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TOKYO2020 Field Cast体験記①

はじめに

こんにちは、コーヘーです。
大会が始まったら毎日日記をつけると言っておきながら、忙しいし疲れるしで全然記録できませんでした。大会が終わって帰阪して1週間。ようやく落ち着いたので体験記を残しておきます。

この体験記は全7部構成になっています。
①~③:オリンピックでの活動記録・出来事の時系列整理
④:オリンピックでの活動を通じて感じたこと・思い
⑤・⑥:パラリンピックでの活動記録・出来事の時系列整理
⑦:パラリンピックおよびTOKYO2020を通じて感じたこと・総括
といった内容です。

興味のあるところだけでも読んでもらえればと思います。

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自己紹介

ここまで書いておいてなんですが、自己紹介をどの記事でもしていないので少しだけ。

名前:川本航平(コーヘー) 
年齢:20歳
出身:大阪府 箕面市
所属:神戸大学 3回生
高校生の頃からおよそ6年文化祭実行委員として活動していて、イベントの運営が好きです。大学ではジェンダーや障害共生、社会教育といった分野を学んでおり、今大会にはそういった観点からも関心を持っています。

TOKYO2020オリンピック・パラリンピックではテストイベント・両大会を通じて東京アクアティクスセンター(競泳会場)のCER(表彰式)チーム、Field Cast(大会ボランティア)として活動させていただきました。

2021年7月16日時点でワクチン接種は2回目を終了しており、ボランティア活動以外の外出は極力控えた上で、大阪から参加しました◎

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7月25日

初めての活動日。アクアティクスセンターの案内は結構不親切で、テストイベントに参加してなかったら表彰式控え室には辿り着けてなかったと思う。

この日は競泳の表彰式の初日で、ボランティアも運営スタッフも緊張感があった。リハーサルは行っているものの、その後で急遽変更、のようなことがたくさんあってどうなるかわからない雰囲気だった。

この日の役割は机運び。衣装に着替えることもできず、一番地味なポジションを担っていた。以降も何度も参加するつもりだったのでどうせ他の役割もやらせてもらえるだろうし、特に不満はなかった。英語を話すことに自信がないので、選手やプレゼンターと直接話す必要のないポジションをラッキーと思ったぐらいだ。

この日は大橋選手が一つ目の金メダルを取った。地味なポジションにいたので話す機会はなかったけれど、まさか初日に君が代を聞けるとは思っていなかった。

表彰式は無事に終わり、同じ大学3回生のボランティア仲間もでき、楽しく終えることができた。

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7月26日

この日はなんとボランティアが全部で7人しかいなかった。今思えば、月曜日で社会人のみなさんがあまり参加できなかったのだと思う。とにかくバタバタした。

この日の役割はプレゼンターエスコート。拙い英語でIOCやIF(国際競技連盟)のメダル・ギフトプレゼンターに説明と案内をするのはすごく気が引けたが、プレゼンターの皆さんは優しく、しっかり話を聞いてくれたので意外とうまくやれていたのではないかな。

バタバタはしたけれど、表彰式は全体的にうまくいった。IOCの偉い人が控え室に来て、ボランティアに対する感謝と表彰式チームに対する賛辞をくれた。「この大会はあなたたちボランティアによって成立している、本当にありがたい。」「今日の表彰式も良かったけど、これから回数を重ねていくにつれて、あなたたちの表彰式はもっと良くなっていく。それを楽しんでほしい。」といった趣旨だった。かなり嬉しかった。この大変な日を乗り切って褒めてもらったことで自信がついたし、ゆとりも出たように思う。

ちなみに、ボランティアで出ていた食事はこんな感じのお弁当。炭水化物が多すぎて女性陣に不評だったみたいで、オレンジ丸々一個が追加された日もあった。

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この日は伊藤選手・水谷選手の卓球混合ダブルスが金メダルを獲得した日で、普通に泣いた。伊藤選手の誕生日は私と同じく2000年10月21日、全く同じ日に生まれているのにこの差はなんなんだ。。。

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ボランティアに配布されているもの

支給されているごはんの話をしたので、ボランティアの話をするとよく聞かれる、「なにがもらえているの?」という話をしておこうと思います。もらえているのはおおよそ以下の通りです。

・ユニフォーム(アシックス提供)
Tシャツ×3・パンツ×2(長ズボンにも半ズボンにもなる)・シューズ・ソックス×2・布マスク・ショルダーバッグ
・お弁当
4時間の活動で一食
・毎日の熱中症対策グッズ
アイス、塩分補給タブレット、汗拭きシート
・交通費
1日1000円
・記念グッズ
活動日数に応じて、ピンバッジやスウォッチなど。
(加えて表彰式チームには、特別ユニフォームとサンダル)

宿泊・滞在費、および交通費の不足分は自腹になります。
こういった事情(と、コロナもあるかも?)から、ボランティア参加者は基本的に東京圏の人が中心です。

(私は埼玉の祖父母の家に滞在させてもらっているので宿泊・滞在費はほぼゼロで済んでいて、大阪と往復する交通費が主に大きな出費、という感じです。)

