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なんでも十選

その1 蕎麦屋のつまみ十選

蕎麦屋のお品書きとは?

蕎麦屋と言ってもいろいろあって、うどんもカツ丼も天丼もカレーライスも、場合によっては中華そばまでメニューにある町の蕎麦屋から、せいろの上にバーコードの禿げ頭みたいにほんの少しの蕎麦が乗って、高いお金を取るけど、まあそれなりに美味しいなと思わせる蕎麦の専門店や老舗まで幅広くあります。ここでは、蕎麦を食べる前にちょっと呑みたいな(これを蕎麦前と言います)と思って、頼むつまみを選んでみようというメニュー(お品書き)を選びました。ビールとお銚子くらいを呑みながら、蕎麦屋のつまみを食べて、まあ締めに蕎麦を食べようかみたいな気分の時。馴染みじゃない店に入って、最初のつまみでビールを飲んで、「うん、ここなら安心」と言えるような蕎麦屋のつまみについて考えてみましょう。

1. 板わさ 

 板わさは、本来は薄く切った蒲鉾にわさびのおろしたのが添えられ、これを醤油で食べる。蒲鉾は寿司屋で出されるみたいに、厚く切って欲しいという気もする。寿司屋で、つまみで蒲鉾を頼むと2センチくらいの厚さで切ったのを半分に切ってずらして出してくれる。でもあの板わさだと、割と早いところ、なくなってしまう。少し残して、次のつまみが来て、そっちを突っついてから、また蒲鉾に戻るというわけにはいかなくなる。だから多少薄くてもいい。この場合、蒲鉾が籠清か鈴廣だったら嬉しいが、噛んだときの妙な柔らかさで、すでにこの店は失敗したなと思う。すると次に出てくるつまみにまったく期待できなくなる。だから、つまみは、多くても二つ頼んで、どちらかの皿が空いたら、次のを頼むと決めておいた方がいい。蒲鉾で失敗したら、もう一点のつまみが来たら、蕎麦の方の注文を考えるか、ビールにつまみだけにして店を出るしかないのだ。

2. 蕎麦味噌焼き

 蕎麦味噌が突き出しで出てくる蕎麦屋もある。これは、いい蕎麦屋は、注文してから蕎麦を打つので、蕎麦が来るまにで時間がかかる。だからこいつをなめながら、ちびちび日本酒を飲んで、蕎麦を待つ。そんな昔の習慣の名残だろう。置いてない店も多い。初めて行った店に置いてあると思わず頼んでしまう一品でもある。しゃもじに乗って出てくるそれは、直火で焼いた味噌と蕎麦の実の香り。この味噌の焼いた香りを嗅ぐたびに、落語『味噌蔵』を思い出す。味噌屋のケチな主人が、里帰りした嫁が出産し、火の用心を言いつけて、その祝いに泊りがけで出かけてしまう。店のものは主人が帰ってこないのを喜んで、いろいろ出前を頼む。その中に味噌田楽がある。しかし、泊まらずに帰ってきた主人が、この味噌の焼けた臭いを嗅いで「うちの味噌蔵にも火が入った」と言うのが落ち。割箸で少しずつ、こそげ取ってなめるように食べる。ビールを先に頼んだ場合、日本酒で始めた方がよかったんじゃないかと少しばかり後悔する。

3. 焼き海苔

 必ず食べる蕎麦屋のメニューではない。いい蕎麦屋のメニューにあると、いい海苔に違いないとつい頼んでしまう。海苔の湿気を防ぐために、下に小さい炭火を入れた海苔箱がくる。蓋を開けると数枚の海苔が重なっている。箸でつまむより、思わず手で摘まんで口に入れる。そのまま食べてから、ハッとする。醤油を浸けた方が良かったんじゃないか? 蕎麦屋に入って、蕎麦通みたいな顔をして、蕎麦味噌を舐めて・・・やや! ビールではなかった。冷や酒は、あまり好きじゃないからせめて熱燗。ここまでで間違えて、しかも焼き海苔の正式な食べ方を知らない。だが、ここで慌ててはいけない。最初に何も浸けないで焼き海苔を手で摘まんで口に入れたのは、どんな海苔を使っているから確かめたかったからだ、と思い直して、今度は箸でつまみ、板わさの山葵を海苔に乗せ、海苔を二つ折りにして箸でつまみ口に持って行く。これでいいのか? 蕎麦屋で弱気になってはいけない。

