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親ガチャでハズレくじを引いた立場から・・・

最近、SNS で話題の「親ガチャ」。
子供は親を選べない・・・ハズレくじを引いた・・・みたいな時、自虐的に使う言葉らしい。

元2チャンネル管理人「ひろゆき」氏が「当たりを引いた人は静観して、ハズレを引いた人は、逆境を糧にして生きろ!」みたいな、真っ当なコメントをしていた。

自分は、青春時代を母子家庭で育ち、親類縁者にも恵まれなかったので、どちらかと言うとハズレ組。
だから、親が唸るほど金を持っていて、何の苦労もなく暮らしていける友達を、ずっと羨ましく思っていた。

しかし、自分で選べない・・・と言う意味では、親だけでなく、国や時代もそうだ。世の中、理不尽な事ばかり。
唯物論的には、自然界の全てが確率で決まるわけだから、これは仕方が無いと言えば仕方が無いのかもしれない。

前述の「ひろゆき」氏は、ゲームに例えて、最初から自分に縛りを課してスタートした方が、上手くいった時の達成感が大きい・・・と言うような事も言っていた。
確かに、上手くいった時は達成感が大きいかもしれないが、その縛りのせいで、上手くいかない事の方が現実には多い。

実社会でも、ハンディーを持ってスタートすれば、それだけ失敗する確率は高まる。だからこそ「達成感」なんて都合の良い言葉を引っ張り出してくるわけだ。
最終的に上手くいかなければ「達成感」もクソも無い。

つまり、自分で選択出来ない要素で人生が決まってしまうと言う事は、親ガチャに当たるかハズレるかで、運命が、ほぼ決まってしまうと言う事。
これは、どうしようもない悲しい現実だ。

逆境を糧に成功すると言うのは、耳障りは良いが、それこそ宝クジのようなものだ。だったら「親ガチャ」にハズレた人は、どう生きれば良いのだろう?

結論を言ってしまえば、あるがままに受け入れて、あるがままに生きるしかない。
もちろん、這い上がる努力はした方が良いが、ハンディーを背負ってスタートしたのだから、這い上がれなくても当然なのだ。
それは、責められるべきでは無い。

しかし、あまりにも理不尽である。
少なくとも機会平等のチャンスを与えてくれる社会にして欲しい。
そして、それを実現出来るのは、「親ガチャ」にハズレたものの、逆境を乗り越えて成功した者か、「親ガチャ」に当たって幸運な人生を歩んできた者なのでは?

自分自身はどうなのか?
ある程度は人生を挽回出来たと思うけれど、成功したとは言い難い。
しかし、今は、「親ガチャ」に当たった人を、それほど羨ましく思ってないかもしれない・・・。

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