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陽のあたる場所 -Toddy's Episode 特別編-

Like a long lonely stream
I keep runnin' towards a dream
Movin' on, movin' on
長く孤独な小川のように
僕は夢へと走り続ける
先へ 先へと

Like a branch on a tree
I keep reachin' to be free
Movin' on, movin' on
木の枝のように
僕は自由を求め続ける
先へ 先へと

'Cause there's a place in the sun
Where there's hope for everyone
Where my poor restless heart's gotta run

それは陽のあたる場所があるから
誰にとっても希望となる場所が
僕の弱く落ち着きのない心が向かわなくてはならない場所なんだ

There's a place in the sun
And before my life is done
Got to find me a place in the sun

陽のあたる場所がある
僕の人生が終わるまえに
陽のあたる場所を見つけるんだ

楽曲 A Place In The Sun / Stevie Wonder(1966)



 いつも私の拙いnoteの記事をお読みいただきありがとうございます。
 今回はトッド・ブラックアダーHCに関する以下の記事の翻訳になります。見出しの画像も同記事より引用しています。


 この記事はニュージーランド人ジャーナリストのスコッティ・スティーブンソン氏が書いたもので、2016年にSRクルセイダーズHCを退任したトッド・ブラックアダーHCについて、そのキャリアを振り返り記されたものです。

 私はこれまでトッドHCの本や過去の記事などからエピソードをまとめてきましたが、この記事は一つの記事として紹介したいと考えてきました。一部表現を自己流に修正していますが、極力原文のニュアンスが伝わるように努めました。

 この記事は冒頭に引用したスティービー・ワンダーの名曲 A Place In The Sun(邦題:太陽のあたる場所)を意識して書かれていると思われるので、もしよろしければこの曲を聴きながらお読みいただけますと幸いです。



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 ニュージーランド南島のゴールデン・ベイの夏の暑さによってラングフォードの店は、まるで錆びかかっているようです。

 壁の下見板には剥がれかけのペンキがしがみついていて、折れ曲がったベランダの屋根の下にはそれらとは不揃いな椅子が置かれていて、日帰り旅行者やハイカーに太陽の日差しからの休息を与えます。

 子供たちはガラクタをあさったり、アイスクリームや 1 ドル袋のキャンディーを頬張っています。


 この古い店は、最近では観光客のたまり場になっています。

 コリングウッドという小さな町から、舗装されていない道路を内陸に向かって15分行ったところにあります。

 コリングウッドはニュージーランド南島の北にある湾の北端に位置し、大型四輪駆動トラックの出発点となっています。そこから出るトラックはフェリーに乗る乗客達をフェアウェル・スピットと呼ばれる遥か彼方の岬まで送り届けます。



 そうです、コリングウッドは終点の地なのです。



 そしてクルセイダーズのヘッドコーチ、トッド・ブラックアダーが最も安らげる場所でもあります。



 ゴールデンベイは、気軽に立ち寄れるような場所ではありません。

 そこへ向かう道は一本しかなく、同時に帰りも同じ道です。

 その道はタカカの丘(地元の人は単に「丘」という)を無限に感じるくらい長時間上り下りします。
 
 乗り物酔いによって吐き気を催すような激しいスイッチバックを繰り返してようやく辿り着くことができます。


 ゴールデンベイを訪れる人々は、エイベル・タスマン国立公園を目指したり、ヒーフィー・トラックと呼ばれるハイキングコースを散策したり、あるいは途中でそれらを諦めて、グルテンフリーのオーガニックアーモンドケーキを焼いたり、大量のハーブを吸ったりします。



 夏の間、タカカとコリングウッドの町は若いドイツ人観光客であふれかえります。

 彼らは最終的に、かつてザ・ギャザリングという名で知られていた地元の年越しのフェスティバルに行き着き、夢幻のようなニュージーランドでの時間を楽しみます。


 彼らの中には、そのままこの地に居着いてしまう人もいます。


 観光客はゴールデンベイで歓迎されています。

 彼らは夏に来て、しばらく滞在し、財布を軽くして日焼けを濃くして帰っていきます。

 夏が過ぎてもこの場所に残っているのは屈強な人々だけです。
 
 主に農家と職人、牛やムール貝の飼育をする者、果樹園栽培者、鳥や水彩風景の画家達です。


 冬は寒く厳しく、大きな川が定期的に氾濫します。

 トッド・ブラックアダーによれば、かつて川がひどく氾濫し、牛が下流に流され、その後木の枝に引っかかっているのが発見されたことがあると言います。

 その日、水位は10メートル上昇したと言われています。どの記録にもそれは本当に酷い大洪水であったと記録されています。


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 若い頃、トッド・ブラックアダーはニュージーランド南島の都市クライストチャーチの北に位置するグレンマークという場所の一員でしたが、仕事のために北へ移住し、コリングウッドでプレーしました。