でも、ボランティアの参加者の方は参加することの価値にとても重きを置いている印象で、特に「支給が足りない」といった不満を耳にすることはありませんでした。大会が延期になっても変わらず参加する意思を表明したボランティアは80%程度だったそうで、ボランティア参加者の多くは熱量が凄まじかったです。

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7月28日

1日休みを挟んで活動日。これまでの経験上、私は連勤するとぶっ倒れることがあるので2日働いて1日休み、のペースでシフトを入れた。これは結果的にはかなりよかったと思う。

26日よりはボランティアの人数が多かったし、この日はいろいろなことを楽しむ余裕があった。

この日の役割はアスリートエスコート。本多選手が銀メダルを取り、続いて大橋選手がなんと2枚目の金メダルを取った。そのうち、大橋選手のエスコートをさせてもらった。最高だ。

レースを終え、表彰式控え室にやってきた大橋選手。流れは2回目だから説明など要らず、もう完璧。時間があったので、さっきまで見ていた決勝のレースについて聞いてみた。

「本当にすごいレースでした。ギリッギリだったけど、隣は見えていたんですか?」

大橋選手はこう答えてくれた。

「見えてました。自分が抜けてないのもわかっていて…。本当にラスト5mっって感じだった。はぁ〜〜〜勝ててよかったぁ。」
(記憶なので曖昧だけど、こんな感じでした。)

この台詞を聞いた時、今自分とすごく普通に話してくれているけれど、この人はオリンピックで2冠した、歴史に名を残すアスリートなのだ、と肌に感じた。猛烈に鳥肌が立ったし、この時の感情はなんと表して良いものかわからない。でも、一生忘れないと思う。

アスリートエスコートは仕事として、表彰式が終わった後の撮影時にマスクを外さないよう呼びかけなければならない。正直もっとたくさん大橋選手の笑顔を撮影してもらいたい気持ちもあり、心が痛かったのも印象に残っている。

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この日はもう一つ印象的な出来事があった。
午前中に競泳の表彰式を実施して昼休憩を取った後、午後には飛び込みの表彰式があるのだが、それをIOC理事のプレゼンターの方と一緒に観戦した。

プレゼンターの方が控え室に来る時間はまちまちで、その方はかなり早く到着してくれた。表彰式の説明を一通り終えた後、控え室にあるテレビで飛び込みの中継を見た。

これまでの活動ですでに飛び込みを何回か観ていたので、ルールなどは少しずつわかってきていた。自分なりに採点したりして楽しんでいたのだが、このIOC理事の方が隣でたくさん解説してくれた。「垂直に水面に入っていくこと」「足首の開きがないこと」「パートナーとのシンクロ」など、採点のポイントを教えてくれたし、「中国だから少し点数が高く出るかも(I think 8.0 but may be 8.5 cause they’re China.)」など、採点競技ならではの側面も語ってくれて飛び込みがグッと面白くなった。

「うーん、7.5かなぁ」
「良いね!審査員よりいいんじゃない?代わってきたら??」
「HAHAHA」
みたいな会話をして、最高の演技を決めて優勝した中国ペアには2人で拍手を送った。その2人が数分後には控え室に現れるんだから、こんな楽しいことはない。

小さい場面なのだけど、これは私の中では”United by Emotion”を感じる出来事で、良い場面だった。こういうシーンがこの大会を通じていろんな場所で生まれていたらいいな、と思う。

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(あとで調べたらこの人だった。こんなすごい人とめっちゃ雑な英語でHAHAHAとか喋っていたの、振り返ると恥ずかしい。。。)

7月29日

この日は飛び込み競技がなかったので午前中で終わり。日本人選手はこの日の決勝には出場しておらず、これまでの3日に比べると大きな出来事はなかった。

プレゼンターエスコート兼サポートとして活動した。この日くらいから初めて参加します、みたいな人もいたし、私は28日に最高の経験をさせてもらっていたので裏方の裏方みたいなポジションで活動した。

この日だったか、この前の日だったか定かではないのだけれど、「国旗を吊るすバーが降りてこない」という機械トラブルで大会プログラムの順番が入れ替わったことがあった。スケジュール的にはなんとかうまく噛み合ったし、テレビを通じて観戦する分にはそれほど大きな違和感はなかったと思うのだけれど、表彰式に出るメダリストを長時間拘束することになってしまい、競泳チームの方にめちゃくちゃ怒られた。(メダリストはその日に他にもレースが控えていることが多く、アップに行く必要がある)

「どうなってんの!?!?!?いつから表彰式は始まるんだ!!!」「あー、あの、えっと、順番が変わって、このレースの後です…。」「言ったぞ!言ったからな!!!!(Promise,promise‼︎って言われた。怖すぎる。)」みたいなやりとりがあった。

今思えばまさに裏方の苦労といった感じで面白いのだけど、その瞬間は普通にめっちゃ怖かった。

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さて、ここまでで4日分。①はここで終了にしておきます。
あまりまとまりがなく、表現も拙い文章だけれど、これもまた現場で肌に感じてきたが故のことなのかなーと思っています。

次の②で競泳編を終了し、③は水球編となる予定です。
パラが始まるまでには書き終えようと思っているので、お付き合いください。


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