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名前で運勢が変わるか?(2):ソクラテスと占い

四万件の人名データを調べたところ、公務員には「敬」の文字が多く、政治家では「政」「行」「栄」が特に多いということでした。確かに、名前と職業には何か関係がありそうに見えます。

では、この結果からどんなことが言えるでしょうか。「名前が将来の職業を予言(占い)」したのでしょうか、それとも「名前が職業を決定(魔術)」したのでしょうか。

●名前と職業の関連性は「占い」の予言成就か?

古代ギリシャの哲学者ソクラテスは、今から2400年も昔の人ですが、占いに関して、こんな衝撃的なことを言ったそうです。

神々が実在せず、占いを通じて神々が人間に吉凶禍福を教えるという信念が誤謬であるとしたら、幾時代もの長い間、人間が占いを信じ続けたはずはない。われわれが将来を予知できずにいるとき、神々は占いを通じて事の成行きを示し、どうすれば最良の結果が得られるかを教えてくれる。(要約)

『ソークラテースの思い出』(クセノフォーン著)[*1] [注1]

なんと、あのソクラテスは神々の実在と占いを信じていたのです。そればかりか、自らも占いを実践していました。

「占い? ソクラテスは迷信家だったのか」などと、早まってはいけません。彼は「哲学の祖」とされるほどの人物です。そんな知性と理性のかたまりみたいな人が、占いを盲目的に信じるはずがありません。

当時のギリシャは、決して無知と迷妄に囚われてはいませんでした。ソクラテスと同時代の知識人、たとえば政治家のペリクレスや歴史家のトゥキュディデス、それに劇作家のアリストファネスなどは、占いを迷信と考えていました。[*3] [注2]

そうした時代に哲人ソクラテスが占いを信じるからには、信じるに足る根拠があったのです。

彼は、数々の経験を通じて、神霊の忠告――それはたいてい、占いで得たようです――が正しいかどうか検証し続けました。その結果、どんなときも神霊の忠告は正しく、信頼を裏切られたことは一度もなかったそうです。[注2]

そして、神霊の忠告に従ったときは、必ず善い結果が得られ、反対に忠告を無視した時には、必ず悪いことが起こったのです。

●ソクラテスと高島嘉右衛門

ところで、先のソクラテスの言葉で、何か気づいたことはありませんか。

われわれが将来を予知できずにいるとき、神々は占いを通じて事の成行きを示し、どうすれば最良の結果が得られるかを教えてくれる。

『ソークラテースの思い出』(クセノフォーン著)[*1] [注1]

そういえば、どこかで読んだような・・・? そうなんです、易聖 高島嘉右衛門かえもんの『高島易断』です。あの序言を彷彿とさせるではありませんか。彼は次のような意味のことを書いていました。

人々は神に通じる道を忘れたため、未来を知ることができなくなり、ものごとの結末を見通せなくなった。・・・易占は神と人が連絡するための電話であり、『易経』は神の啓示を解釈する辞書である。(要約)

『増補 高島易断』(呑象高島嘉右衛門著、八幡書店)[*4] [注3]

神霊の実在と占いを信じることでは、ソクラテスも高島嘉右衛門も違いがないように思えます。どちらも、ひとつの道を極めたことで、同じ境涯に到達したのかもしれません。

「哲学の祖」と「易聖」がそこまで言うなら、もっと「占い」を信頼しても良いのではないでしょうか。

●名前が職業を予言した可能性は期待うす

では、『赤ちゃんの名前』の「名前と職業の関連性」は、名前が暗示する予言(将来の職業選択)が当たったのか?

いや、その結論に飛びつくのは早計かもしれません。なぜなら、ソクラテスと高島嘉右衛門が用いた占いは、「鳥占い」や「易占」などの偶然性を利用した占いです。

それは、神意を問うために1回限り行われる、特別なものです。姓名判断のように、いつ占っても、何回占っても、同じ結果が得られる占いとは性質が違うのです。[注4]

「哲学の祖」と「易聖」のお墨付きが無いとなると、「名前が将来の職業を予言(占い)」した可能性はそれほど期待できないことになります。

=========<参考文献>=========
[*1]『ソークラーテスの思い出』(クセノフォーン著、佐々木理訳、岩波書店)
[*2]『ソークラテースの弁明』(プラトーン著、田中美知太郎/池田美恵訳、新潮文庫)
[*3]『ソクラテスの宗教』(マーク・L・マックフェラン著、法政大学出版局)
[*4]『増補 高島易断』(呑象高島嘉右衛門著、八幡書店)
[*5]『西洋占星術の歴史』(S.J.Tester著、恒星社厚生閣)
[*6]『世界占術大全』(アルバート・S・ライオンズ著、原書房)

=========<注記>=========
[注1] ソクラテスが神々を信じ、占いを実践していた証言
 ソクラテスの弟子クセノフォンは、『ソークラテースの思い出』の中で、次のように書いている。

「彼(ソクラテス)は何度も自分の家において、また何度も国家公共の祭壇において、犠牲の祭を行ったことが誰にもわかって居り、また占いを用いたこともよく知られていた・・・。」

「ソークラテースは ・・・神霊(ダイモニオン)が諭(さとし)を与えると言ったのである。そして神霊の諭せるところにしたがって、いろいろな弟子たちに、あるいはそうするがよいとか、またはそれはしてはならぬとか、言って聞かせた。」

