異端は認められた途端に先端になる(1)
DE&Iや発達障害支援の第一線で活躍する専門家へのインタビューシリーズ。
今回は、発達障害者向けの学校教育がテーマです。
文科省の平成4年度の調査によると、小・中学校における不登校児童生徒数は29万9千人とされています。この数字が過去最多を記録していることからも既存の学校教育に馴染めない子どもたちが顕在化しつつあることが垣間見られます。
2000年に国内初のインターネットを使った通信制高校を開校。画一的な集団生活を前提とした学校とは一線を画し“群れに背を向ける”ことを標榜した明蓬館高等学校を2009年に立ち上げた日野公三校長に、その教育理念の根底にある思いと活動を通じて考える社会のあり方について、お話を聞きました。
(目次)
1. 障害ではなくスペシャルニーズ
2. 従来型の学校だけが学びの場ではない
3. 企業と学校の浸透圧を下げる
(日野公三氏プロフィール)
リクルート、ケイネット取締役を経て、1999年に株式会社アットマーク・ラーニング設立。東京インターハイスクル―創立を経て、NPO日本ホームスクール支援協議会理事長、明蓬館高等学校理事長兼校長、アットマーク国際高等学校理事長就任。経済産業省産業構造審議会臨時委員/日本ペンクラブ会員。主な著書に『発達障害の子どもたちの進路と多様な可能性』(WAVE出版)がある。https://www.wave-publishers.co.jp/books/9784866214603/
1.障害ではなくスペシャルニーズ
― インターネットを使った通信制高校の設立運営のための法人「アットマーク・ラーニング」を立ち上げて25周年を迎えられたとのこと、おめでとうございます。「不登校や発達障害のある子どもたちを救う」という志の下、日野先生が新しい教育機会の創出に取り組んできた四半世紀を振り返って、どんなお気持ちですか。
障害への見方を変える必要がまだまだある、ということでしょうか。日本では「ハンディキャップ」という表現が無自覚に使われていますが、欧米ではPeople with Special-needs(特別な注文主)という言い方が最も一般的です。1990年代後半にアメリカの教育現場を視察した際、「障害のある子どもたちは、学びについての特別な注文(スペシャルニーズ)の持ち主だ。彼らのニーズに応えることで、私たちは教育についてより多くのことを学ぶことができる」という教員たちの言葉に感銘を受けました。以来、「障害を持つ生徒にとって良い学校は、そうでない生徒にとっても良い学校である」と信じて学校運営に邁進してきました。
― ご苦労も多かったのではないですか。
学校をつくろうと決意した時から、やるべきことは山のようにあることは覚悟していたのですが、実際に取り組んでみて、こんなに大変なのか、というのが正直な気持ちです。たとえば、「白川市美川特区アットマーク国際高等学校」を2004年開校したときも、資金調達をはじめ、いろいろな苦労がありました。「構造改革特区」制度を使った国内初の株式会社立高校として立ち上げたのですが、この制度は、自民党も霞が関も敵にまわすことを辞さない小泉首相の肝いりでした。株式会社が主体となり、文部科学省管轄下の学校法人よりも自由な学校運営が可能になりました。前例のないことなので、申請手続きもカリキュラム作成も手探りで、何から何まで自分たちで進めなければなりませんでした。先陣を切った我々が成果を出さないと後が続かないと思い、必死で取り組んできました。
学校に行かなくても、どこからでも学べるインターネットを使った通信制高校をはじめてみると、不登校の子どもたちの多くが発達上の課題を持っていることがわかってきました。そこでスペシャルニーズに対応することを主眼においた学校として2009年に明蓬館高校をつくりました。発達障害の悩みを抱える生徒たちと接して気づいたことは、彼らは自分の困っていることを上手く伝えられないということです。声なき声に寄り添うことが必要になります。学校運営の重点も「教育屋」から「福祉屋」にシフトしてきました。試行錯誤しながら、開校から4年後の2013年に、SNEC(スペシャルニーズ・エデュケーション・センター)の第一号を品川に開設しました。SNECでは、発達障害の支援スキルを持った福祉支援員と臨床心理士などの資格を持つ心理相談員が常駐し、教員と多職種連携でチームを組んで子どもたちの支援にあたっています。
