技法の信憑性(6):音韻五行<下>
※前半はこちら ⇒『技法の信憑性(6):音韻五行<上>』
●勘違いの先駆者
さて熊﨑氏は、「音霊」の技法を広める際、勘違いから「五気」を批判しましたが、勘違いしたのは熊﨑氏が最初ではありません。こんな勘違いにも先駆者がいたのです。何ごとにも先駆者はいるものです!
その先駆者とは、「音霊」のところでも触れた和田哿邦、上野勝啓の両氏です。彼らの『哲学的姓名学之基礎』を見てみましょう。「音読みを用いるのは間違いで、発音のままに五行を配当するのが正しい」として、次のように説明しています。
この書は大正3年〔1914年〕の出版ですから、熊崎氏より約15年前です。ことによると、熊﨑氏は彼らの勘違い説に影響されたのかもしれません。
●「音韻五行」を受け入れた占い師は例外的だった
和田・上野両氏は、業界初の音霊法の紹介と同時に、音韻五行の技法についても、上記のように解説していたのです。
ところが、その後の十数年間、追随する占い師はほとんどいませんでした。私が調べたところでは、熊﨑氏より以前に姓名判断書を出版した占い師は約80人いましたが、この中で和田・上野両氏の方法、つまり音韻五行を用いた可能性があるのは、たった1人です。[注1-3]
なんとも寂しい限りで、和田・上野両氏は新しい着想に自信があったようですが、同業者の受けは予想外に悪かったのです。
●なぜ「音韻五行」は同業者に受けなかったか?
同業者に受けなかった理由は、だいたい見当がつきます。ひとつには、五気を支持する占い師たちの解説でわかるとおり、この音韻五行という技法が五気の基本的な考え方、つまり漢字音を通じてその漢字に潜む五行的性質を捉えようとする発想から逸脱していることです。[*2-4 ]
そしてもうひとつ、漢字を訓読みしたのでは、一字に複数の五行を配当しなくてはならない、という根本的な問題があるのです。『哲学的姓名学之基礎』はこの点を巧妙に回避していますが、注意深く読めば、すぐに気づく矛盾です。同書からの引用をもう一度見てみましょう。
この説明のどこがおかしいか? 「とよとみ」の読み方から五行の配当を「豊臣」とするには飛躍があるのです。正しくは「とよとみ」ですから、「豊臣」でなければなりません。同じ理屈で、「秀吉」は「ひでよし」ですから、「秀吉」でなければならないのです。
したがって、この技法は本来、「とよとみひでよし」の8個の五行配列で吉凶を判断すべきなのに、そうなっていないのです。つまり、この音韻五行という技法は創始された時点ですでに混乱していたのです。
●和田・上野両氏の勘違い
この方法は漢字の音読みを五行に変換する五気の技法とは質的に異なるものです。いっそ「新しい技法を創案した」とだけ言っておけばよかったものを、「従来の豊臣秀吉は誤りで、豊臣秀吉が正しい」と言い切ったものだから、かえって話がややこしくなったのです。
両者を対比させて独自性を強調したい気持ちはわかりますが、これはちょっとまずかったですね。
漢字の発音は本家中国においては基本的に単音節です。なので、音読みを用いるなら、呉音や漢音などの異なる時代や異なる地域の漢字音を混同しない限り、ひとつの漢字に五行の気がひとつ決まります。
発音が日本的に訛っていても、「豊」の音読みはホー(ho_)の一音節です。h音をハ行と考えれば、水の気となります。ところが、これを訓読みで トヨ(to-yo) と読んでしまうと二音節になり、t(タ行)の火と、y(ヤ行)の土のふたつの気を持つことになるのです。
豊臣秀吉としたことで、8個の五行の気のうち4個が何の説明もなく無視されているのです。このような技法上の混乱があったので、当時の同業者に注目されなかったのは当然でしょう。
●熊﨑氏が考えた複音節の回避策
もっとも熊﨑氏は、訓読みではひとつの漢字が複音節になると気づいていました。そこで次のような解決策を考え出しました。第二音節以下の影響は無視できるとしたのです。
しかし、この説明ではまったく不十分です。第二音節以下の影響が小さいという根拠も不明ですが、それ以前の問題として、第二音節以下を無視できるなら、五行の相生相剋が出る幕は無くなってしまいます。
たとえば、「秀吉(ひでよし)」という名前であれば、聴覚的には「hi(第一音節)-de(第二音節)-yo(第三音節)-shi(第四音節)」です。「秀」と「吉」を別々に認識したりしません。
熊﨑氏は「姓名学上の音が人の運命に影響するところは、音そのままの波動であって、・・・実際の発音そのままの音色と音律によって判断すべきである」と断言しているわけですから、当然、こうなりますね。
であれば、第二音節の「で」を無視できるのに、第三音節「よ」の影響を気にする理由があるでしょうか。第四音節の「し」はなおさらです。つまり、「秀」と「吉」の五行の相生相剋を考える必要性がそもそもないのです。これでは音韻五行という技法自体が成立しませんね。
●宇田川氏の熊﨑氏批判
『技法の信憑性(5):音霊』で宇田川豊弘氏の熊﨑氏批判を紹介しましたが、あれは前半の部分だけで、まだ後半が残っていました。続きを見てみましょう。宇田川氏は、熊﨑氏が音霊の鑑定法を解説していないとして、次のように批判していました。
『熊﨑式先天運推理学大奥秘』は乾・坤の二分冊で合計300ページ強あり、『熊﨑式姓名学大奥義』は天・人・地の三分冊で合計450ページ弱です。両方を足すと、驚きの750ページ!これをぜんぶ読み通すのは、けっこう大変です。
「音霊の鑑定法はどこだ? どこにも書いてないじゃないか!」 宇田川氏の失望と憤りが伝わって来るようですね。ま、それはともかく・・・。
●「音韻五行」の鑑定法にすり替えた?
