サイバネティクスの周辺についての個人的雑感

現象学者たちとサイバネティクス

「サイバネティクス」なるものに興味を持った経緯としては、メルロ=ポンティが『眼と精神』で一章まるごと使ってサイバネティクスを批判しているからでした。長いのですが引用します。

世界を名目的に定義すれば、世界とは私たちの操作の対象Xである、となろうが、そのように語ることは、科学者の認識のあり方を絶対視することであり、それはまるで、かつて存在し、また現に存在しているすべてのものを、たんに実験室に入るためだけに存在してきたかのように見なすことである。「操作的」思考はある種の絶対的人工主義となり、サイバネティクスのイデオロギーに見られるように、そこでは人間の創造活動は情報の自然的プロセスから派生したものとなってしまうが、じつは、そのプロセス自身、人間機械をモデルに考えられたものなのである。もしもこの種の考え方で人間と歴史を捉えようとするならば、そしてもし、私たちが直接的な接触や立場によって人間と歴史について知っていることを知らないふりをし、退廃的な精神分析や文化主義がアメリカで行ってきたように、人間と歴史を抽象的ないくつかの指標から出発して構築しようとするならば、人間はまさにそう見なされたとおりの操作対象(manipulandum)となってしまい、私たちは、人間と歴史に関してはもはや真も偽もない文化体制のなかに、[すなわち]目覚めさせてくれるものの何一つない眠りか悪夢のなかに入り込んでいくことになるだろう。
--「眼と精神」(モーリス・メルロ=ポンティ、富松保文訳)

「眼と精神」というテキストはメルロ=ポンティ晩年の論考の一つで、眼=セザンヌ、精神=デカルトと、いわば科学と芸術の間にある亀裂を論じたものなのですが、引用箇所に見えるようにサイバネティクスに対する強い敵視があります。というより、メルロ=ポンティをこのテキストの執筆に向かわせた動機自体が、新興アメリカ思想であるサイバネティクスの登場による強い危機感にあるように思えてきます。

サイバネティクスの制御装置は外部から情報を取り込んで行動を変化させるようなもので、脳もまたそういう制御装置だと考えますが、メルロ=ポンティはそういう制御装置のことを「実験室」として揶揄します。この「実験室」としての脳は身体からの直接な経験がなく、この実験室が取り込む「情報」とは「操作対象X」である。これは醒めることのない眠りである、とはかなり強烈な批判です。「眼と精神」でセザンヌはじめとする画家が積極的に論じられるのは、彼らが身体を持っているからで、「知覚する」とはメルロ=ポンティにとって「操作対象X」を見ることではないのです。

サイバネティクスへの批判的な関心はメルロ=ポンティに固有のことではなく、ハイデガーもサイバネティクスの脅威を西洋哲学の終焉として捉えていたようで、戦後に盛んに技術論について語っています。ハイデガーとサイバネティクスの関係について、中国の哲学者のユク・ホイはこのように言っています。

1966年に『シュピーゲル』誌の記者から、哲学のあとにくるものはなにかと問われたハイデガーは、ひとこと「サイバネティクス」と答えました。ハイデガーに言わせてみれば、有機的なものとは、機械的-技術的なものによる近代性の自然に対する勝利でしかありません。

個人的な経緯としては、こういった現象学の哲学者たちが戦後に危機感を募らせていた対象として「サイバネティクス」という言葉が刷り込まれたのですが、時間が経って、私はプログラマーなどという職業についてコンピュータに関心を持ちました。アラン・ケイなど調べて、いまではすっかり彼のファンなのですが(20世紀最高峰の知性の一つだと思う)、こちらの方面では「サイバネティクス」はむしろ精神的な祖先もしくは守護聖人みたいなものです。現象学、あるいは西洋の知的伝統との根深い溝を改めて感じるのでした。

人間と機械

さて、「それではサイバネティクスとはなにか?」について語れるような知識は私にはなく、その中心についての知識を欠いたまま周辺についての関心を高めていたわけですが、それでも「サイバネティクス」の前後で大きく変わったはずのものは「人間と機械の関係についての理解」であることは疑いようがありません。ノーバート・ウィーナーは、近代はエネルギーの時代だったが現代は通信の時代だと宣言し、「自動機械」のイメージを、内燃機関を抱えた自動機械から、外部と通信しつつ自律制御する情報機械にモデルチェンジする。彼が、人間の脳をこういった自律的な情報機械としてモデル化するとき、身体とは「外部からの情報を取り込むためのメディア」として理解することができ、機械とは身体を拡張したものだというマクルーハンのテーゼを先取りしているように見えます。人間自体が一種の機械なのであって、人間と機械を対立的に考える理由はない。サイバネティクスは、ダグラス・エンゲルバートやJ.C.リックライダーが「人間とコンピュータの共生」を思考するための地盤を準備しています。

ウィーナーが「現代は通信の時代だ」と宣言するとき、フリッツ・ラングが「メトロポリス」で描いたような、「人間を使役する機械」というイメージの終焉を宣言をしているように思われます。「メトロポリス」では機械に使役される人間が描かれますが、これはおそらくマルクス主義で考えられていたような「工業の発達による労働の疎外のイメージ」だとおもいますが、ウィーナーの「サイバネティクス」という本は、マルクスの亡霊を追い払ったのではないでしょうか。

