壺 後編

「ここで死んだ幽霊かな」
「バカ言え、誰かが怖い夢でも見て飛び起きたんだろ」
「怪談話大会でもしてたんじゃねえか」
 口々に考察が話され、食堂中が騒がしくなった。看守はその喧しい騒動について何も言わず、ただ早く食べろとしか言わなかった。

「やっぱなんか怪しいよな」
井上が小声で聞いてきた。箸には一口齧られた鮭が掴まれている。
「怪しいとは思うけど、俺たちはそんなことを気にしている場合じゃないだろ」
ここの鮭は少し味が濃いが、飯が進んで満足感がある。

「情報は多くあった方がいいって言って勝手に仲間増やしたの誰だっけ」
「悪かったよ」
「俺はワクワクが止まらないんだ。これも調査して、スッキリした状態でここから出ようぜ」
「分かったよ、それについても川村に聞いてみる」
「川村って、誰だ」
「言ってなかったか、その仲間の名前だ」
「罪状って聞いたか?このムショの自己紹介といえばそれだろ」
「聞いてない、脱獄の情報集めが先だ」 
「なんだよ。お前はもっとこの状況を楽しんだ方がいいぞ」
「じゃあ明後日はお前が排気口に入れよ」
「やだよ。俺の体じゃ、あの細い管に入れねえ」
「だろ、だから黙って俺の帰りを待っていろ」
二人で味噌汁を啜り、満腹になった俺たちは部屋に戻った。
 休日は好きだ。意外と自由に過ごせる。金曜日はそんな休日を前に洋食を食べられるから最高なのだ。

「無事で何よりね」
「そっちこそな」
「早速だけど、シール見せてくれない?」
「ああ、これで東西南北の四枚が揃ったな」
 全てのシールを見比べ、共通点を探す。四隅に文字がある点、中央に雫と竜のイラストが描かれているという点だ。四隅の文字は四枚それぞれに違っており、『シ』『立』『日』『レ』のような文字だった。

「これが、なんだっていうの」
川村が不思議そうに首を傾げている。お風呂上がりの髪がゆれて、華やかな匂いが広がった。もう一つ集めなくてはいけない情報があることを思い出した。
「川村、昨日の叫び声のことって知ってるか?」
「叫び声?」
「男子棟で聞こえたんだが、それが広範囲に聞こえていたらしくて、一昨日の朝食の時間、男子棟の食堂はその話で大盛り上がりさ」
「聞こえたけど、あの悲鳴年に一回くらい聞くわよ。私ここに入って長いからもう慣れちゃった。今年も一年経ったって、あの悲鳴で実感するの」
「毎年聞こえる悲鳴?それっていつも同じ声か?」
「いいえ、年によって変わっていた気がするわ。今年のはぎゃあって感じ、去年のはうわあって感じだったかしらね」
「一体どういうことだ」
「さあ、もうあんまり気にしなくなったわ」

 何も糸口が掴めないことに焦りを感じる。
「最近変な音しないか?あの上の方」
「気のせいだろう、またネズミとかだって」

「やばいぞ、怪しまれてる」
「だめ、動かないで」

「確かに、浄化の儀式が終わってすぐだし、まだ不潔なところもあるか。早く清潔にならねえかな」

「「浄化の儀式?」」
思わず向かい合って言った。川村の瞳は夜空みたいで吸い込まれそうになった。
「儀式があるなんて聞いたことないわね、看守たちが使う隠語かしら」
「このムショ、何か大きな謎がありそうだ」
「そうね。シールのことはまだ分からないけれど、この場所について調べないといけないことができたわね」
「また明日にでも。会えるか?」
「ええ、良いわよ」
「じゃあ、また入浴後に」
「分かったわ、おやすみなさい」
「おやすみ」

「シールの謎は解けたのか!」
部屋に戻るなり、井上はとんでもない勢いで尋ねてきた。まだ髪が少し濡れていた。
「いや、それより大変なことがわかった」
「なんだよ」
「このムショには、何か大きな謎がある」
「おい、お前って奴はどれだけ俺をワクワクさせてくれるんだよ全く」
 強い力で肩を抱かれ、俺は軽々と振り回された。流石、素手で人を殺しただけのことはある。
「看守の口からある言葉を聞いた。隠語かもしれないが、あの悲鳴とも何か関係があるかもしれない」
「女は!女は何か言っていたか。女子棟は何か変わったことは無かったのか」
「落ち着けよ、それも教えてやる」
井上はもう息を切らしていて、入浴後なのに汗をかいてしまっていた。
「川村は俺たちよりずっと長くこのムショにいるらしくてな、その悲鳴は年に一回くらいのペースで聞こえるらしい」
「定期的にってことか。録音とかなのかな」
「いや、それが毎年全く違う悲鳴が聞こえるんだとよ」
 井上の笑みが少し締まったものになった。
「年に一回、誰かが襲われているってことで間違いなさそうだな。来年は俺たちかもしれねえな」
「変な冗談やめろよ、殺されるって怖いんだな」
「何言ってんだよ、お前も人殺しのくせに」

