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TOKYO2020 Field Cast体験記②

こんにちは、コーヘーです。
オリンピックボランティア体験記の続きです。今回は競泳が終わるところまで。
では早速いきましょう。

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7月31日

また1日休みを挟んで活動日。この日は国旗担当。国旗担当はメダリストのエスコートをやる表彰式控え室とは別の部屋で、自衛隊の人が上げる国旗を準備する担当。英語を喋る必要はないけど、国旗の順番を間違えたりとかしたら組織委員会やIOCが謝罪する案件になるので、厳重にチェックを行う。

とは言ったものの、何度も表彰式を実施していれば行程には慣れてくるし、国旗部屋はリフレッシュルームみたいなところがある。待機時間が結構長いので、みんなで喋りながら軽くお菓子食べたりしてた。この時間で他のボランティアの人の身の上話なんかも聞けた。周りは年上ばっかりなので、全員経験値が格上で、どの話も刺激的。あんまりここに詳細は書けないけど面白かった。海上自衛隊の人ともお話しして、50m自由形でドレセルが世界記録を出す瞬間を目撃して。
ゆるくも充実した1日だった。

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この日は土曜日だったわけだが、ボランティア7人とかの日があったとは思えないくらい人数がいた(多分30人くらい?)。普通に会社が休みだから来れる、みたいな社会人の人が多いからなわけだけど、オリンピックのボランティアでもそういう立ち位置になるんだなぁとぼんやり思った。

8月1日

この日は競泳の競技最終日。日本勢で残っていたのは男女の4×100mメドレーリレー。結果は周知の通りだが、現地でめちゃくちゃ応援した。(ちなみに、ボランティアの観戦は基本的には認められていないので、表彰式控え室にいる時はモニターで観戦することしかできない。)大会期間中で1番盛り沢山の1日だったと思う。

昨日に引き続き、非常にボランティアの人数が多かったので、ボランティアを統括してくれているスタッフの人が役割分担を決めてくれた。私は最終の男子メドレーリレーのアスリートエスコートに任命されたのだが、これは明らかにその日1番大変なポジションだったので、信頼を感じて嬉しかった。

しかし、日曜日ということで、この日にしかこれないボランティアの人もいて「今日が最終日」という人から「よかったら代わってくれないか」と交渉された。28日に大橋選手とも会えたし、パラにも来るし、ふたつ返事で交代した。なのでこの日はプレゼンターエスコートになった。

プレゼンターエスコートはすでに何度か経験していたけれど、この日はリレーの表彰式があり、その説明でIOCのイタリアのプレゼンターを怒らせてしまった。完全に説明が下手で、自分の英語力が情けなかった。。。

諸々が終わった後、役割を代わった人が、アメリカの競泳チームの人からもらったというピンバッジをお礼にと譲ってもらった。これがこの日1番嬉しかったかもしれない。というのも、このピンバッジのデザインがすごく良かったのだ。「2020」の最後の0の中が1になっているというデザインで、このオリンピックを迎えるにあたって、日本に足りていなかったものを感じたし、アスリートの人がこういう気持ちでオリンピックに臨んでくれていることが嬉しかった。

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これまでに述べている通り、この日は日曜日で活動最終の人が多い上に競泳最終日だったので、みんなでたくさん記念撮影をした。アクアティクスセンターの、本来であれば観客の出入り口になっていたゲートで撮影した。老若男女幅広いメンバーでありながらこうして一つのチームとして活動できたことを良かったと思う。

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この日はプレゼンターを怒らせてしまったけど、全体的に良い日だった。帰り道では、スタッフの方に向けたメッセージアルバムを作成しようという話になり、一部のボランティアの人に声をかけてもらって、チーム入りした。(最終的にはアルバム作りではLINE経由でスプレッドシートにメッセージを集めていく工程を主導し、お手伝いができた。)

ただ、1番最後に、不満も聞いた。今日の「役割交代」についてだった。「代わっていいなら、私も代わって欲しかったな。」と思う人がいたらしい。確かに、「最後だから」などと言い出して仕舞えばキリがない。スタッフの人に役割を決めてもらったらその役割をやるのがチームとして丸いだろう。

表彰式チームはみんな優しいから、ついつい代わってと言われたら代わってしまう。でも、それがあまり快く思わない人もいるのだ。私はこれを言われるまで、そんな不満を抱える人がいるなんて思ってもいなかった。自分が「参加できるだけで十分です」というスタンスだったから、周囲に気を配るところが欠けていた。すごく反省した。

もちろんこれは表彰式を運営する上では全く関係のない話で、ある種、ボランティアがチームとしてまとまってきており、かつ表彰式の運営がある程度うまくいっているからこそ生じた「レベルの高い」不満だったと思う。でも、こういうことも向き合っていかなきゃいけない、と感じた。この日は楽しかったけれど最後にすごくモヤモヤしたものが残った日だった。

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さて、これで②は終わりです。毎日記録をつけていなかった自分を呪っています。なんとかパラまでに書き切るぞ!

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