チーム担任制を進めるにあたっては、教員の意識改革がチャレンジでした。静かないい子たちを束ねる集団統率力が指導力として評価されるのが教員の世界。荒れたり暴れたりするのを注意して止めさせなければならないという思い込みから、教員が学校の主役として、教えて育てるという方向に行きがちです。でも発達障害を持つ子どもに必要なのは、教育指導ではなく学習の支援伴走なのです。そのためには福祉や心理の専門家との連携が必要なのです。
― 6月に開催された周年記念シンポジウム「次の10年、学校教育は何を目指すのか」で東田直樹さんのお話を直に聞かせて頂き、正直衝撃を受けました。
自閉症のある作家として後に世界的に知られるようになる東田さんがアットマーク国際高校に入学してきたことが、私たちが本格的に特別支援教育にかかわる契機となる出来事でした。中学校卒業まで養護学校で学んだ東田さんは、普通科高校への進学を希望していたのですが、近隣の高校では受験すら認めてもらえず、私たちのところにやってきました。私自身、自閉症の子に間近に接したのが初めてで、見た目の印象と書く文章とのギャップがすごいことに驚きました。日常会話すらままならないように見え、実は哲学的な深い考えがある。障害のある子ができることはこのぐらいだろうと自分が無意識に決めつけてしまっていることを思い知らされました。
― 東田さんも凄いのですが、一緒に付き添っていたお母様が、本人が言わんとすることを淡々と翻訳補足されているのも印象的でした。あくまでも本人の意志を尊重し、先回りしたり急かしたりすることなく、言葉が出てくるまで忍耐強く寄り添っておられる姿に感銘を受けました。
お母様は、東田さんが4歳の時に文字盤ポインティングという機能訓練法に出会いタイピングと発語訓練を始め、東田さんが小学校に入ると、パソコンのキーボード入力で文字を出し、それを発語するという訓練も始めたそうです。東田さんは高学年になると本を出すまでになり、グリム童話賞というのを小学6年生で受賞しました。小学校から続けてきた訓練のおかげで、彼がパソコンやタブレットを使えば私たちの高校で学ぶことは可能と判断し、東田さんから学びの機会を奪ってはならないと、彼の支援と伴走を決意しました。
東田さんが13歳の時に執筆した『自閉症の僕が跳びはねる理由』(エスコアール、角川文庫)は、海外30カ国以上で翻訳され世界的ベストセラーになっています。その後も多数の著書を出し、「Forbes JAPAN」誌が選ぶ「世界を変える30歳未満の30人 30 UNDER 30 JAPAN 2021」に選出されました。
― 東田さん以外にも社会に出て活躍されている生徒さんはいますか。
卒業生の声を紹介しているサイト( https://miraidonate.jp/students/ )を見て頂ければ、さまざまな進路で活躍している生徒たちがいることをご理解頂けると思います。たとえば、中学時代に不登校で昼夜逆転ゲーム三昧の引きこもり生活をしていた加藤さん。明蓬館に入学し品川・御殿山SNECで学習支援を受けている中、「未来の教室」という経産省助成事業として株式会社デジタルハーツが提供したエシカルハッカー養成講座受講を契機にサイバーセキュリティの世界に目覚めました。複数の国家資格を取得し、今は上場企業でサイバーエンジニアとしてバリバリ働いています。IT以外でも、食の分野に進み、おにぎり屋さんで働いている子とか、アーティストとして活動している生徒もいます。
障害のある子どもは能力が劣っていると大人が決めつけてしまいがちですが、ある部分が一般的な平均よりも苦手なだけです。「異端は認められた途端に先端になる」という言い方がありますが、個々の特性に応じた支援のある環境下で得意な部分が認められ才能が開花した事例は少なくありません。まだまだ障害に対する社会の理解が圧倒的に不足していると感じています。
(続く)