牙、拳、自由 2023/07/31

FF比。フォロー、フォロワー、その比率。「フォロワー数÷フォロー数」で算出され、FF比が高いほど人気のアカウントと見られがち。

SNSの人間はこの指標に囚われすぎている。FF比とかいう邪悪な悪魔が、君たちのアメリカン・インターネットへの足枷になっている。

直ちにこの腐った思想を捨てろ。

フォロワー数が多いほど人気なアカウントなのはまぁ分かる。けど、フォロー数は全く関係ないだろ。「フォロー数が多いとスパム認定される可能性がある」…とかぼやいてるサイトがあったけど、そんなわけがない。社会的なネットワークを築くためのサービスであるS.N.S.に、他人との関わりを阻むような障壁はあってはならない。

なんなら俺も算出してやろうか、FF比。えーと、フォロワー数÷フォロー数0÷4で…0だわ。0に何を割っても0。

0って、何?超弩級の底辺じゃん。違うだろ。俺の質はそんなもんじゃない。世間は俺の本質に未だ気づいていない。褒められれば更に伸びます。磨かれれば更に更に輝きます。


つい最近、ありとあらゆる曲の歌詞を投稿している人間をnoteで見つけた。何を基準に選曲しているのかは分からない。ただ、様々な曲の歌詞をそのまま載っけた記事を量産している。

このアカウントがなんとびっくり、100フォロワー前後。最初、見た時は酷く落ち込んだ。俺はこんなに大事な時間を削って文章を作ってるのに。もちろん、他人と自分を比較するのは精神衛生上あまり良くないし、人やアカウントはフォロワーなんてちゃちな基準で判断されるべきではない。けど、俺はそんな歌詞量産人間にnoteの地位で負けている。ほんと最悪。

しかし、この垢を認知した瞬間、いつか見たYouTubeのコメントが頭に浮かんだ。

滝沢ガレソ氏への批評。コメントはうろ覚えだけど、概ねの趣旨。

「滝沢ガレソは有名人の情報に興味を持っている人がフォローしているのであって、彼自身の発言には全く意味がない」

これを見たとき、めちゃくちゃ腑に落ちた。発信者ではなく情報に需要がある。

これを歌詞人間に当てはめると、歌詞には需要がある。発信者には需要がない。落ち込んでいる時は一旦他人の評価を下げておくのが常套手段なので、結構安心した。

でも、そう考えると未だフォロワー0の俺って


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