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スプーン曲げをやって人の意識の面白さに出会う

とあるテレビ番組で、スプーン曲げができるパワースポットというのが紹介されていた。
それはホテルの庭にストーンサークルのように、またはよくある昔の祭事で使われたような巨石が鎮座されたところだった。そこでスプーン曲げをすると、7割ほどの人が成功しているという。

人の意識の使い方に常々興味を持っていた自分は、その場所の映像にヒントがあると感じた。
現代的な人工物が視界に入らないのが重要なのだろう。巨石神話を特に信仰していた時代、まだ金属というものに出会う前の日本でいう縄文時代の人びとのつもりになったらいいのではないかと。

人間は火事場の馬鹿力というものを発揮することがある。自分の想定以上の力を場合によっては無意識に出せるというものだ。
ここからは私の想像だ。
私たちの体は、過去の魚みたいなものからそのもっと前から、様々な進化を経て様々なものを取り込みながら現代の人間になってきた。だから、私たちの体は現代以前の人間の感覚を持っているかもしれないし、もしかしたら人間以前の感覚も持っているかもしれない。持っているけど、今現代は必要ないから使う機会もないから、すっかり忘れられたままになっているだけかもしれない。
それなら、金属に出会う前の人間、金属は固い、という先入観に出会う前の人間の感覚になれたら、スプーンぐらいの太さのもの曲げるなど造作もないわ!という意識になり、体もそれに反応してくれるのではないかと仮説を立てた。

さてそうなれば実験だ。
1度目(一番左)は、とりあえず家にあるスプーンを使った。いつぞやダイソーで買ったものだと思う。長さ14センチほどのティースプーンだ。
やるのは私50歳女性、握力はたぶん片手20キロぐらい。
そのまま力任せでもできなくもないが、ちょっと曲がる程度。
そこから縄文人の気分になる。とはいえ、現代生活で浸み込んでいる感覚はなかなか払しょくできない。
とりあえず、金属は固い曲がらないという先入観を取り除くことに専念する。これもスプーンを見てしまうと金属!という固定観念に縛られてしまうので、なるべく見ないように、そしてテレビを見ながらなど、金属であることから意識をそらしながら曲げ続けること1時間…
どうにかこうにか曲がった。
確かにどうにかこうにかだが、現代人の感覚のままよりも、縄文人モードのほうが曲げやすい気がする、という感覚は得た。

2度目はそれから3日後。
写真真ん中、4本入りで110円の17センチのデザートスプーンをダイソーで買ってきて挑戦。
今回も縄文人気分で、「初めてみるなー、木じゃないし石でもないし。でも枝より細いもんなー」などとつぶやいたりしながらトライしてものの数十秒、あっけなく折れた。
驚いて、もう一本やったが結果は同じ。
縄文人モードを体がとらえやすくなっているのか?

3度目はまたそれから数日後。
写真右、今度は一本110円の19センチのディナースプーン、カレースプーンをこれまたダイソーで買ってきた。
やり方は2度目と同じ。前回より厚めで粘り気の強い素材だが、今回も1本1分とかからず曲げ終わった。

もうそれ以上はやってない。曲げるためにスプーンを買うのも気が引けているし、おそらくマスター出来たのではないかと思う。
人間限度はあるので、力を発揮する上限として、形状といい厚さといい、スプーンが最適なのだろう。円柱の棒とかもできるかもしれないが、形的にやりにくいだろう。
この理論でできるか皆さんにもぜひ試してほしい。

コツをまとめると
①金属を初めて見た人間になりきる
②縄文時代の人々は今より馬鹿力を発揮してたであろうと想像する
③1度め小さめのスプーンでやって少し感覚をつかんだら、2日ぐらい間をおいて体に感覚をなじませた頃に、より丈夫なスプーンでやってみる

自分以外でまだ試していないので、トライした結果を教えていただけたら嬉しいです。

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