 彼はチームメイトと一緒にテントやキャラバンの周りに出かけていき、手押し車に乗せた豚の抽選販売券を売ったりしていました。

 彼はトゥクルア湾に立ち寄り、両親がキャンプ場を経営していたワイアット・クロケットという子供にチケットを売ったこともありました。

 先週末、クロケットはトッド・ブラックアダー率いるクルセイダーズでラグビーをするため、20回目の南アフリカ訪問を果たしました。

(註:ワイアット・クロケットはAll Blacksとして71Caps.トッドHC時代にクルセイダーズで活躍した選手です)


 彼ら2人はよく似ています。

 物静かで、ストイックで、しばしば批判され、そして揺るぎない信念によって自立した人です。



 選手としてのトッド・ブラックアダーは決してメディア向きの華やかな選手ではありませんでした。

 彼はコリングウッドから生まれ故郷のカンタベリーに戻り、カンタベリー州の代表チームとクルセイダーズの両方をタイトルに導き、その粘り強さと献身的な姿勢で深く賞賛されました。しかし代表への選出は早くはありませんでした。

 彼は代表チームのセカンドチームの選手として3シーズンにわたってプレーしました。

 そして2000年に彼はそのシーズンのAll Blacksのキャプテンを務めることになりましたが、それが彼のAll Blacksとしてのキャリアの最後のシーズンでした。 彼はキャリアを通じて合計12回のテストマッチに出場しました。


 多くの選手と同様に、トッド・ブラックアダーが本当に際立っていたのは、ニュージーランド国内のラグビーとスーパーラグビーにおいてでした。

 彼はカンタベリーで10年間にわたって121試合に出場し、クルセイダーズではさらに71試合に出場しました。

 クルセイダーズの最初のシーズンを最下位で終えた後、1997年に彼はクルセイダーズのキャプテンに任命されました。

 そして1998 年から 2000 年にかけて彼はチームを3連覇に導きましたが、トロフィーリフトと合わせた特別なファンファーレはありませんでした。彼が大袈裟にジェスチャーしたり、カメラに向かって叫ぶようなこともありませんでした。

 彼はただ少しだけ言うべきことを言って、内気そうにフレンドリーな笑顔を見せ、ぎこちなくトロフィーを掲げてチームに戻りました。



 選手達は皆、彼のためにプレーしました。

 そして彼もまた彼らのためにプレーしました。


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 トッド・ブラックアダーは2001年にニュージーランドのラグビー界を離れ、2008年に南島のチームであるタスマンのコーチ職に就いて再びニュージーランドラグビー界に戻りました。

 通常はそのキャリアが軌道に乗り、より上位のチームのHCを務めるまでには何年もかかりますが、彼はすでに準備ができているようでした。

 彼がクルセイダーズの仕事に招かれると同時にそれまでHCを務めていたロビー・ディーンズの時代が終わりに近づいていました。そして後継者としてトッド・ブラックアダーがその仕事に適任であると判断されました。


 すべてがスーパーラグビー史上最も成功したチームがそれからも継続的に成功を収めていくであろうことを示していました。



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 しかしHC就任から8シーズンが経った今も、クルセイダーズは新たなタイトル獲得を待っています。
 
 彼らはあと一歩のところまで来ており、プレーオフ進出を逃したのは2015年の1度だけですが、ファンにとっても、チームにとっても、コーチにとっても、それだけで十分だとは決して感じていませんでした。


 トッド・ブラックアダーはあまりに保守的であることとファンを興奮させることよりもチームを優先するシステムを取ったことなどで批判にさらされました。
 
 それは興行よりもチームパフォーマンスを優先したものだったからです。


 サポーターは長い間、彼が起用できる選手の質を考慮した時に、なぜ彼がチームを優勝に導くことができなかったのか疑問に思っていました。

 当時のクルセイダーズが、コーリー・フリン、クロケット、アンディ・エリス、ダン・カーター、キーラン・リード、サム・ホワイトロック、リッチー・マコウらを擁するチームであったことを思うと、それらはおそらく当然の疑問と言えるでしょう。


 一部にはトッド・ ブラックアダーがクルセイダーズよりもAll Blacksを優先しようとしたチーム内の考えに強く抗ったという説もあります。

 チームの中に別のチームが存在しようとするメンタリティは、トッド・ブラックアダーのようなコーチにとっては忌まわしいものです。

 彼は、選手達よりもAll Blacksを優先しなければならないことを理解していましたが、同時に特定の選手を外せばクルセイダーズの他の選手が苦しむことも分かっていたので、選考の決断に苦悩しました。

 結局、彼は戦略よりもクルセイダーズの文化を優先しました。それは賞賛されるべきでしたが、賞賛されることはめったにありませんでした。


 またもう 1 つのポイントとしては、その対象となったスター選手達の多くが、トッド・ブラックアダーが常に自由に起用できるわけではなかったということです。

 All Blacksの多くはスーパーラグビーへのレイトリターンパス(チームへの合流を遅らせられる権利などの優遇措置)を与えられていましたが、当時のAll Blacksにとって価値が非常に高かった選手もいたため、故障の予防策として定期的な休養を取ることになっていました。
 そして彼らの代わりに他の選手が痛みを伴って、プレーする必要がありました。

