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自分の針が触れた時にはすぐに動け

おはようございます。

昨日ふと気づいたことがあって、”デブ(太っている人)"の定義って”片足立ちで靴を履けるか履けないか”という基準かもって思ったんですが、いかがですか?


僕も昔に比べるとかなり体重も増えて脂肪もお腹の周りについてきているんですが、昨日雨が降りだした時にレインコート的なものを羽織ろうと思って、ズボンのものを片足立ちで着ていたらお腹周りが邪魔して少し着るのがしんどかったんですね。

これ昔だったら何も気にせずにスッと着れていたんだろうなあ、と少し思ったんです。


それと、最近サンクチュアリというお相撲さんのドラマを見ていたのでよくわかるんですが、彼らは地べたに座らないと靴を履けてなくて、片足立ちで靴を履くなんて持っての他なんですね。(お相撲さんをディスっているわけではありません)

なので、デブ(太っている人)"の定義って”片足立ちで靴を履けるか履けないか”という基準だと明らかに思い込んできているwataruです。

#異論は認めません


ということで本日は「自分の針が触れた時にはすぐに動け」というテーマでお話しをしていこうと思います。


これどこかでお話をしたことがあるかもしれませんが、鉄は熱いうちに叩けとか、思い立ったが吉日というような類のお話しです。


というのも僕は観たいものがあったり、やりたいことや知りたいものがあったら、その場で予約を取ったり、足を止めて調べてみたりするようなタイプの人間なんですが、この行動様式ってとっても大事だなと思っているんです。


とかく、昨日もこんな調子で映画の「スーパーマリオブラザース」をどうしても観たいと思ってしまって、2週間前位に一度観に行った映画なんですが、二回目をわざわざ映画館に観に行ったんです。(映画館も全く同じ)

そして、どうせならまだ体験していない3Dで観てみようということで、3500円もする3D(厳密には椅子も動いたり空気砲も出たりするようなするような4Dだったんですが)上映の方で映画を観てみたんです。


するとここで自分的には結構な学びがあって、4Dの映画は椅子の揺れや空気砲が実際の映像と同じように感じられるような、主人公目線で展開していくようなものとかなり相性が良くて、実際の映画で展開していくような、俯瞰して上から眺めるような映像があったり、壁の隙間から撮るような映像があったり、という風にいろんな角度から撮っている一般的な映画作品にはあまり向かないということがわかったんです。(ちなみにマリオの場合は、主人公目線もいくつか映像で使われていました)


というような感じで、自分の興味からまた新しい発見をすることがあったり、興味がある故にそこに対する理解度や洞察力も高い水準で保てるということが、より自分の知見を広げたり、興味の拡張をしていくんだろうなと思ったんですね。


ただ興味っていうのは結構すぐになくなってしまうもので、自分が知りたいと思った瞬間に調べなければそのことは1分後には忘れてしまているし、自分が観たいと思った時に予約をしないと結局その映画を金輪際観ることはないんですね。


こんな経験みなさんもしたことがあると思いますが、実際に僕の例でお話しをすると、僕は普段からラインに自分用のメモというものを作っていて、読書からの学びや自分の体験を通して知ったことなどいろんなものをメモしているのですが、そこにはまあまあな数の”◯◯について調べる”という言葉が出てくるんですね。


そして、残念なことにそのほとんどがあまり調べられていないんです。

これは、ただ単に僕の怠惰な性格が出ているという部分もあると思いますが、最も大きな原因は僕が知りたいと思った時には興味があったんだったが、冷静に家に帰って考えてみるとそんなに興味があるわけじゃなかったという問題ですね。


これは僕が興味を持ってすぐに行動に移さなかった時の失敗のパターンですが、その結果として、自分の知識量は減っているし、またどこかでそれが気になるようになってループのように繰り返すジレンマを抱えることになるかもしれません。

これがすぐに調べる、やるといったことをしなかった時のデメリットですね。


このように僕の二つの事例を観てみてはっきりわかったと思いますが、やっぱり大事なことは興味を持った瞬間に調べる、やるという行動に移すことなんですね。


そしてさらに言えば、この興味を持った瞬間というものを大事にしていて大成功した生徒と先生が過去にいたので、最後にそのお話しをしようと思います。


その生徒と先生の名前は「ヘレン・ケラーとアン・サリヴァン」という2人です。

ヘレン・ケラーのことはよく知っている人も居ると思いますが、彼女は耳も聞こえない、目も見えないという身体的な障害を持ちながらも、世界中を飛び回ってたくさんの講演会をしてきた女性ですね。


そして、そのヘレン・ケラーの家庭教師をしていたのがアン・サリヴァンなんです。

ヘレンは耳も聞こえない、目も見えないという中で幼少期からずっと過ごしてきたので、そもそもお皿という概念すら知らなかったし、人に名前がついてるということも何もかも知らなかったんですね。


本当に動物のようだったと当時を振り返った文章で言っています。

今で言う、ペットとして飼われている犬のような感じだったのかなと思います。

そしてそんなヘレンの家庭教師をしていく中で、彼女は指文字でいろんな概念とか言葉を教えていくんですが、ヘレンが触れたものの名前をすぐに指文字で書いて教えるというような感じで教育をしていたんですね。


最初はヘレンもなんのことなのか分からないので、癇癪を起こしたり暴れたりしていたのですが、ある日水を触っていた時にまたいつものように先生が指文字で教えていると、これは”水なんだ”ということがヘレンの中で理解ができて、その時初めてものに名前がついているということについてわかったみたいなんですね。


そこからは、もう堰を切ったようにいろんなものの名前を覚えていくようになるのですが、そんな教育をしていく中で、先生は「興味を持っている子どもにものを教えるのはとっても簡単だ」と言っていたみたいなんです。


”それよりも難しいことは何も興味がない人にものを教えること”で、”いろんなものに興味を持って聞いてくる子どもに教育をしていくのはとっても簡単なことなんだ”と言っているんですね。僕的に、これはこどもだけではなくて大人にも通じることだなあと思っているんですが、やっぱり僕たちは自分の興味あることしか頑張れない上に、その興味なんてものは行動に移さなければ、すぐに無くなっていくものなんだから、自分の針が触れた瞬間を大事に生きていくこと。


この考え方がとっても大事なんだろうなと思った今日この頃でした。


ということで本日は「自分の針が触れた時にはすぐに動け」というテーマでお話しをしてみました。

ではまた!




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