人を許すということ・・・

 皆が皆、その時々の自分の感情で起こる、一方通行の主義主張ばかり言い張ったって、何一つ解決はしないのは皆が知るところだ。私たちの家族やニュースの中でもなんでも人が関係する物事は、もめごと全ては人と人との主義主張の食い違いであることが多い。喧嘩の発端もそうだろう。朝鮮半島のもめごともそうだろう。コロナの一件での皆さんの町での感染した人へ対する、責任のなすりつけもそうだろう。「国がくれる補助金はいただくが、税金は払わないよといっているようなものではないのか?」すべてが、一部かもしれないが、その人間の価値観の押し付けによって起こる。その末路はというと・・・そうだ!あいつが悪いんだ!消えてしまえとか!自分が助かりたいがために、人の責任にしてしまおうという。「防衛単純化」(精神関係ではそういう言葉が存在する)が起こり。自分さえよければという子供のようなショートカット的な単純な思考が発生する。果たしてそれが、いい年をした大人の考えた末に出てくる言葉であろうか?「情けない・・・」。時に、そういった発想は、事件性の物事に発展したり、戦争という最悪の選択肢しか残せなくなってしまう。そりゃそうだろう。単純に考えてみて欲しい。皆、自分の大好きな人や大切な人が誰かに傷つけられたとする。そうしたら、最悪そいつをどうにかしてやりたいと願うだろう?一般的にはそういう極論にいたらないだろうか?

 そんなことを繰り返しているから人は人を恨みそんな感情が地球全てを包みこんでゆく・・・。だから遅かれ早かれ人類は・・・。と言っても仕方がない・・・。

 たった一つの解決方法がある。皆がもっと人に対して「相手を許すこころ」をもち個人というものを見つめなおすことだろうと思う。何か間違っているだろうか?

 「ああ、あいつとは、人間の種類が違う」とか。「あいつはなんたらだから・・・」とかそれって、一段か数段か上から見下ろした結果出てくる言葉ではないだろうか?そんなの、どうとでもいえる。物事を陰でこそこそいう輩は今回の一件に絡めていうと(石器時代のような石を投げるという行動をした、わけのわからない輩)は、自分一人では行動できないからたった一人では行動しない。集団で襲い掛かってくるし陰でこそこそ家や飲み屋の閉店後に、夜中にひっそりと打合せをしている。

 はっきり言って・・・

「卑怯だ」・・・私からすればそれこそ、人種が違うという言葉を使う時ではなかろうかと思う(笑)

 まぁ文句を言っても仕方がないので解決方法は、「人を許すこころ」を皆が持つことではないかということだ。それには、家庭という国家を形成する、最小単位がしっかりとしたものである必要がある。その最小単位がこころも身体もともに豊かである必要性がある。

 そこで、私たちにできる最善の行動は、毎日同じことをコツコツ繰り返し、自分を取り巻く環境や自分の周囲の人に感謝し、心や生活を豊かにするために、最後のその瞬間まで、人を信じることを諦めずに、毎日、自分のできる最善を尽くすことではないか?と私は思う。

「偽悪よりも偽善」のほうがまだましではないか・・・。

殺し合いを起こさないため、起こさせないためには、相手を許すこころをもって、皆が皆、共存共栄の道を模索してゆくしかない。今回の一件に絡めて言ったが。それだけではない、全てにおいてその考え方は必須だと思う。日本人であっても、海外の方が多くなってきた今、そこでも、この考え方を理解していなくては、引き返せない領域まですでに到達してしまっていると個人的には思う。

 今回の一件でどうしてもこのことが、伝えたくて、悩みましたが掲載することにしました。気分を害されたかたは、すみませんがこういう人間もいるようだなぁと、こころの片隅に置いといてくれませんか?


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