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仕事の手順を決めよう


OJTが指導の基本になっていませんか?

こんにちは。
思いつくままに文章を書いてしまいます😅

新しい仕事をするとき、そこそこ業務になれた人が仕事を教えてくれることがほとんどです。仕事の教え方はOJT(On the Job Training)が多いです。理由は簡単だからです。いつもやっている人が、やり方を説明しながら作業を見せたり、一緒にやったりします。特におかしなことはなさそうですよね。これ、実際にはひどいもんです。

仕事を教えること

上司X 「Sさん、新しく来たAさんに仕事を教えてあげて。」
Aさん 「Sさん、よろしくお願いします。」
Sさん 「Aさん、よろしくお願いします。仕事のやり方を説明しますね。一緒にやってみましょう。」

こんな感じで新人Aさんの教育を進めます。
Sさん「このaボタンを押すと、bが表示されるから、そこに製品コードを入れます。やってみましょう。」
Aさん「はい、わかりました。え〜と、aを押して・・・」
Sさん「bに製品コードね」
Aさん「はい、製品コード・・・。表示されました。」
と、こんな感じで他の仕事も説明していきます。
Sさんは上司Xに言われたので、Aさんに仕事を教えました。Aさんも完璧ではないけど仕事を覚えてこなしていきます。でも、ときどき間違えることがあります。それでもだんだんと仕事に慣れてきて、もっとうまく仕事をこなせるようになるでしょう。

うまくいく人、うまくいかない人

こういうOJTにて仕事を教えることはかなり多いです。長く勤めている人は失敗も経験しながら、対処法も身に付けていきます。普通のことです。
これ、ちっともうまくいかないこともあります。新しい人や特定の人は失敗が多い。実際に何人もいる部門で働いている人は分かると思います。
うまくいく人は、なにかコツがあるのでしょうか?
うまくいかない人は、なにか足りないことがあるのでしょうか?

仕事を教える目的

仕事を教える人は、仕事を教えることに長けているのでしょうか?
ありがちな作業員のレベル設定で、
1.作業を遂行する能力がない(新人など)
2.指導者の下で作業が出来る。
3.一人で作業できる。
4.他人に教えることが出来る。
というのがあります。
1〜3の順番は良いとしても、4の他人に教えることが出来る、というのは作業のレベル上昇の延長線上にはありません。異なる能力です。一人で仕事が出来ても他人に教えることがうまいかどうかは別なのです。
勘違いしがちですが、仕事を教える目的は、「指導者が仕事を教える」ことが目的でなく、「新人作業員が仕事を出来るようにする」ことが目的です。うまくいかないときは、「出来るようになれなかった新人作業員の失敗」じゃなくて、「組織が新人作業員の育成に失敗した」のです。これは指導直後の評価だけでなく、仕事をしていくなかでの作業の失敗も含みます。

成長するもの

提供する製品・サービスの品質を維持するためには、そこに関わる作業員の能力が必要です。顧客は「製品・サービス」に期待する品質を求めています。個人の能力でなく、組織としての能力が必要になります。個人の能力を生かした組織運営は、大きな品質のばらつきを生み出します。あの人が作業したら良いけど、あっちの人だとイマイチなんだよなー、となりやすいです。個人が成長しても、その人がいなくなれば、組織としての能力は落ちます。また、個人を一定レベルまで育成するまでは低品質の製品が出来ます。会社として製品を提供していくには、組織としての成長していかなければなりません。

組織の能力 ≒ 手順

個人で出来る人はこうやって仕事をする、というように、組織としてこうやって仕事をする。そのことが組織の能力になります。組織としての作業手順が決まっている部分は、その品質が確保されます。その手順をどこまで決めて作業できるかで品質のばらつきを少なくできます。ベテランさんは出来て、新人さんはまだまだ、なんてことを防げます。
すべての作業手順が決められていて、それを遂行している場合は品質ばらつきは小さくなります。
主要な作業手順だけ決めてあって、それ以外は個人のやりやすい方法で、という場合は作業時間、作業精度にばらつきが出やすくなります。
作業を標準化しても、予想外の事態は起こります。そのときにはどうするか、誰が判断するか、などは決めておきます。それは滅多に起こらないように、他に想定できることは事前に手順を決めておきます。主なことだけ決めて、その他は臨機応変に、なんてのは良くない考えです。その臨機応変に対応した行動、結果を手放しで受け入れることが出来るなら良いですが、結果を見て、ああやれば良かったのに、何でこんなやり方をしたんだ? と責めませんか? 私の周りからは良く聞こえてきます。

