋ねました。
それにクレアはこう返しました。
「いいえ、私は魔女よ。」と。

そこから2人の交流は始まり、ティモシー氏は魔女へと理解を深めていくのです。


さて、そんなティモシー氏の過去が述べられた後に【今日の魔女術】の紹介文が始まります。

1954年に出版されたジェラルド・ガードナーの『ウィッチクラフト・トゥデイ』は、魔女に興味を持つ人々にとっての指南書であると同時に、これから魔女を目指す人たちにとっての入り口にもなっています。

今日の魔女術の著者のジェラルド・ガードナー氏は魔女教(或いは魔女宗)と訳されるウィッカという宗教の創始者です。

今日の魔女はみなその流れを継いでいますから、創始者その人の本は教科書とするのに最適だという訳ですね。

ジェラルドと彼の魅力的な物語は、魔術の本質について、よりポジティブでワクワクする見方をするのに貢献しました。
ジェラルドの魔術の核心は、愛の魔法という、ひとつの卓越した原理にあることを読者に理解させました。

ジェラルド氏の業績の1つとして挙げられるものは「魔女」という響きをプラスイメージへと転換させたことです。


彼自身は悪魔の名を用いる魔術結社や魔術師の後継だったのです。

実際、魔法と愛が密接に関係しているということや、魔女教の掲げる「他人へ迷惑をかけない限り、望むことをしなさい。」という考えは、悪魔崇拝で有名なアレイスター・クロウリー氏の述べたことと非常に似通っています。

アレイスター・クロウリー氏は著作の【トートの書】や【法の書】でこう述べています。

「唯一の法は愛である。意志の下の愛こそが。」
「汝の欲することを為せ」と。

ーアレイスター・クロウリー「法の書」「トートの書」

※ちなみに、クロウリー氏の「汝の欲するところを為せ」は全く別の方の小説からの引用です。


しかし、今日の魔女達は「自分たちは白魔術しか行わない、白魔女である。悪魔や邪悪な力とは何ら関係していない。」という意見を持ってる方が多いです。

フィルターが色の着いた水を無色へと濾しとるように、ジェラルド氏は魔術という言葉に紐付けされていたマイナスイメージを抜き去ったのです。
このことは魔女教が一般へと広がっていく一助となったのは疑うべくもないことでしょう。


実際、ティモシー氏はこう述べています。

知識を求める人々に、魔女術の秘密の扉を開きました。それは、ジェラルドの最も偉大な魔法です。好奇心旺盛に満ちた読者の世代は、まさにこのページから女神の呼びかけを聞いてきました。


では、ガードナー氏はなぜ【今日の魔女術】を書き始めようと思ったのでしょうか?

ガードナー氏は歴史的な魔女の団体に入り(この歴史は現在疑問視されています。)、魔女の知恵や考え、祭儀に触れます。
しかし、魔女の団体というのは歴史の波に飲まれて消え去ろうとしていたのです。
そこでガードナー氏は本を書くことを思い立ちます。
しかし、魔女達はなかなか許可を出しません。
何故か?
気になったガードナー氏は尋ねます。

「現代では魔女狩りなどという野蛮な文化はありませんよ。」と聞いたところ、魔女は「もし私の正体がしれたら、村で子供が病気にかかったり、家畜が死ぬ度に私は疑いの眼差しを向けられるでしょう」と返しました。

都会と田舎では時間の進み方が違います。


例えば、アメリカでは1920年ほどに進化論は間違っているとする進化論裁判が巻き起こります。
進化論の提唱は1860年代であり、都会では既に知られていました。
しかし田舎に学校を建てる法律が施行され、理科の生物を教えるようになります。
すると、聖書を否定するような進化論はけしからん!と田舎の、信仰心に満ち溢れた純朴な方々は拳を振り上げたのです。


これはちょっと極端な例ですが、都会と田舎では行き方や風習が違うのです。インターネットが登場した今となっては、過去形かもしれませんが。

占い師さんへ言うならば、火と風の社会と、土水の社会とでもいいましょうか。

都会は知性と能力主義、田舎は権威と感情主義と乱暴に言ってしまってもいいかもしれません。


念の為に書きますが、俺は知性と能力の信奉者ではなく、権威と感情主義をカビの生えた旧体制とは思っていません。
どちらも等しく有用性と欠点があり、どちらも等しくその時で趨勢が変わるだけですから。
啓蒙主義の時代ですら、偉大な科学者が大衆によってギロチンにかけられたことはありますしね。

しかしガードナー氏は諦めませんでした。
結果として、彼は小説という形で魔女の秘密を開示することを許されます。

その後に、ある事件が魔女達の間に衝撃を与えます。
ペネソーン・ヒューズという方がカルトや魔女に関係する本を出すのですが、これは偏見と悪意にまみれた本でした。(ティモシー氏の見解曰く)

魔女達は今も生きていることが知られてしまう危険性と、まったく知らぬ者が広める偏見に耐え続けることを天秤にかけ、ガードナー氏に正しい魔女についての本を書くことに同意したのです。

しかし、魔女たちは書く内容と書いてはならない内容を厳密に取り決めたため、それだけでは一冊の本になるほどの内容ではありませんでした。
そこでガードナー氏は魔術に関する自分の考えや理論を、多くの歴史的資料を含めて書き綴ったのです。



つまり、【今日の魔女術】は古の魔女の伝統を保つ本でもありますが、ガードナー氏の考えや興味、趣味嗜好によって大部分が補われている本でもあります。

そこで、ガードナー氏の思想について触れましょう。



ガードナー氏が目指していたのは、石器時代以降の魔術の歴史を概説すると同時に、特定の宗教団体などが魔術とどのような関係にあったのかを示すことだったと私は思います

これにより、ケルトのドルイド、北欧の妖精たち、多くの伝説を持つテンプル騎士団、古代文明であるエジプト・ギリシャの神秘などが盛り込まれました。

特にケルトの国々で伝説や民間伝承の対象となっている妖精は、実際にはその土地の古くからの原住民であり、後の侵略者によって疎外された存在であるという考えを提唱しています。

その思想が結集するのはアイルランドの魔術と題された章です。

この章や周辺の根拠の多くは、ガードナー氏の思想が強く出ており、今では学術的にも疑問視されています。

しかし、それほどまでに魔女達のジャッジは厳しいものだったのでしょう。
(現在では古の魔女そのものが疑問視されていますが。)


分野の古典草分けに相応しい、熱意と学術的な疑問に満ちた本だと言えるでしょう。先駆者というのはいつの世でも賞賛と否定を浴びるものですね。


では、最後に、ティモシー氏の言葉を引用させていただきます。

宗教としてのウィッカは、現在の形では80年以上の歴史はありません。しかし、多くの人にとっては宗教として機能しています。
伝統の相対的な若さは、世界におけるその権威と重要性を損なうものではありません。

大げさに見えるかもしれませんが、アメリカの若い高校生として『ウィッチクラフト・トゥデイ』を読んだことは、私の人生を変えました。
(中略)
私は、「ガードナーズ・ウィッカ」として知られるようになった、あるいはジェラルドが単に「魔女教団」と呼んでいたものの参入者です。参入者となってから、私は世界的な魔女のコミュニティに深く感動しています。
人々は、おそらく神々そのものよりも、その愛、信頼、支援によって常に感動するのです。

魔女教は宗教です。
正しい根拠や歴史よりも、誰かに何かを与えることが大切なのだと彼は語っています。


さて、ここまで読んでくださった方々、本当にありがとうございます。
また会える日を願っております。それでは。

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