ここでテーマは音霊から音韻五行に移っていきます。宇田川氏は、熊﨑氏が音霊の鑑定法を説明する段階になると、音韻五行の鑑定法に話をすり替えているというのです。
音霊という技法は、五十音の各音がそれぞれ意味を持つというものでした。一方、音韻五行は音を五行に置き換えて、その相生相剋で吉凶を判断するものです。姓名判断の技法としては、確かに両者は別物のようです。
●もともと「音霊」と「音韻五行」はどうだったのか?
では、この技法を考案した和田・上野両氏は、この点をどう考えていたのでしょうか。『哲学的姓名学之基礎』の解説を見ると、彼らも当初からこの二つの技法を別物と認識していたことがわかります。
人が発声する音韻には「音霊」と「音質」の二種類の影響力があり、この両者を別々に判断しなくてはならない、というのです。そして、この「音質」を吉凶判断する方法が音韻五行です。
こうして見ると、「音霊の鑑定法を書かず、音韻五行の鑑定法にすり替えている」という宇田川氏の指摘は的を射ているようです。
ただ、大もとの『哲学的姓名学之基礎』にも音霊の鑑定法は書いてありません。熊﨑氏と同様、五十音の個別の意味を載せているだけです。出発点に問題があったということでしょう。
●宇田川氏の新五行説
それでは、宇田川氏自身の見解はどうなのでしょう。意外なことに、「ア・ヤ・ワ行の音を土性 ・・・ とする五行説は間違いだし、相生を吉、相剋を凶とする判断も間違いだ」と一蹴したあと、「あれ?」と思うような驚くべき新説、というか奇説を開陳しているのです。
このように、いきなり「ア音(A)―火性、エ音(E)―金性、イ音(I)―土性、オ音(O)―木性、ウ音(U)―水性」と断定しているのです。
しかし、私が調べた限り、中国の五行思想に母音と五行の関係はありません。しかも、「相剋が吉で、相生は凶だ」とは一般的な解釈と正反対です。これは要するに、宇田川氏のオリジナル「新五行説」ということでしょう。
宇田川氏の主張には、ほかにも混乱した部分が多々あります。熊﨑氏の音霊批判までは鋭い指摘に思えたのですが、話が彼自身の判断法に及んだ途端、一気に興が醒てしまいました。とっさに閃いたのが、次のことわざです。「目○鼻○を笑う。」
もうお気づきでしょうが、音韻五行を用いる流派のうち、音の母音を五行に置き換えるのは、宇田川氏が起源だったのです。ただ、冒頭で紹介した流派は、いずれも母音と五行の関係が宇田川氏とは異なっていますね。
●「音韻五行」の発展史を振り返る
大正期の初め、和田・上野両氏が業界初の姓名判断法、「音霊」と「音韻五行」(当初は「音質」だった)を公表しました。もともと二つの別種の技法として考案された「音霊」と「音韻五行」は、熊﨑氏が世間に広める際、融合してひとつの技法(かどうか、はっきりしませんが)になったようです。
その後、宇田川氏が「これはおかしい」と気づき、熊﨑式姓名学を批判しました。そこから再び「音霊」と「音韻五行」に分離します。ひとり歩きし始めた「音韻五行」は、宇田川氏の新説をも取り入れ、新しい亜流をいくつも生み出していったのです。
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