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環境を変えるには「外力」が必要不可欠ずら〜!

今の自分は「惰性」で生きている。
物理用語で言えば「等速直線運動」を続けている。
これは「慣性の法則」ってやつだ。

しかし、本来の「慣性の法則」は、自ら「推進力」を持たない物質の場合だ。
自ら「推進力」を持たない物質は、新たに「外力」が加わらない限り「等速直線運動」を永遠に続ける。地球がそれであり、太陽系の惑星が、それだ。

しかし、「推進力」を持つ人間が「等速直線運動」をしている・・・と言う事は、要するに「摩擦抵抗」と「推進力」が拮抗していると言うことだ。
今後「推進力」は、衰える事はあっても増加する事は無い。
一方、自らを取り巻く環境である「摩擦抵抗」は、高まる可能性が高い。

「摩擦抵抗」と「推進力」の拮抗が崩れると、やがては静止するしかない。
まぁ、それが人間に取っての「死」に当たる。
遅かれ早かれ誰にも訪れる。

だから、延命の為には「外力」が必要不可欠なのだ。
この「外力」とは、具体的に何なのか?
おそらく「出逢い」であり、「運」なのかもしれない。
結局のところ、環境を変えるのは「他力本願」なのだろうか?

もちろん「推進力」に余裕があるうちは、自らの力で環境を変える事が出来る。
しかし、人生が「等速直線運動」に入ってしまってからは、非常に難しい。
速度を維持して行くだけで精一杯なのだから。
あとは、流れに身を任せて、徐々に速度を落として行くだけだ。

それが嫌なら、やはり「外力」に頼るしか無い。
今の自分に取っての「外力」とは?

友人知人親類縁者・・・と言うのが妥当な線だが、それは嫌だ。頼りたく無い。
それじゃぁ、公的支援か?
確かに、このコロナ禍で、公的支援の存在は大きかった。
しかし、公的支援は、いつでもアテに出来るとは限らない。
最後は「運」か?
宝クジやギャンブルは、時として人生を変えてくれるかも知れないが、その可能性は限りなく小さい。

「外力」を得るのも、こうして考えると簡単な事では無い。
自らの「推進力」も「外力」もアテにならないなら、「摩擦抵抗」を減らすしか無い。それが「田舎暮らし」だったわけだが、それを実現した今、これ以上「摩擦抵抗」を減らすのは容易な事では無いだろうな・・・。

仕方無い。
「推進力」と「摩擦抵抗」の拮抗を可能な限り保ちつつ、「外力」が働くのを待つとしようか・・・。

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