 トッド・ブラックアダーはこうした不満をひそかに抱えていました。


 そう、トッド・ブラックアダーは1つの罪を犯しました。

 それは、たとえ個人の才能がゲームそのものを超越するくらい素晴らしかったとしても、その選手の起用をチーム以上に優先すべきではないという信念を持ち続けることです。

 それは一つの信念ではありますが、現代のスポーツにとっては珍しいものと言えます。



 そして現在、クルセイダーズにとってもタイトルは待ち望むものになりました。

 2011 年には、クライストチャーチが悲劇的な地震に見舞われ、チームはなんとか世界中を転戦しブリスベンでの決勝戦まで勝ち進みました。

 彼らはその試合に勝つべきでした。

 その試合の転機となったのは、クルセイダーズのスクラムがゴールライン上でレッズを破った後、リッチー・マコウがトライを狙うのではなくショットを選択したときでした。

 それはあまりに保守的なプレーであり、まったくの期待外れでした。

 レッズはその後反撃し、湿気の多いクイーンズランド州の夜に勝利を収めました。



 また2014年の決勝戦ではクルセイダーズがワラターズと試合をリードし、クレイグ・ジュベールが試合終了間際にマコウにペナルティを与え、バーナード・フォーリーが逆転のPGを蹴りました。

 それはトッド・ブラックアダーにとって大きな痛手でした。

 その時、彼の元アシスタントコーチのダリル・ギブソンはワラターズのコーチングボックスにいました。

 ギブソンはトッド・ブラックアダーの決定によりクルセイダーズのスタッフから解雇されたことを恨んでいると言われていました。

 その日、ギブソンはリベンジを楽しみました。




 クルセイダーズHCとしての任期最後の2週間、彼は選手達がハリケーンズとライオンズに打ち砕かれるのを座して見守ることを余儀なくされました。

 おそらくこの2週間は、彼がクルセイダーズで過ごした中で最も厳しい2週間でした。

 それはグランドファイナルで2敗した後の数週間よりもさらに厳しいものでした。

 過去の決勝戦の後は、彼は態勢を立て直して、別の日のために戦うことができたでしょう。

 しかし今回は次を考える必要はなく、新たなシーズンに向けて準備する必要もありません。



 これで彼のクルセイダーズでのキャリアは完全に終わりました。

 トッド・ブラックアダーは多くのことで非難される可能性がありますが、言い訳や泣き言を言うのは決して彼のスタイルではありません。

 彼はただじっと耐えるのでしょう。



 トッド・ブラックアダーのクルセイダーズHCとしての任期は失敗だったと非難する人もいるでしょう。

 彼が過去8年間で最も一貫してスーパーラグビーのコーチとして成功を収めてきたと言っても過言ではないのですが、クルセイダーズの中には長い間彼の更迭を要求する人たちがいました。

 トッド・ブラックアダーの任期中のタイトル獲得の失敗により、クルセイダーズが自分たちの地域の外から新たな指導者を招聘して、新しいアイデアを取り入れる必要があると主張する人もいるでしょう。

 しかしトッド・ブラックアダーの元チームメイトであるスコット・ロバートソンが2017年シーズンにHC職に就く予定であることを考えると、それがすぐに起こるわけではありません。



 心優しい人々は、地域への忠誠の意味が以前よりはるかに薄れている現代の変化に直面して、トッドがクルセイダーズの核となる価値観を維持するために最善を尽くしたと言うでしょう。


 十字軍(クルセイダーズ)はいつでも馬車の周りを回っていました。

 それはトッド・ブラックアダーの下でもあまり変わっていません。

 彼のコーチングを見たり、彼がシーズンごとに持ち出すテーマの話を聞いたりすると、彼が行うすべてのことは最初から最高の場所、つまり彼の本心から発せられたものであることがわかります。



 もしかしたらこういうことなのかも知れません。

 トッド・ブラックアダーがクルセイダーズを指揮した時期は非常に良かったのですが、それは決して特別なものではありませんでした。
 
 それは良くも悪くも、彼が選手として記憶されている通りのものと言えます。




 トッド・ブラックアダーはかつて、選手たちが意欲と努力を示していればそれで十分だと語りました。

 もし彼らがこれら 2 つのことのどちらかを示さなければ、彼らはクルセイダーズではありません。

 そうです、今もトッド・ブラックアダーはCrusader Manです。


 この世の最良のものの一つ。



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 いつか夏に、あなたがもしニュージーランド南島の北端の舗装された道の終わりまで来たら、そこを左に曲がって、焼けるような田舎を曲がりくねって行くと、ベイナムにあるラングフォードの店に辿り着くことができます。



 しばらく座ってお茶を飲みながら待っていると、夏の暑さの中で汗をかきながら、ひょろひょろの銀髪の孤独な男がジョギングをしていて、あなたの前を通り過ぎるのが見えるかもしれません。


それはきっとトッド・ブラックアダーでしょう。


ゴールデン・ベイ、彼の場所に向かって走って帰る途中です。


彼の陽のあたる場所へ。


(了)

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