技術についての言語

とりとめもなく記述しますが、先程のユク・ホイのインタビューで、彼はかなり興味深い問の立て方をしています。

世界の文明がいまや完全に西洋思想にもとづいたものとなっているというハイデガーの言葉にしたがえば、哲学の終焉とは西洋以外の思索の方法の要請だと言うこともできます。たとえば、いわゆるグローバル・サウスが自分たちの宇宙技芸や技術的思考を再発見し、それによってテクノロジーの発展全体にあらたな方向性を与えることはできるのでしょうか?昨今の米中の政治的争いが引き起こしたファーウェイへの深刻な打撃によって、ファーウェイ独自のOSの開発が余儀なくされるのでしょうか?あるいは単に中国語で記述されたアンドロイドのヴァージョンが開発されるだけなのでしょうか? これは来るべきあらたなテクノロジーの指針や地政学にとって決定的なことなのです。

ハイデガーによると、サイバネティクスとは単一の技術的な言語を基盤とした文化をつくるものである。現代ではコンピュータがあり、プログラマーは特定の文化によらない言語を使います。これがハイデガーの考えるサイバネティクス的な状況で、現代社会とはいわばバベルの塔が建設されてしまったかのようなのです。ユク・ホイはこれに逆行するかのように「中国における技術」という観念を考えています。

考えてみるならハイデガーの技術論とは、ほとんどギリシャ語の技術にまつわる言葉の探求であり、それらがラテン語に翻訳される過程で意味を脱落・変質していった、という戦略で考察されています。ハイデガーがやろうとしていることは、古代ギリシア世界がラテン世界に翻訳されていく過程と、西洋に発する近代科学がサイバネティクスに発展していく中で言語のローカル性を脱落させる過程とを、アナロジカルに捉えているようにもみえるわけです。ユク・ホイの問いの立て方が興味深いのは、単一の言語を話すようになった近代世界のなかで、「技術言語のローカリティ」はあるだろうか?という問いになっているためです。西洋人ではない私たちにとって、大変興味深い問いになっているのではないでしょうか?

日本における技術の言葉

こんなことをダラダラと考えているのも、前山和喜さんという方が、日本におけるコンピュータの利用のされ方や需要のされ方の歴史研究を行っていて、それを「日本計算史」と呼んでいます。

前山さんの研究は、「日本において、技術がどういう形をしており、どのように語られ、利用されてきたか」ということを細かく拾い、「コンピューティングは日本でどう理解されてきたか」に踏み込むもので、ユク・ホイの問いと重なるところを感じています。

その前山さんが先日、中村健太郎さんと霞が関ビルディングについてお話しされているのを聞きました。霞が関ビルディングは日本初の超高層ビルで、耐震設計でコンピュータが積極的に利用されていたようです。

前山さんは、このときのコンピュータ利用について「御神託だ」と言います。まあ実際、今まで建てたことのない高さのビルについて「コンピュータが計算したから地震が起きても大丈夫」となるのは、神託を信じるのと同じことかもしれませんね。

前山さんがもう一点話されていたなかで興味深かったのが「超高層のあけぼの」という映画の紹介です。これは霞が関ビルディングの作成をドキュメンタリータッチで作った映画のようで、出演者が豪華なのですが、この映画のラストでは「科学技術はすばらしいですね」「いえ、素晴らしいのは人間なんですよ」みたいなやり取りになっているようなのです(観ていない...)。これはなかなか象徴的だなとおもいました。

というのも、冒頭に書いたように、アメリカ思想におけるサイバネティクスの登場は、人間存在のあり方自体を揺るがすものとしてヨーロッパ知識人に受け取られていたのです。アラン・ケイはこのことにかなり自覚的だったようで、マクルーハンのメディア論の衝撃に触れながら次のように書いています。

マクルーハンの「メディアはメッセージである」という言葉は、「メディアを使う人自身が、メディアにならなければならない」という意味なのだ。それは非常に恐ろしいことだ。つまり、人間は道具を作る動物であるだけでなく、その本質は、道具の使い方を学ぶことが人間を作り直す、ということなのだ。
「ユーザーインターフェースに関する個人的考察」

アラン・ケイがメルロ=ポンティを読んだかどうかはわかりませんが、彼はメルロ=ポンティによるサイバネティクス批判をあえて受け入れるであろうと思われます。自分が作ろうとしているものの「恐ろしさ」について驚くほど自覚的なのです。そこで賭けられていたものはまさに「人間」というものでした。

ヨーロッパの哲学者やパーソナルコンピュータの開発当事者の、技術に対する「恐れ」に思いを致すと、「超高層のあけぼの」のラストは、「技術を使用する人間の性質は不変だ」という脳天気なメッセージなのかなと聞こえてしまったわけです。未見で言うことではないのでちゃんと観ような。

いずれにせよ、「日本において技術はどう語られてきたか」という問いかけは、取りも直さず「私たちは技術をどう理解しているのか」という問いに直結していると思います。そこには、私たちなりの「技術」との付き合い方の形があるはずなのです。

最後に今後の自分への宿題として、「日本における技術の言葉」を理解するには、やはり万博前後あたりを読み解く必要があるのかなということでリンクだけ貼っておくことにします。


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