夜桜さんちの大作戦157「愛してる」

義弟を、家族(かぞく)を救うためーー
    家族(ちち)への想い、全てを込めてーーー

 


 熱い展開になってまいりましたね!
 遂に凶一郎の開花!
 能力は一体なんなのか。開花は自分の遺伝子強化って設定なので、自身の能力を強化するってスタンスは百を含め変わってないはずですが、なんか152話辺りの口振りから、周囲を巻き込む力っぽいんですよね。
 百の場合は、「万花繚乱」のエネルギーを周囲に伝播させる力を強化してるって形で納得いくんですが、凶一郎は万花繚乱できないはずだし、仮に14巻後できるようになっていたとしても、それ以前から「開花」の性質は変わってないだろうから、一体どんなチート技なのやら…!


 百が洗脳という手段を取ったのは、128話や131話で家族から訣別されたからだったということがわかりました。

百はすでに自分の出来うる限りの努力をした結果、家族に亡霊として消えろと憎悪の目を向けられているわけで、夜桜という組織において、「家族による否定、決別」という最大の罰を与えられてしまった百に対して、ちょっと同情的になってしまうと言いますか…、どんな手段を用いても、家族団らんを望んでしまうって、多分夜桜一家だったら誰でも選んでしまうんじゃないかなって思うからなんですけど。
 凶一郎なんかと比較して百を見ると、踏み外す前に救ってくれる人がいなかったのか、運の無い人だ、なんて思ってしまうわけですよ。
 まあ、百は夜桜タブーの「家族(零、六美)殺し」をしているようなので、そういう意味では絶対許されない存在ということではあるのでしょうが。

夜桜さんちの大作戦感想143「そば打ち」



 今の自分を愛してくれないなら、過去の自分でいいから愛してくれと。受け入れられないなら受け入れられない事実は忘れていいよと、まさしく都合のいい「夢」ですね。
 凶一郎は六美が産まれた時から、一番長い間父の狂気を感じていたからこそ、そのあり方(人格)愛する(理解)することができたんでしょうね。
 以前も書いた、夜桜一家の「家訓」と「家族愛」は対立し得るのかというのが、やはり百への「憎しみ」と「愛情」で揺れる姉弟と凶一郎の違いでしたね。

 でも思い返すと118話では、凶一郎は父親を顧みなかったんですよね。その父に引導を渡そうと思えたのは、家族の目の前から消えようとした時、姉弟総出で止めてくれた、凶一郎の間違いを家族みんなが気付かせてくれたからなんだろうなと。
 だからこそ、余計今の食卓に並んだ姉弟の姿は許せないだろうし、父を許しはしないけれど、自分の手で葬ろう。と、凶一郎の強い想いを感じざる得ないですね。


 しかしながら、「女神の巣」、読みは「アラクネ」ですね。
 この「アラクネ」って傲慢の象徴に使われるらしいですよ。それを知って、そういえばこの技を披露した時、その前に「お前「達」を守っているのはこの俺だ」ってものすごい傲慢な発言してたなって、納得しました。もしかして権平先生の風刺だったりします?
 夜桜兄妹が七人なので、7つの大罪ネタでイラスト描きたいなって考えが以前からあるんですけど、これはもう長男「傲慢」一択ですね。一人で大罪網羅できんじゃんとか思ってないですよ(目を逸らす)


 百vsは凶一郎の戦いを姉弟が見守って、それぞれが父との訣別を果たす。みたいな展開を期待していた私としては、このまま他の姉弟たちは目が覚めた時には全て終わってた、なんてことにはならないでほしい。ならないと思いますが。
 いつもの夜桜のペースだと後二週くらい戦闘があって、話が転換してって感じになるとは思うんですが、ここから一体どう和解するのか、それとも父が生きている間に和解はできないのか、先が見えずハラハラしてます。



今週のイラスト
深層世界に沈む二刃。みたいな

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