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《自らの二面性を統合するとき》

※この記事は、2018年12月13日にfacebook上で投稿した記事の転載です。

12月13日、40回目の誕生日を迎えました。色んな奇跡が重なって、この日に辿り着くことが出来ました。改めて、日頃から関わりを持ち続けていただいている方、また、これまでに要所で同じ時間を過ごさせていただいた皆様に感謝いたします。


40歳になる日に向けて、私の中ではこの数年、ある大きな区切りをつけるべく、無意識的に自らが自らを導いていこうとする気配を感じていました。その区切りとは『私の中にある二面性を統合していこう』ということです。


今の私を知る多くの方は、デザイナー、地域活動、長屋再生、イベント主催、コミュニティをつくる人、人を育てる人、もっと遡れば学生時代や勤め人時代のそれぞれの印象を思い出してくださる方もいらっしゃるかと思います。共通した印象としては、生真面目で理屈っぽくて、楽しそうではあるけれど、目の奥が笑っていない、というようなところでしょうか(笑)


自分のこの40年を振り返ってみると、自分が自分に常に課していたのは「隙を作ってはいけない」ということだったかもしれません。周りからの目に対して「しっかり者」で「真面目」で「先を見ていて」「失敗をしない」人間であらねばと、いつも自らを律することばかりが先行した40年でした。


もっと遡ると小学校の低学年の頃、「僕は人並の幸せを手にすることは出来ないらしい」と悟ってしまいました。それと同時に、「僕がこの世で生きるには、人とは違った形で何かを残さなければならない」と自覚したことを今でも覚えています。10歳にも満たないような小さな人間が、そこまでの事を思い詰めるとは、やはり動物としての本能はなかなかのものだったのだと今では感心する出来事です。


少し周りくどくなりましたが、私が40年も生きた上でようやく統合できると思えるようになったことは、私のセクシャリティ(性的指向)に関することです。私のセクシャリティは、いわゆる「LGBT」の「G=ゲイ」です。このことが私の中に二面性を生み出した一つの大きな理由でした。もっといえば、私がゲイであることよりも、それを「絶対に表に出してはいけない」という刷り込みが大きく作用しました。「表向きの普段の自分」と「バレてはいけないもう一人の自分」という二面性が自分の内側に存在しています。


私は毎年誕生日を迎える度に、「また一年、生きながらえた」という気持ちがあります。今では随分と記憶が薄れましたが、10代〜20代の頃の私はどこかいつも「この世から消えてしまいたい」という衝動と共に生きていたように思います。先日、母と兄にカミングアウトした際に母から、「そういえば20歳の頃に『○○すれば人間は簡単に死ねる』みたいな話をぼそっとしてたわ」と聞かされました。真面目に自分の道を堅実に進んでいるように見えた息子から、あまりに意外な言葉が出てきたことに当時びっくりしたそうです。


当事者の立場からいうと、今の日本におけるセクシャルマイノリティの存在というのは、「宇宙人」とか「地底人」とか「幽霊やお化け」といった類と同じようなレベルかもしれません。メディアでは連日「LGBT」「多様性」と言うけれど、生まれてこのかた「私がセクシャルマイノリティです!」と直接面と向かった経験というのは少ないかもしれません。「どうやら存在するらしい」けど「少なくとも私の周りには存在しない」というのが多くの方にとっての現状でしょうか。


目で見て分かる違いによる「区別」や「差別」もしんどいですが、見た目でカムフラージュ出来るからこその「周りから気付かれない無意識下での心の負傷」もこれまたしんどいものです。


40歳を機に、このような形で自らのセクシャリティを公表するに至ったのには、2つ理由があります。


その1つは「こんな事で自分の人生の大切な時間を無駄にしたくない」ということ。私にとっての自らのセクシャリティは「日本人」で「香川県出身」で「AB型」で「右利き」で「視力はまぁまぁ悪い」と同じくらい、私を構成する幾万の中の「当たり前すぎる要素」のたった一つでしかありません。しかし、自覚したあの日からこの30年間、ただその1つだけのことをひた隠しにする為に、私は数万回にもおよぶ「嘘」を重ねてきました。


私のこれからの人生において、自らを偽るための「嘘」には今後一切のエネルギーもかけたくない。それが結果的に別の障壁を作る結果となったとしても、それは必ず自分の力で崩せる、そう自信を持てるようになったことが今日の公表に繋がっています。


もう1つの理由は、「私はセクシャルマイノリティです!」と、この記事を読んでくださった貴方に対して宣言することで、もしかすると貴方にとっての人生初の存在になれるかもしれない、そう思ったからです。


