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私に取って「行動記録」を付ける意味。

伊豆の山の中でセカンドライフを送っているペースケです。
私は、Mac の「Numbers」で、毎日の行動記録を付けて保存しています。
2016年の11月21日から始めたので、2021年現在5年目になります。

縦軸が月日、横軸が年になっていて、同じ月日の5年分が同時に見られるようになっているので、瞬時に5年の流れが蘇ります。これは、スクロールすれば、10年でも20年でも併記出来るようになっています。

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しかし、その内容はと言うと、ほとんど同じ事の繰り返しに過ぎません。
進歩が無いと言うか、安定していると言うか・・・この5年間は、ちょうど私が、伊豆に引っ越してセカンドライフを送り始めた月日に相当するので、もし、これがそれ以前の5年なら、もう少し変化のある毎日だったかもしれません。

この記録は、後世に残そうとか、誰かに見てもらおうと思って、やっているわけでは無く、パソコンのパスワードで守られているので、私の死後は誰にも見られず、パソコンと共に廃棄されるか、初期化されてリユースされるものと思います。

それなら、なぜ記録しているのかと言うと、自分の中で、今日という日を確認するためです。とりあえず今日は、これこれをやれた・・・という自分だけの安否確認のようなものです。ほんの15行程度の空白が、なにがしかの出来事で埋められると不思議と安心するのです。

実は、この行動記録とは別に、普通の「3行日記」も付けていて、その「3行日記」の要約を、この「行動記録」に転記しています。
だから「3行日記」の方は、書きっ放しで、ほとんど読み返す事はありませんが、「行動記録」の方は、常に5年分の同月同日の出来事を見返しています。

最近では「行動記録」を埋めるために1日を送っているような感覚もあります。
「行動記録」に割り当てている1日分の空白が埋まらないと気持ちが悪いので、仕方無く何かをやって埋めるという馬鹿げた事を繰り返しています。

先日読んだ、カルロ・ロヴェッリの著作に「人間は過去の痕跡を記憶し、未来を予測する能力を持っているがゆえに時間の流れを認識する」と言う記述がありましたが、この「行動記録」も、自分自身に時間の流れを再認識させる役目があるかもしれません。

最近、つくづく思うのですが、人間、時間を持て余すとロクな事はありません。
私の場合、そんな時間を埋めるためにパソコンで日記を付け、行動記録を付け、ネットでブログを書き、この「note」に記事を書き、YouTube に「note」の Audible(オーディブル)版を投稿しています。

今のところ何の見返りもありません。
しかし、精神安定剤として役に立っているのではないかと思います。
もしかすると、うつ病の予防になっているかもしれません。
出来れば、認知症の予防になっていて欲しいです。
そして、この記事が、誰かの慰みになってくれれば本望です。

ちなみにネット検索すると、日記やブログを書くメリットがヒットします。

・文章力・語彙力の向上
・記憶力の向上
・伝える力が鍛えられる
・過去を記録として残せる
・自分を客観視できる
・ストレス解消になる
・ポジティブになれる

これに私が加えるとすれば・・・

・暇つぶしになる
・備忘録として使える
・精神安定作用がある

しかし、日記を継続するのは意外に大変です。
私自身、通算すると、もう何十年も日記を付けていますが、途中で嫌になって中断した事が何十回もあります。
学生時代は、何年もノートに日記を付けていましたが、ある時、その全てを廃棄してしまった事もあります。

そのせいもあって最近は「出来事のみ」を記録し、感情的な内容は、出来るだけ排除するようにしています。
それだと、自分を客観視したり、ストレスを解消するメリットは無くなるかもしれませんが、読み返して自分に嫌悪感を抱き、せっかくの日記を廃棄してしまうリスクは少なくなると思います。

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