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最初の一歩と習慣化だけでは幸せになれない。

スイスの下院議員を務め、法学者、著名な文筆家としても知られるカール・ヒルティの「幸福論」で、幸福な人生を送る為には「最初の一歩とその習慣化が決め手になる」と書かれているそうです。YouTube の動画で知りました。

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お気付きかと思いますが、私もかねてから「生活をルーチン化すると人生が楽になる」という事を体験から感じていました。
著名な人物と似たような事を考えていたと知って、ちょっと嬉しいです。

物事は、習慣化する事で継続し易くなります。
しかし、習慣化する為には当然ですが、最初にそれを始める為の「一歩」を踏み出さなければならず、その「一歩」を踏み出すのが難しい。

私は、伊豆に移住してから、まず、中学生の時に始めたテニスを再開しました。
そして、サックスを習い始めました。
何とか最初の「一歩」は踏み出したのですが、どちらも1年経たずにヤメてしまいました。

だから、例え「一歩」を踏み出し、それを「習慣化」したとしても、「継続」するのが難しい事を知っています。それは何故なのか?

私の場合、「成果が出るまで」忍耐力が続かなかったのだと思います。
これも何度か、この場で主張している事ですが、人間、何らかの「成果」、あるいは「報酬」と言っても良いかもしれませんが、それが無いと続けられないのではないかと思います。

いやいや、テニスもサックスも、私と同じくらいの習熟度であっても、続けていける人がいるじゃないか・・・との反論があるかもしれません。
確かにそうです。では何が、その人と私を分けたのか?

満足感」ではないかと思います。
ある人は、私と同じ程度の習熟度でも、それに対して「満足感」があったが、私には無かったと言う事です。
じゃぁ、その「満足感」を決めるのは何なのか?

それが「個性」なのかもしれません。「適正」と言えるかもしれません。
結局、ある物事に対して「適正」があるかどうかで、同じように最初の「一歩」を踏み出して「習慣化」したとしても、それが「継続」出来るかどうかが決まるわけです。

それじゃぁ、「適正」とは何なのか?
好きか嫌いか」と「得意か不得意か」に分解出来るかもしれません。
ん? これって、以前紹介した 八木 仁平さんの「世界一やさしい・やりたいことの見つけ方」 に書かれていた事と同じですね。

自分が「好きな事」と「得意な事」の「重なった部分」が、自分が本当に「やりたい事」。すなわち「適正」です。
私は、テニスもサックスも「好き」でしたが、「得意」では無かったわけです。
だから「適正」が無かったのです。

ひどく持って回った言い方になりましたが、カール・ヒルティさんが言う「幸福論」は、厳密に言えば「適正のある事なら一歩踏み出して習慣化する事で幸福な人生を歩める」と言うべきだと思います。

私の場合、好きな事と得意な事が重なる部分は「何かを発信する事」です。
放送作家になったのは「何かを発信したかった」からです。
現役を引退した今も「note」と「YouTube」で発信しています。
これを「継続」していければ、幸せな人生が送れるはずです。

あっ、ひとつ忘れていました。
それに「成果=報酬」が加わる事が条件です・・・。

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