4. 卵焼き

 蕎麦屋の卵焼きは、通常、だし巻き卵である。これはどんな卵焼きが出てくるか知っている行きつけの蕎麦屋では頼んでもいいが、初めての店では、まず食べないほうがいいかもしれない。基本的に卵焼きは酒の肴かという命題の答えが見つからない。添えられた大根おろしに醤油をかけて卵に乗せて食べると肴になる気もする。そんな不安定な注文をやめて他のものを頼もうと思いがちだ。メニューを見る目はたいていの場合、この文字を飛ばして読むことが多い。その前に、あさりだとか、小柱わさびなんかがあれば、こっちの方に行ってしまっていいような気がする。焼き鳥があれば、最後の蕎麦のことを考え、卵焼きは頭のメニューから脱落させていいのではないか? よほど卵好きでない限り、避けた方がいいかもしれない。うっかり頼んでとんでもないのが出てきたらたまらない。他人が食べている卵焼きが旨そうだったら挑戦するのもいい。

5. 焼き鳥

 蕎麦屋の焼き鳥には串がさしてない。これは砂場の特徴かもしれないが、赤坂の砂場にかなり近い蕎麦を出すある砂場で焼き鳥を頼んだら、「串はありませんがいいですか?」と聞かれた。赤坂の砂場で何十年も前に、串のない焼き鳥が出てきて違和感を感じたことがある。その後、神田のまつやで頼んだ焼き鳥も串がなかった。添えられた卵の黄身がいい。新橋の能登治では、串に刺してない焼き鳥に和辛子が添えられてあった。以来、蕎麦屋の焼き鳥はフライパンでタレを入れて焼くものだと信じてきた。逆に、蕎麦屋で串の刺さった焼き鳥に出会った記憶がない。串の刺さってないタレの焼き鳥というのが蕎麦屋の定番なのかもしれない。串がないから、当然箸で食べる。焼き鳥二本食べるより、この箸で食べるやり方の方が、つまみとしての耐久時間も長い。居酒屋で人数分より少ない焼き鳥を頼んだとき、串からすべて外してしまうやりかた、大昔、学生喰いと呼んでいた。

6. 天抜き 

 天抜きとメニューにあればいいが、なくても食べたくなることがある。メニューになくても、やってくれる蕎麦屋もあるが、「なんですか、それ?」と聞かれたら、もうその蕎麦屋は諦めた方がいい。「天ぷら蕎麦の、蕎麦を抜いたのが天抜き」等と説明する方も恥ずかしい。それはともかく、天抜きはいいつまみだ。いろいろつまんで酒を飲んで、最後に天ぷら蕎麦というのはかなりきつい。でもそばつゆは呑みたいし、特に天ぷらが入ったそばつゆの衣の感じがたまらない。黙っていれば海老の天ぷらが二本入ってくるが、言えば一本でもやってくれる。一本で十分だ。同じように、あればかき揚げの天抜きもいい。鴨南でやりたければ、鴨抜きだ。何十年も前だが、「天抜き」と注文して、天ぷら蕎麦の天ぷらを除いたのが出てきた。ただのかけだ。ウソのようだが本当にあった話だ。