「神々が知識によって行うようにしてくれたことは、学ばなくてはならぬし、人間に明白でない事柄は、占いを通じて神々から伺うようにしなくてはならぬ・・・というのである。」

「ソークラテースは、神々はわれわれの言葉も行いも、黙って考えていることも、すべてを知り、あらゆる所にいまし、人間の事の一切について人に諭しを与えると考えていた・・・。」

「〔ソクラテスが言うには〕神々は吉凶禍福を授ける力があるという信念を、じっさいにその力がないなら、果たして人間に植え付けたと思うか。そして人間は幾時代の長い間、ごまかされ通して、ついに気がつかずにいたと思うか。」

「・・・われわれが将来のことについて何が有利であるか予知できないでおれば、神々はこれについてわれわれに力を添え、お伺いを立てる人々に占いを通じて事の成行きをお示しになり、どうすれば最良の結果が得られるかを教えてくださるのだ。」

「〔ソクラテスは〕人知を越えた助言を欲する人があれば、これには占いを勉強するように忠告した。なんとなれば、彼の言うのに、神々がもろもろの問題について人々に知らせてくれるその知らせ方の知識がある人は、いつであろうと神々の忠告に事欠くことはないからであった。」

『ソークラテースの思い出』(クセノフォーン著、佐々木理訳、岩波書店)

[注2] ソクラテスはなぜ神霊と占いを信じたか?
 米国の代表的なソクラテス研究者によると、神霊(ダイモニオン)と占いに対するソクラテスの態度は、きわめて理性的なものだったという。そして、長期にわたって検証を重ね、その結果として、ソクラテスはこれらを確信するようになった。

ペリクレスやトゥキュディデスのような啓けた同時代人が巷の迷信から超然とした立場をとることができたのであれば、そして、伝統的な傾向をもった劇作家たちでさえ(アリストファネスの、たとえば『鳥』『騎士』『蜂』『雲』)占い師や「神託屋」たちを容赦なくからかうことができたのであれば、どうしてソクラテスにも同じことができなかったのか。

〔神霊がソクラテスに啓示する〕その知恵は帰納的、演繹的根拠の両方に基づいて理性的に確証され、それゆえに最大限の信用が与えられることができるのである。

帰納的には、(1)ソクラテスはそれを長い間経験しているが、それが信頼できなかったためしは一度もなかったし、(2)その警告の信頼性は、それに従うことから由来する善い結果、並びに、その警告を無視した時他人にふりかかることになった悲劇から確証されてきた、という根拠がある。

演繹的には、(3)ダイモニオンはソクラテスの解釈では、神の贈り物(ある行為事例をなさないようにという警告)であり、神々は善のみをわれわれに与え、決して欺かず、最高度に知恵ある者である、という根拠がある。

『ソクラテスの宗教』(マーク・L・マックフェラン著、法政大学出版局)

[注3] 『高島易断』(高島嘉右衛門著)の序言
 詳しくはこちら⇒『「姓名判断は我が国百年の歴史」が本当だ(4)

[注4] ソクラテスが用いた占い
 ソクラテスが用いた占いの種類は、『ソークラーテスの思い出』『ソークラテースの弁明』の次の記述から、ある程度推測できる。

「占いを信じて鳥や人語や前兆や犠牲に神意を問う他の人々とくらべて、彼(ソクラテス)はなんら彼ら(占いで神意を問う他の人々)以上に新しい物を輸入してはいない。・・・また彼は、親しいものたちに対して・・・結果がどうなるか明らかでないことについては神託所へ人をやって、行うてよいかどうか訊ねさせた。」(『ソークラーテスの思い出』)[*1]

「しかし、わたし(ソクラテス)にとっては・・・神によって、なせと命じられたことなのだ。それは神託によっても伝えられたし、夢知らせによっても伝えられた。また何かほかに、神の決定で、人間に対して、まあ何であれ、何かをなすことが命ぜられる場合の、あらゆる伝達の方法がとられたのだ。」(『ソークラテースの弁明』)[*2]

訳註によると、「鳥占い」は、鳥の空に現われる方角によって吉凶を占う。「人語占い」は、道などで出会った人の声または言葉から将来のことを予知しようとする。「前兆占い」は雷鳴とか電光、地震、雲の形、出会った動物、人間など、いろいろのものに事の予表を見る。「犠牲占い」は犠牲にささげた動物の内蔵の形で占う。[*1]

これらはいずれも、神意を問うために、ただ一回限り行われる占いである。ソクラテスの時代には、いつ占っても、何回占っても、同じ結果が得られるような占い(手相占いやホロスコープ占星術など)は、まだ無かったようだ。[*5-6]

ちなみに、手相についての最も古い文献はアリストテレスの『動物誌』で、そこには「長命の人の手のひらには直交する線が1本か2本伸びており、短命の人の手のひらにはそれほど長くない線が2本ある」と書かれているという。これを手相占いの原型とみなすにしても、年代的にはソクラテスよりだいぶ後(師弟関係はソクラテス→プラトン→アリストテレス)である。

また、ホロスコープ占星術については、「アレクサンドロス大王の時代以前にギリシャ人が個人のホロスコープを作成したという証拠は事実上存在しない・・・天体の配列にもとづいて歴史的な出来事を予測したものさえ存在しなかった」とされる。

年代的には、アレクサンドロス大王はアリストテレスより後(アリストテレスはアレクサンドロス大王の家庭教師だった)なので、ソクラテスがホロスコープ占星術を使ったとは考えにくい。



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