「私の知り合いに細川という人がいてね、彼は自分がゲイである事を公表したよ」という話を、私の人となりや今までの活動などの話題と併せて話し伝えてもらえたとしたら、「セクシャルマイノリティって意外と身近にいるんだね」って意識してもらえるきっかけになると思います。


なので、この記事はシェアしていただいても引用していただいても全然大丈夫です。むしろ、一人でも多くの方の目に触れることによって、小さくてもいいから「誰か」にとっての気付きや実感に繋がって欲しいのです。


そして、今の時代にはまだまだ「見えにくい存在」だったとしても、10年、20年、30年と時代が進むにつれてフラットに捉えてもらえる「至極普通の存在」になれれば。「20年前のこの細川って人の記事、何でこんな事わざわざ書いたの?」ってちょっと笑ってもらえるような時代にしたい、そう考えています。


10歳の頃に「人とは違った形で何かを残さなければならない」と自分に誓った自分は、30年経って、子供たちの未来の為に「誰しもが生きやすい環境づくり」をと活動しています。人並には手に入れられないと思った幸せも、違った価値観で得ることが出来たのも、これもまたそれほど悪い人生ではなかったのかなと思えるようにもなりました。


今年になってからは、的を外した「生産性が無い」という発言に失笑したり、「ここにいるよ」と背中を見せてくださった先人に感謝したり、当事者として時代を駆け抜けたミュージシャンの人生に皆が熱狂する様にびっくりしたりと、今日のこの記事を書くために勇気付けられる出来事や衝動がたくさん起きた1年でした。まさに時流が変わる節目の年だったのかもしれません。


正直、この記事を書く事に対して、とても大きな抵抗を自分の中に感じてきました。いざ文章を打ち始めた後も動悸が激しいですし、公開した後になってとんでもなく落ち込むかもしれません(笑)それくらい、この30年という時間の重みが私に大きくのしかかっていたのだと思います。


ただ、間違いなく言えることは、「私の人生は私にしか生きられない」し、「自分らしく生きる為のリスクは、喜んででも犯していくだろう」ということです。他人の目じゃなく、自分で自分をしっかり見つめる目に誠実にいたい、嘘偽りの無い純粋な時間を過ごしたい、そう願うばかりです。


ここまで書いて読み返してみると、まとめようと思ってもまとまり切らない、生煮えで不完全で不条理な自分の感情が溢れていることに気付きました。しかし、こうやって感情の重い蓋を開けることで、いつしかさらっとした過去のこと、思い出に変わる日がくるのだとも思います。長々と書いたまとまりの無い文章をこうやって最後までお読みくださったことに、本当に、本当に感謝いたします。ありがとうございます。


最後になりましたが、こんな風に「刺激的な個性」を与えて産んでくれた両親に感謝します。たぶん、普通の人の100倍くらいエキサイティングな人生を送らせてもらっているような気がします。途中、しんどかったけど(笑)


実家で暮らす母は、間違いなく私にとってこの世で一番尊敬する人であり、一生頑張っても越えられないような立派な生き方をしてきた人です。生きていくのに必要なことを、過不足無く全て与えてくれました。本当にありがとう。


私が中二の時、47歳で亡くなった父。不思議ですが、いつも私の側にいてくれているという実感があります。貧しい環境の中でも才能豊かに表現し、短い人生を全うしたその姿はこれからも大きな目標です。


3歳年上の兄。私が人生で最初に挫折を味わったのは兄のモノづくりの才能に到底かなわないと悟った時でした。今でも圧倒的に前を走って背中で生き方を見せてくれるその存在は、単なる兄弟という関係を超える存在だと思います。


40年生きてこれたのは、やっぱり家族の存在があってのこと。身体の中を脈々と打つ血の流れを感じる度に、この世に誕生させてもらったことへの感謝の気持ちが溢れます。


また、今までは一切プライベートを伏せてきましたが、長い間、こんなややこしい人間とでも濃い時間を過ごしてくれているパートナーに心の底から感謝します。私の人生を根っこからすべて変えてくれた人。人生の宝です。


そして、日々一緒に戦っている(ほぼ同じ顔の)仕事のパートナーや仲間たち、日々活動を共にする皆さん、いい感じの距離感で見守ってくださっている皆さん、日本全国の同じ根っこの仲間たち、そして、こんな長文駄文を最後まで読んでくださった貴方、本当に、本当にありがとうございます!


こうやって個人的な事をわざわざ公表することに、最終的にはどんな意味があるのかは書いている今の段階では分かりません。ただ、生きてきた「しるし」として書き残したいと思います。


これからの半分の人生も、出し惜しみ無き日々を送りたいと思います。


2018年12月13日

細川裕之



※この文章はとても個人的なものですが、情報のシェアなどは私への承諾無しに自由におこなっていただいて結構です。何かしらの情報の足しにでもなれば、、、。


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