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向き不向きを決める要素って何なん?

伊豆の山の中でセカンドライフを送っているペースケです。
朝は5時半に起きて朝食を作り、食べ、珈琲をドリップして飲むのが日課です。
しかし、それから昼飯までの時間の過ごし方が問題です。

だいたいネットをダラダラと徘徊して終わる感じです。
本を読む気にはならないし、アマゾンプライムで映画を見る気も起きません。
まぁ、何もやる事が無いというのは、何でもやれるという事であり、ある意味、幸せなのかも知れませんが、それも日常化すると退屈になります。

何かを習慣化するには、小さな事、すぐに成果が見える事が良いらしいですが、そんな都合の良い事は、なかなか見つかりません。

私がやっている民泊はゲストに外国人が多いので、1日1つ、英熟語を覚えようと頑張った事もあるのですが、いつの間にかヤメてしまいました。
ピアノが弾けるようになりたいと、電子ピアノを買って、毎日30分練習すると決めたのですが、今はただのお飾りです。

英熟語もピアノも、それを習慣化できる人がいるのに、どうして自分には出来ないんだろう・・・と落ち込みます。
そのくせ、多くの人が続けられないと言う、日記やブログは、苦もなく続ける事が出来ます。中断することも多いですが・・・。

やっぱり、向き不向きなんでしょうか?
その向き不向きを決める要素は、一体何なんでしょう?
例の「好きか嫌いか」と「得意か不得意か」の「重なる部分」。
つまり「好きで得意なこと」が「向いていること」なのでしょうか?

私の場合、その「好きで得意なこと」を自己分析すると「何かを発信すること」に落ち着くのですが、それじゃぁ、その「何かを発信する」には、どうすれば良いのかというと、現段階では SNS やブログなんかを利用するしか有りません。

実際そうしているのですが、「目に見える結果(閲覧数)」が出ないので、もしかすると「何かを発信する」ということ自体が、私には向いてないのかも知れないなぁ・・・と思うこともあります。自分が「好き」だとか「得意」だと思い込んでいるだけなんじゃないかと。

しかし、その一方で 第三者の評価に基準を置く のが間違いで、自分が良いと思うなら、それで良いのではないかとも思います。
まぁ、独り善がり とも言いますが・・・。

結局のところ「向き不向き」とは、主観的に見てなのか、客観的に見てなのか?
例えば「野球が好きで得意ならば、それは野球に向いている」と言えます。
しかし、だからと言って、それで プロ野球の選手 になれるわけではありません。

つまり「好きで得意」にも「段階」があるわけです。
だから「向き不向き」にも「段階」があるわけです。
その「段階」は、第三者が決める事であって、自分では決めようがありません。

堂々巡りになってしまいましたが、「向き不向き」は、自分自身が「好きで得意」かどうかで 決めるしかない と言うことです。
で、話を戻すと、午前中の時間を有意義に過ごすには、私の場合、こうして「思索の時間」を過ごせば良いのかな・・・と。
そう考えると、少し気持ちが楽になりました。

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