数秘術の信憑性(4):ゲマトリアは日本人の名前に使えるか?
●ゲマトリアは日本人に不向き
日本人の名前の場合、どのローマ字変換方式を採用するかは大きな問題ですが、それ以前に、もっと根本的な問題があります。この技法は、アルファベットを使わない日本人の名前には、本来的に向いていないということです。
ゲマトリアとは、発音ではなく、文字に秘められた意味を読み取る技術です。「文字=発音」(文字と発音が常に1対1で対応)かどうか不明な日本語で、発音をもとに文字を書き換えたりすれば、ひょっとしたら名前が持っているかもしれない象徴的意味を損ねる恐れがあるのです。[注1]
●日本語では「文字=発音」が保証されない
『国語音韻の変遷』(橋本進吉著)によれば、日本語の場合、同一の文字でも時代によって発音は異なります。たとえば五十音の「は行」は、その昔、ファ、フィ、フゥ、フェ、フォとF音で発音したそうです。
さきほどローマ字の歴史のところで「平家物語」が「フェイクェの物語」と綴られている例を見ましたが、あれはその当時、実際にそのように発音されたのです。
どうしてそんなことが分かるのか? 室町末期に日本に来た宣教師は「日本語について十分の観察をして当時の標準的音韻を葡萄牙式のローマ字綴で写したものであるから、信憑するに足り」るのです。[*1]
こういうことが現実に起こっている以上、日本語では「文字=発音」が保証されていないと考えるべきでしょう。つまり、ゲマトリアを日本人の名前に応用する場合、勝手な約束ごとにもとづいて、無意味なアルファベット変換をしている可能性が高いのです。
仮にこのような操作が数秘術的に許されるなら、欧米人の名前を漢字に変換して、字画数による姓名判断も可能になるはずですが、これはかなり疑わしいでしょう。
たとえば、元アメリカ大統領のバラク・オバマ氏なら、「小浜馬楽」などと漢字変換できそうですが、こんないい加減な変換で人の性格や運勢が分かるとは思えませんよね。
●日本式の姓名判断は欧米人の名前に使えない
『名前のはなし』(高梨公之著)には、この問題に関連した面白いことが書いてあります。かつてのアメリカ大統領ロナルド・レーガン氏の名前についてですが、日本の新聞各社があるときから表記を変えたというのです。
「理厳」と「冷眼」では字画数が違うように、ゲーテとギョオテ、ドストエフスキーとダスタエフスキイも漢字変換すれば表記が異なり、画数も違うはずです。表記が違っても彼らの性格や運勢が変わらないとすれば、漢字変換そのものに信憑性がない、ということになります。[注2]
日本人の名前をローマ字に変換するのも、これと同じではないでしょうか。
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