自分も許されてきたから人にも許す
おはようございます!
ピアノを練習していたり、作曲を独学で学んだりしているオレワタルです!
最近はピアノ練習の後に動画を撮って、その様子を毎日Youtubeに投稿しているので是非Youtubeチャンネルの方も覗いてみてください!
最近はもっぱらこの昼とか夕方の時間に眠ってしまうことが多いので、ここの対策を打たないとなあと思っているwataruです。
ということで本日は「自分も許されてきたから人にも許す」というテーマでお話をしていこうと思います。
というのも昨日の深夜というかまあ今日の早朝の話なのですが、友人から飲み過ぎたという連絡がありバイクで急いで駆けつけたところ、それはもう泥酔状態で一歩も動けないというような状態になってしまっていたので、水を与えたり時には肩を貸して歩かせたりしながら、家に帰すまで2時間も付き添ってやっとの思いで家に送ったという、そんな朝の6時を僕は過ごしていたんですね。
ここで感じたことは個人的に結構あって、それこそここ最近ずっと言ってるようなこういう何もしていない無駄な時間を過ごすことが自分自身本当に嫌いなんだなと、というのもその看病の時に感じたフラストレーションがここ最近で感じたものの中で最大級のものだったので、そのイライラを自分の中で飼い慣らしながらも冷静に考えて僕自身時間というものを無駄にされるのが一番嫌なんだなと思ったり、それとは逆に僕もタイプ的には泥酔をして人に迷惑をかけたり、近くの人に助けてもらうなんてことが多い人間なので、自分もいつもこんな感じで人の時間を奪ったり、多少ですがお金を奪ったり、迷惑をかけるようなことをしてしまっていたのかとその罪の重さやそれでも付き合ってくれる人のありがたさを身に染みて感じるとともに、僕自身そうして許されてきたんだからこれも快く許してあげないとなと思ったんですね。
というような感じで、色々な感情が行ったり来たりしていてものすごく心が忙しい早朝だったんですが、その中でもやっぱり特別大事だなと思ったのは今日のタイトルにもある通り”自分も許されてきたから人にも許す”ということで、この昨今の殺伐とした世の中や社会を見ていて思うのは許すことができない人が多いなあということで、多分自分も気づかないうちに同じようなミスとか過ちとかを犯してしまっていることがあるし、そうでなくとも自分にされた失礼とか迷惑と同じくらいの重さの他の種類の失礼や迷惑をしてしまっているんだから他の人のそういったことはなるべく許してあげるというような考え方が少しでも広がるといいなと思いました。
とは言ってもこの考え方は性善説のもとに成り立っているような考え方の一つで、僕の場合こうして最初の何度かは許してあげて、特別めちゃくちゃ叱るとか、小言を言うというようなことすらしないでそうして許されたり、人に迷惑をかけたなという実感を持った人が自分から変わるという根本の性善説があった上でこう考えているのですが、色々な海外の話を聞いたり、自分も実際に何ヶ国かの国に行った経験上、多分これは生ぬるい考えで海外ではあまり通用しない考え方なのかなとも思っていて、ただ使われるだけの優しい人が損をするという図式になってしまっているのかなと、まあそれでも僕が何かを言ったり、人に何かを言われたと言うだけで変わる人はほとんどいなくて人がかある時はいつだって自分の意志のもと変わっていくものだと思うので、徹底的にここをやり続けていくことが大事なんだろうなと思いました。
ということで本日は「自分も許されてきたから人にも許す」というテーマでお話をしてみました。
ではまた!
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