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立花隆 著「死はこわくない」を読んで・・・。

伊豆の山の中でセカンドライフを送っているペースケです。
私は、3日に一度の宿直バイトの時、出勤前に図書館に寄って1冊の本を借りるのを習慣にしています。そして、勤務時間の間に、それを読みます。

今回読んだのは、立花隆著「死はこわくない」です。

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最近、何となく、人間の「自意識」の存在について興味があり、この本の目次を見たら「意識とは何か」と言う項目があったので迷わず借りました。

この本は、全体が対話形式になっているので、スラスラ読めます。
そして、何よりも科学的な分析に重点が置かれているのが好みでした。
但し、著者の立花氏は、東大哲学科中退で、キリスト教信者の両親に育てられた事もあり、哲学や宗教にも理解を示しています。
私自身は、オカルトやスピリチュアル系は苦手です。

この本を読んで一番良かったと思ったのは、生物は、死ぬ瞬間、脳内にセロトニンが大量に分泌されて幸福感を感じるというネズミの実験です。
ネズミが幸福感を感じているのかどうか定かではありませんが、死の瞬間、大量のセロトニンが分泌されていて、そのセロトニンは、人間に取って、幸福感を与える物質である事が分かっています。
つまり、人間、死ぬ時は、何がしかの幸福感を感じるだろうと思われるのです。

この本では「臨死体験」なども科学的な見地から言及しているのですが、様々な研究を通して、それは死後の世界を暗示するものでは無く「夢の一種」であろうと結論付けています。脳は心臓が止まってからも、実は10分程度生きているらしい事が分かったのです。(微弱な脳波を観測)

そして、問題の「意識」に関しては、脳内のシナプス連携による「ネットワークの複雑さ」が閾値を超えた時に「自意識」が生じるのではないかと言っています。
進化の過程を経て、生物の脳内ネットワークは、複雑化する方向に進んでおり、その頂点が人間であると。

ただ、人間の脳は、電気信号によるネットワークだけでなく、様々な化学物質の影響を受けており、一種のケミカルマシンとも言えるので、現在主流となっている脳神経を繋ぐ電気的なネットワーク以外にも、そのケミカルな要素を否定出来ないのではないかとも言っています。

つまり、インターネットや AI などのネットワークが、どんなに複雑化しても、生物に見られるような、ウエットな部分(ケミカルな要素)がなければ「意識」は発生しないかもしれない・・・とも言う事のようです。
しかし、この点に関しては、まだはっきりした事はわかっていません。

どちらにしても「死がこわくない、こわく無くなった」という立花氏の言葉は、還暦を過ぎて人生が残り少なくなった人間には有難い言葉です。
私も氏のように、死に際は、密林に暮らす象のように、ひとりひっそりと死んでいきたいと思います。
でも、セロトニンを大量に浴びて、幸福感に包まれて。

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