7. 穴子の白焼き

 わさびで食べる穴子の白焼きを出してくれる蕎麦屋も結構ある。これもメニューにあれば、他の肴と見比べた上で、頼んでしまうことが多い。天ぷら蕎麦と並んで、お品書きには穴子天ぷら蕎麦とある。たいていの場合、天ぷらの穴子は巨大さが売りだから、止めた方がいい。とりわさや、わさび芋というメニューを見つけることもある。わさび芋は掏った山芋に刻み海苔とわさびが乗っている。ウズラの卵黄も乗っている店もある。湯葉がある店では、当然のようにわさびを添えたものが出てくる。寿司屋にわさびがつきもののように、蕎麦屋にわさびも必需品だ。鴨南があれば、まず、鴨焼きもある。そういえば、鴨焼きに串が付いてないのは当たり前だと思ってきた。蕎麦屋の焼き鳥は、蕎麦屋の鴨南と同じ体裁で出てくるのだ。とすると、蕎麦屋の焼き鳥に串がないのは何故かという問いの、簡単に答えが見つかったような気がする。

8. そばがき

 そば粉に湯を入れ練って塊にした蕎麦団子だ。蕎麦が旨いといわれている店なら、頼んでもそう外れない。不見転(みずてん)で飛び込んだ蕎麦屋で、お品書きで見つけて頼んだら、とんでもないそばがきが出てこないとも限らない。そばがきは、そばつゆが付いてくるのが普通だが、わさび醤油で食べる方がつまみらしくていい。そばつゆが出てくるなら、せいろを頼むよと、言ってやりたくなる。長野県で、結構有名な蕎麦屋に入ったが、つまみのメニューがほとんどない。初めて行ったとき、鴨南があったから、鴨焼きはあるかと聞くと、年末と正月だけですと言われた。仕方がないから、そばがきをわさび醤油で食べた。そこで、そばがきの旨さを知り、他の蕎麦屋でもあれば頼むようになった。列を作るほどの人気店で、その時も三十分ほど並んだ。珍しくすいているときに入ったら、お客さんが少ないからといって鴨焼きを出してくれた。

9. せいろ

 しめの蕎麦だ。若い頃は、蕎麦屋のつまみで飲み過ぎて、締めまで行かなかったが、年を経るにつれて、蕎麦がないと締まらないと自覚するようになる。というより、酔っ払うほど蕎麦屋で呑むことがなくなったという方が正しい。だからといって、締めの蕎麦に天ぷら蕎麦だの鴨南を頼むことはない。重すぎる。そこで、せいろかかけになる。「せいろう」とある店もあれば、「せいろ」はなくて、ざるかもりとある店もある。砂場系は、ざるかもりだ。よく、刻み海苔のかかったのがざるで、かかってないのがもりと言うが、砂場は、蕎麦の芯だけを挽いた更科粉を卵でつないだのが「ざる」、一番粉から三番粉まですべてを挽いた挽きぐるみ粉八に対して、つなぎの小麦粉を二加えたいわゆる二八そばを「もり」としていると聞いた。赤坂や室町の砂場のもり、ざるは量が少ないから、両方一枚ずつ食べるのがいい。

10.  カレー南蛮

 老舗の蕎麦屋にはまずない。神田のまつやは、うどんはもちろん、天丼、親子丼、かき揚げ丼、玉子丼、カレー丼が置いてあるくらいだから、きつねもたぬきもカレー南蛮もある。この老舗の蕎麦屋は、近くにうどんも丼も置かないしにせの「やぶ」に比べれば、町の蕎麦屋に近いメニューだ。ここで、そばみそや葉わさびや酒盗、時によってはわさびかまぼこ、焼き鳥で一杯やって、さて蕎麦はとお品書きをみて、カレー南ばんから目を離せなくなった。もりにしようかと思ったが(ここはざるはない)相席の多い店内で、もりを食べている人を見ると、「やぶそば」よりずっと量が多いように見える。悩んだ末、食べたい気持ちに従順にカレー南ばんにした。「カレー南蛮は、蕎麦じゃないでしょう、うどんでしょう」という人もいるが、蕎麦屋のうどんがあまり好きでないので、カレー南ばんは蕎麦と決まってしまう。もちろん、食欲を満たすために町の蕎麦屋に入れば頼むのはこれ。

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