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おととい見た夢

私は、還暦。60歳を過ぎた。
いつの間にかここまで来た。何と言って大人になったわけでもない。

ただ、両親の老いを認めて。
父の口からさも内緒のように、母の陰口とか、世間への愚痴とか、今までなら考えられなかったようなネガティブな話を何度も聞かされると、それがまだらぼけのせいだと分かるだけに、否定もせずただ聞き流している自分の反応が、なんだか虚しい。

そして、子ども達の独立を応援して。

気がついたら、「大好きなんだからね」と固く握っていた手を、一つ一つ離して来た。

そう、私は『家族が大好き人間アピール』をし続けて来た。人付き合いが苦手で社交的なことを一切避けてきた私は、家族一筋!と胸を張っていた。

でも、人生の何個目かの曲がり角に立ち、一人の時間が増える中、人として生きることの意味の一つを痛感する今日この頃である。

それは、一つには両親が老いを見せてくれているお陰もある。まだらぼけのせいか、決して綺麗事ではない執着心を見せてくれる。
そして、もう一つ、きっかけとなったのは強烈な夢を見たのだ。


***


私はオーディブルを愛聴している。聴きながらやればいいわと思うと、家事にもち上げる腰も軽くなる。

おととい家事をしながら丁度米原万里さんのエッセイを聴き終え、さて次は何にしようと、濡れた手でエイヤと軽く選んだ作品が、『本心』平野啓一郎著

まだ、冒頭の小一時間しか聴いてないが、巧みな設定にグイグイ引き込まれた。舞台は近未来、2040年、私が普段聞き流して、理解しようとしないワードがどんどん出てくる。AI,VR,VF,リアルアバター、とか。

主人公は30代男性。半年前まで70歳の母との二人暮らしだった。その母は、3年前から自由死を望み、「もう十分生きたから」と人生を終わらせて欲しいと医師に相談していた。そのことを打ち明けられた主人公は、母の話を聞く気もなく取り合うことを避け、時間が経つ中で、なんと母は3年後事故で亡くなってしまうのだった。

失意と寂しさの末、主人公は母のVF作ることを決める。ここがポイントの高いところで、決してSFではない。母の生命保険金を支払いに充てがうとか、担当者とのやりとりとか、VFにちょっとした不具合があると、コスパに疑念を抱いたりと、とてもリアルだ。

私がその夜、夢を見たのは、この辺あたりまでの影響だった。
主人公は、何故母が自由死を求めたのかという、もう解明しようのない重い扉の前で、もがくのだった。

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朝、寝直した僅かな時間に見たその夢は、、、

家族を含め数人で出かけた帰りのようだった。私は、誰かわからないけれど子どもをおぶって懸命に坂を登るのだけれど、家族の背中が遠くなり、しまいには置いてきぼりになってしまう。やっと帰り着いた私は、何故待っていてくれなかっのか、私の呼吸が止まりそうなほどの剣幕で、子ども達二人に怒鳴り散らすのだった。私は「もういい、出て行く」と叫ぶと「前からそう言うよね」と冷静に息子に返され、目が覚めた。

私はやっぱり傲慢だ。それしか言いようのない、後味。そして夢の中とはいえ感情を爆発させた疲労感。
すごく深いところに沈んでいる傲慢さが浮上してきて、私に何かを見せつけ、そして理解させようとするのだけれど、呆然として考えがまとまらないまま、とりあえず起きたのだった。

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「実に面白い」と言った訳ではないけれど、この夢をよくできてると感心したのは姉だった。姉の分析によると、その背おっていた子どもは私自身だと言う。家庭を持ち、独立して頑張っている子ども達に振り向いて欲しいと言う気持ちだと。

あの小説の中の主人公の気持ちがよくわかる。人のことはよくわかる。
その傲慢さが、人のことならよくわかる。

他人の気持ちはよくわからないけれど、家族の気持ちならなんでもわかってるしわかってもらえる。だって血で繋がってるんだもの・・・その感覚の傲慢さ。
主人公は無意識に、血縁どころか、血が流れていない母のVFから、本心が聞き出せるのではと錯覚していくのか。それはこれからの楽しみだ。


***

人は生かされて生きている

あの夢のアンサーを、ウォーキングをしながら見つけた。
雲がめっちゃ綺麗な日だった。風が気持ちよかった。
川の水面にあたる光がほどよく、キラキラしていた。

なんだ、いっぱい愛がある。
これが生かされて生きてるって言うやつか、突然その言葉が降りてきた。

手の温もりが愛ならば、
家族の愛だけが、愛ではなかったんだ。
自然の中にも、行き交う人の笑顔の中にも、動物達の眼差しにも
私が、好きを増やせば、その数だけ愛が側に近づいてくるんだ。

それを知った60歳。まあ遅いはないだろう。
好きをいっぱい、愛をいっぱい持ったおばあちゃんになろう。


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