見出し画像

「37seconds」

Netflixのエンディングカット機能、常々いらないと思っていて毎回ちいさくイラッとしていたんですが今世紀最大にイラッとしました「37seconds」ラスト。
あれなんとかならんのかNetflixさんよう。さめざめと我ながら美しい涙を流し余韻に浸っているところで爆音でゴーン・ガールのイントロ流すなよ。興ざめじゃ!否、怖いんじゃ、なんだそのセンス。

「37seconds」はHIKARI監督のデビュー作で、障害者を扱う映画や小説はたくさんあれどこんな表現は初めてなのではと感じる素晴らしさでした。車椅子に乗った脳性麻痺の主人公の目線の高さではじまる物語は、母と子の物語でもあり主人公の成長の物語である。東京の町並みはミニマムでミニチュア感のある映像美、これも主人公と街の関係性を表現しているのであれば監督天才すごいやばい神(わたしなんかが感じるんですから意図的に決まっている)

親が知らない友人、はじめての泥酔、夜遊び、親に怒られる服、性的なこと。全部自分で掴み取らなくては見れない世界のはじまり。車椅子は母娘の過剰に干渉する関係性から抜け出し夜の街へ飛び出す。

はじめての夜の繁華街でドラァグクイーンに「どこにいくの?」と尋ねられ「どこでしょうか?」と返事をすると「あなた次第よ」と踊りながら伝えられる。
冒険の始まりの合図だ。胸が高鳴る。不安も高鳴る。そしてそして、その不安を覚える自分にもやっともする。だって、彼女はれっきとした大人だ。でも「この社会で、大丈夫?」と不安になる。わたしは「そんな社会」だと思っているからだし知っているからだ。さらに自分の気持ちに「彼女たちのことを本当はわたし、どんな風にとらえているの…?」という不安も湧き上がってきて、偉そうにわたしは自分のことを何だと思っているんだ、すっかり偏見や不安がないとでも思っているのかとイライラもする。

それに、オープニングで感じた様々ですっかり親心になってしまっているため、ちょっと本当に大丈夫?!と娘を見守るようなヒヤヒヤした気持ち…

そんなわたしを放っておいて、彼女は駆け抜ける。

駆け抜けていく彼女と一緒にわたしもショックを受け落胆し、感動しはしゃぎ不安になる。そしてそこに人生を変える出会いがあって。青春ですまさに。皆さんも身に覚えがあると思います。

でも落胆度合いの種類と大きさが違うんだと感じることもたくさんあって、ここにもぐっと胸を掴まれるし、苦しくなる。でもそれも…?と自分の感覚に全く自信が持てなくなっていくんですよね…この気持ち、このままにしないでずっと向き合っていきたいなと思っている。

ネタバレになってしまうのでストーリーに沿ったことはあまり言えないんですが、母娘の絆はもちろんですが一人の人間が大人になり世界を知っていく物語なんです。その成長に家族は一緒にいられないし、傷つくことももちろんある。知らなかったことも知っていかなくてはいけない。それと同時に車椅子、ひいては障害者としての生きにくさ(これは車椅子だから生きにくいのではなく、社会が車椅子に生きにくい作りになっているからです)が端々に描かれている。

37秒の意味を主人公の口から聞いた時、全ての人にその37秒のようなものがあるのではないかと思い涙が止まらなかった。

「障害」を描いているんです、「障害」ではなくて。ぜひこの意味を感じて欲しい。
ええ、あまりの素晴らしさになんのひねりもないまっすぐな感想を書いてしまっています。見終わった後泣きながらNETFLIXのロゴにお辞儀してしまったムービー・ナンバーワン!ぜひ!

Netflixさんお辞儀ならもう何度でもしますからエンディング機能をなんとかして下さい。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?