「またお前らか、良い加減にして早く寝ろ」

「「はーい」」
「明日も騒がしかったら別部屋にするからな」


 夢を見た。昔追いかけていたアイドルの夢だ。幼い頃から一人ぼっちだった俺に生きる希望をくれた。彼女は夢の中で、俺に笑顔で手を振っていた。
 「この囚人棟から出られる方法が分かったわよ」
「本当か!どこにあるんだ!」
「北棟の端よ。シールがあったところにもう一度行ってみたらボタンが現れていて、押したら知らない換気口が開いたの。中央棟に出られるわ」
「中央棟だと!ただリスクあるところに飛び込むだけなのか!」
「落ち着いて聞いて、私の中ではっきりしたことがあるの」
川村は一点に俺の目を見つめて話し出した。
「今まで稀に、看守の数がやけに少ないなってことがあったの。よく思い返せばそれは悲鳴が聞こえてから数日のことだった。あなたが悲鳴について疑問を持ってくれなければ思い出せなかったわ」
「つまり?」
深呼吸をした川村の息が顔に少しかかった。
「脱獄するなら、今がそのタイミングってことよ」
「でも、今警備が手薄になるのはなぜなんだ」
「それはまだ分からないけど、ともかく出るなら今よ」

 俺は川村のお尻を追いかけ、中央棟につながる排気口を目指した。手汗をかきすぎて進みにくい。

「南無南無南無南無南無南無南無」

中央棟に入る直前、大勢の看守が一箇所に集まって何かに手を合わせている。
「あの祭壇」
よく見ると、祭壇のようなものの中に竜の模型が祀られていた。後ろには雫と竜が描かれた掛札が見える。異様な光景にまじまじと見入ってしまう。
「シールの、竜のイラストの謎が解けたな、これが儀式ってことか」
「いいえ、看守は『儀式が終わってすぐ』って言っていたわ。これより前に行ったことが本当の儀式のはずよ。それに、四隅の文字もまだ謎のまま」

 謎の解明を前に声が大きくなっていたのか、上を見上げた看守と目が合った。
「囚人だ!儀式を見られた!」
それと同時に大勢の看守がこちらを見た。何故か血走っている彼らの目が恐ろしく、一瞬息が止まった。

「急ぐわよ!中央棟はこの先!」
 軽く肩に蹴りを入れられハッとする。パニックになった看守たちを横目に出口へ向かう。

「あった!ここだ!」

固く取り付けられた蓋を二人で力一杯押した。手に排気口の蓋の跡が深く付いた。

 ガン!

 落ち着いて足から着地する。足にじんと痛みが広がった。続いて上から川村が降りてきた。中央棟の監視カメラの映像を横目に、非常口を目指す。巨大なモニターには、見惚れるほど美しい滝が映っていた。

「最期に、署長としてここの秘密を教えてやろう」

走る俺たちの腕は一つの手錠で繋がれてしまった。冷たくて重かった。

「秘密って、浄化の儀式のことか?」

「そうだ。あれはこの監獄が潔癖を保つために必要なことでね。ここは建て直す前から徹底的で完璧な監獄のはずだった。それを守るための結界の役割を持つものもあった。君たちが持っているシールがそれだ。だが!」
その男は手に持った鍵を握りしめながら続けた。
「滝が濁り始めた頃、一人の囚人が脱獄に成功した。それに憧れた囚人たちは続々と脱獄を目指した。そんなある日のことだった。ある清掃スタッフが足を滑らせて滝壺へ落ちてしまった。それを機に滝は再び綺麗になり、脱獄ブームも途端に落ち着いた。それからこの監獄では水滝様と滝を崇め、年に一度生贄を捧げている。監獄が人殺しをしているなんて、バレるわけにいかない。だから君たちを生きて逃すこともできない」
「なるほど、悲鳴の謎もこれで解けたってことだ」
思わず疑問が解けた快感に浸った。そこで、聞き覚えのある声がした。

「このムショ、やっぱり面白いぜ。お前らが持ってたシールの文字、組み合わせると滝って字ができる!」
「井上!なんで!」
「風呂から出たらお前はいねえし、看守もいないから不思議に思ってたら、中央部が騒がしくなったんだよ。いてもたってもいられなくなって飛び込んできちまった」
「お前って奴は!一緒に出るぞ!」
「俺はまだこの面白いムショにいてやろうと思うぜ。お前らを逃すのが先だ」
そう言って井上は、全てを語り終えて走り出した署長を羽交締めにした。
「看守ならまだしばらく来ないぜ、儀式を見られておかしくなっちまったのかもな!」
「誰だか知らないけれど、いつかお礼するわね」
「思ってたよりも美人じゃねえか!吉田とは仲良くしてやってくれ!じゃあ、達者でなお前ら!」

 非常口の分厚い扉はあっけなく開いた。滝の轟音が聴こえる。またアイドルを追いかけられる感動で胸がいっぱいになった。振り返ると、監獄の中央からは大きな水飛沫と虹が見えた。

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