年賀状<六百字のエッセイ>

 無駄だという人も少なくない。二十代の頃、ある人を中心にした勉強会に参加していた。そのある人が言った。「年賀状が三百枚以下の人は将来独立しようと思っても無駄だ」と(枚数は二百枚だったかもしれないが)。ある人は千枚、毎年出しているという。もちろん最初から千枚ではなく社会人になって二十年余で、結果的に千枚になったというのだ。
 他人の言論に左右されがちな私は「そうだ!」と思い、千枚を目指して年賀状を書き始めた。その年に会って名刺交換した人に親しくなっていなくても出した。数年出してお返しの賀状なり反響がない人はやめた。四十前後、千枚を超えた。
 費用はすべて自腹。会社のものを使えばなるほど数万円の負担はない。だが、それだと文章はワンパターンだし、まして自宅の住所など入れることはできない。会社名義の年賀状をもらったところでうれしくなかろう。
 数万円と書く手間暇を無駄なのか。私はこう考えた。五~六十円(今は六十三円だが)で一年間つながりが保てるとすれば安いものだ、と。というのが、年始の挨拶回りをしたときに、「年賀状いただきましてありがとうございます」という返事をしばしばもらうのである。つまり、「私」という存在がその程度の負担で認識されているのである。外国を含む他の地域に転勤になった人に対しても追いかける。すると、その方が戻ってきたときには、必ず「いやぁ、毎年年賀状をいただいておりまして・・・」という言葉を必ずいただくのである。うれしいではないか。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?