人材育成

では「人材育成」は不要なのでしょうか? 標準化された作業手順があれば良いのでしょうか?
決められたボタンを押す、物を載せる、などの作業でも教育は必要です。ただし、そういう作業でも作業の標準化は必要です。そしてその教育方法にも標準化が必要です。「何でこれを教えなかった?」なんてことがあるのです。その作業に必要なことは教えなければなりません。何が必要なのかを事前に検討して教育も標準化します。教えたかどうか、だけではありません。それで作業が出来るようになるか、忘れた場合に確認する手段は何か、なども想定します。忘れた人が悪い、なんてことはありません。人は忘れてしまうものなのです。忘れたことを思い出すきっかけや、やり方を確認する方法を用意しておきます。
なるべくなくすべきなのが個人の能力を必要とする作業です。そうは言っても、どうしても個人技を必要とする作業はあります。手っ取り早く人材が確保できるなら良いですが、そうでない場合はその技能の育成方法、評価方法を決めておくべきです。組織内で確保出来なければ、外部組織に依頼して確保することも検討します。無理やりに出来る人に仕立て上げてはいけません。

作業標準化を阻害するもの

ああ、そうだね。作業方法を決めてやっていこう!と思う人はとりあえずその方向で行きましょう。
人それぞれやりやすい方法があるし個人の能力も違うから、と思う人は作業方法を細かく決めません。やるかやらないかは思想的なものもあります。
組織の上層部は思いつきにくいことですが、徹底した作業標準化は通常作業における個人の能力差を無くしてしまいます。出来ない人の強力な武器になる反面、出来る人の優位性を奪います。努力や長年の経験などから培った能力を、他の人に分けてしまうのです。そして、今まで出来る人、出来ない人、として人事評価してきたものが崩れます。どう評価したら良いのでしょうか? 差をつけることは出来ないのでしょうか? そもそも差をつける必要があるのでしょうか? 大きな変化になります。それなら今まで通りがいいや、と考える人もいるのです。
ただし作業標準というものは成長させることができます。より良い作業方法を標準化します。それが組織の成長になります。個人の成長と違って、組織がある限りは成長を続けることが出来ます。

評価するところ

結果重視!とか格好良いとか、ビジネスは厳しいんだ!とか思っていたら要注意です。そういうのって、下の人には厳しいけど、自分や上の人には甘いです。
特に従業員なら、他の従業員にダメとか言うべきじゃない。協力して業務を進めるべきです。
作業を標準化したら、決められた作業方法通りに作業しているかどうかを評価すべきです。言われたことしかしない、決められたことしかしない、というのは良い傾向です。積極的に言われていないことですがやっています、というのは問題ありです。作業で不足していることがあるなら、それを作業に加えて標準化しなければなりません。自分が作業するときは特別な手法だから高品質なのだ!なんてことは品質を不安定にする要因になります。

手順書を作ろう

良し!手順書を作って組織を成長させていこう!
と張り切って欲しいです。そうすることで業務は安定して進められます。
ところが実際に手順書を作ろうとしてもうまくいきません。
いくつかの原因があります。組織だけで解決出来ること、出来ないことがあります。
・良い手順書の作り方が分からない
手順書は作れそうだけど、どうすれば良い手順書が作れるのか。そもそもどういう手順書が良いのか分からない。

・作業方法が標準化できていない
今まで個人のやりやすい方法で作業していたので、どう一本化したら良いのか分からない。そもそも誰かのやり方が良いのかも分からない。

・ワープロソフト(多くの場合Microsoft Word)がうまく使えない。
1枚、2枚程度の書類なら無理やりでも作れるけど、手順書のようにページ数が多くなったときに、どう使ったらうまくいくのか分からない。項番号、文字設定が簡単に出来そうだけど、やってみるとうまくできない。

・手順書作成の時間がとれない。
実際の業務があり、ほとんど時間が取れない。

こんな問題があって手順書作成は進みにくいです。どうしても、と思って作成した結果は、手順書はあるけど実際には使いにくい、使えない、使われていない、なんてことになりやすいです。悪い状態になると、手順書と違った手順で作業が行われてしまいます。
少なくとも最初の手順書を作って、手順書作成が出来るような組織が出来れば、あとは変更点を改訂していくことは短期間で出来ます。


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