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名前で運勢が変わるか?(9):音には固有のイメージがある<上>

『名前は性格や運勢を左右するか?(1)~(9)』では、名前あるいは漢字の視覚的なイメージが運勢を左右する可能性を検討しました。

そこで次は、名前を声に出したときの音の側面、つまり聴覚的なイメージの影響力について見てみたいと思います。

●擬音語でどこまで説明できるか

以下に『日本語を考える』(岩淵悦太郎著)から引用させていただきます。

日本語の母音や子音には、それぞれ、一種のニュアンスが感じられる。たとえば、カンカン、キンキンを比較してみると、これらは物音を写したものであるけれども、ア母音を含んでいるカンカンの方は明るく大きい感じがする。それに対してイ母音を含むキンキンは、鋭く冷たい感じがする。

また、カンカンとガンガンを比べてみると、カンカンは澄んだ音を表すのに対して、濁音を使うガンガンの方は鈍くて重い感じが表される。サラサラ、スルスル、ソヨソヨなどと、ヌルヌル、ネチネチ、ノロノロなどを比べてみると、前者のS音を含むものは、すべっこくて何かさわやかな感じがするのに対して、後者のN音を含むものは、粘着性といったようなものが感じられる。

このように、ある程度、一々の音に、一種の音感があると言えそうである。・・・しかし、日本語の単語を・・・すべて擬音語で説明したりすることは、まず無理である。

『日本語を考える』(岩淵悦太郎著) [*1]

このように考えるのが普通でしょう。日本語の単語をすべて擬音語で説明できないのと同様に、人名の読みをバラバラにして、その一音一音に意味付けしようとするのは、常識的には無理がありそうです。

●語音の質には印象の違いがある

ところで、擬音語の音が特定の印象を与えるのは経験的に理解できるとしても、サラサラやヌルヌルなどの音表現で感じるS音のさわやかさ●●●●●、N音の粘っこさ●●●●はどこからくるのでしょうか。無難な説明としては、恐らく次のようなものです。

音から受ける印象は、特定の音(母音、子音)が擬音語として使われることで、結果的に、音が固有の印象を与えているかのように、私たちが錯覚しているのだ。

清音に比べて濁音が鈍くて重い感じがするのは、たとえば中空の金属棒などを叩いたとき、細くて肉薄の棒は「カンカン」という清音を使ったほうが、また太くて肉厚の棒は「ガンガン」という濁音のほうが、実際の音に近いような気がします。

このような体験を日常的に繰り返すうちに、鋭く(薄く、細く)て軽いものには清音が、鈍く(厚く、太く)て重いものには濁音が、それぞれ結びついてしまったのではないか。

つまり、濁音それ自体には特別な印象は無いのだが、鈍くて重いものを濁音で表現することが多かったので、結果的に「濁音は鈍くて重い感じ」になった、という可能性です。

●擬音語の周波数は実際の音に近い

あるいはまた、私たちが擬音語として発声するときの周波数が、実際の音のそれに近いことも、関係があるかもしれません。

事実、木魚もくぎょを叩くときの「ポクポク」、せんべいを食べるときの「パリパリ」、まな板の上で食材を切るときの「トントン」などは、人間の発音と実際の音を比べると、周波数がほぼ同じという実験結果があります。

たとえば、木魚が出す音の周波数は610ヘルツですが、人間が「ポクポク」と発音するときの周波数は600ヘルツだそうです。[*2]

しかし、ニヤニヤ、タラタラ、ヌルヌルなどの擬態語には、擬音語と違って、自然界にはもとになる音がありません。にもかかわらず、これらの語音は「特定の状態」を適切に表現している感じがします。

ニヤニヤなどを音として聞いた人はいないでしょう。(少なくとも、私は聞いたことがない)音を発しない様態を語音で表現できるという事実こそ、語音そのものの「質(音質)」に印象の違いがあるという、なによりの証拠かもしれません。

などと想像を膨らませていたところ、「音相」という面白い研究をされている人がいました。

=========<参考文献>=========
[*1] 『日本語を考える』(岩淵悦太郎著、講談社)
[*2] 『誰も知らない声の不思議・音の謎』(鈴木松美著、講談社)

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