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スパイダーマン:スパイダーバース

みなさんはスパイダーマンの思い出ってありますか?
わたしのスパイダーマンの記憶は、大昔に出かけたハロウィンパーティーで見たスパイダーマンスーツを着た男の子です。
細身で背が高いその子はしゅっと着こなしていてなんだかスタイリッシュだなぁクモだけど…と思ったのを覚えています。もうひとつは家になぜかあったアメリカの薄いコミックで、スパイダーマンが掲載されていたのをちらっと観たことくらい。その雑誌はすべて分解されその後私のプレゼント用包装紙として使用されてしまいましたが。(小学生の頃はなにかにつけて英語が書いてあるとおしゃれだと思い込んでいたので…)

わたしは昔から表情が見えないものに恐怖を感じるタチで、ピエロや着ぐるみ、マスクが本当に怖いのです。仮面ライダーももちろん苦手だし、みんなが夢を見るはずのあのネズミの国で、アイドルのはずのネズミが現れるたびに「ひぃぃぃぃ」と夢の国に似つかわしくない声をあげる始末です。そんなわたしはマーベルのようなアメコミシリーズももちろん苦手で、マスクしているしなんだかよくわからないけど街はどんどん破壊されるしで理解できないものの代表みたいな位置付けでした。破壊行為もすっごく苦手…

スパイダーマンはもちろんマーベル的なものは一度も観たことがありませんでした。クモかぁ…手のひらから糸、かぁ…なるほど…くらいの知識しかなく、芥川龍之介で育った純文学少女のわたしは蜘蛛の糸って漢字で書けますかあーた、という非常にパッシブな気持ちでマーベルファンを冷ややかに見ていた。

そんなわたしがなぜスパイダーマンを鑑賞するに至ったかは一旦置いておいて…アニメーション映画『スパイダーマン:スパイダーバース』を鑑賞しました。

見始めてすぐ、映像にくらくらする。目がチカチカするしアニメなのになんだかアニメ感がない。なんだこれ、と思っていると「ザ・アメリカ」な展開が怒涛に進んでいく。家族、信念の持ち方、コミュニケーション、全て私が想像するザ・アメリカ。(ソースはビバリーヒルズ高校白書)
怒涛の展開はエンディングまで一度も止まることなくこれが世界が愛するエンターテイメントか…と感心と少しの疲労が混じったため息をつく。
ストーリーはスパイダーマンの世界観のウリなのでしょうか?多次元の世界設定で、それぞれのパラレルワールドに生きていた色々なスパイダーマンがそれぞれの姿で登場する。
メインのアニメーションは3Dなのに平面に見えたり、タッチの違うキャラクターが自然に存在していてそれはそれだけで大成功なビジュアルなのではないでしょうか。ファンの方はたまらんのでしょうなと何度も思いました。

「ヒーローって苦しいし悲しいし実はできないこともたくさんあるしみんなと同じなんだけど、がんばってるんだよ!」というメッセージは老若男女背景の違う人たちのそれぞれの琴線に触れるであろう描き方で、また大きく頷く。みんなの愛するエンターテイメントとはこういうことか、と。
「なるほど、世界が共感とエキサイトを感じるものか…うーん、なにかに似ている…この気持ちはなんというものだ…?」と思考しながら眉間に皺をよせ、目をぱちぱちとさせながら鑑賞しすっかりマーベル世界の中に存在してしまったわたしは「ああ自分の平凡たる様はどうだ、なんと平和なことだろう」と安堵かつ焦れた不思議な気持ちになった余韻でした。重責って使命感なんだなぁ…大変そう。とにかく大変そう。

そんな気持ちとは裏腹に、ザ・アメリカスタイルを観るといつも感じる「スクールカースト」的なものを感じてしまい、いつかわたしもスパイダーマンのスーツを着て太ももを大きくあげ公道のど真ん中を走り抜けてみる人生を送ってみたい、ハロウィンパーティーの主役になる人生…などと想像してしまった。きっとスパイダーマンの中身の子はそんな主役じゃないんだろうなぁ。でも、マスクを見るのは苦手だけど、自分がするなら見えないしね。

きっとまた10年は観ないと思いますが、スパイダーマンは以前より少し身近な存在になったのは確かです。IMAXなどで鑑賞したら、きっと脳が震えてガクガクするエンタメ。

この感覚を体感したことがあるか記憶を辿って気づいたけど、これ、遊園地のジェットコースターに似ていますね。
人力エキサイティングかつ人力疑似恐怖と爽快感。そしてどこかで共感できるようポイントを大量に打ち込んである。ああ、そうか、遊園地だ。

現実ではないけど実在しているテーマパークで、スリル・ユーモア・華やかさ・楽しさを疑似体験する遊園地。

帰り道はちょっぴりさみしいけどほっとする、そんな遊園地映画でした。

うむ、なるほどやるなマーベルさん。

偉そうに〆。

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