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心の安全基地

大学3年生の息子が、
約2週間の帰省を終え、帰っていった。

帰省している間、

飲んだものはそのまま…
使ったティッシュも食べたお皿もテーブルに置きっぱなし…
脱いだ服はひっくり返ったまま床に脱ぎっぱなし…
洗濯物も、洗濯が終わってから出す…
昼になって「何食えばいいの〜?」とLINEがくる…
毎日遊び歩いているのに
「あ〜ねみ〜(眠い)」
とダルそうな態度で、デカい体でソファに横たわる…

散らかし放題で、明らかに私の生活のペースが乱れてしまっていた。

動く度にダルそうにため息をつく息子。
低い周波数に影響され、
こっちもだんだんイライラが溜まってきた。

「ね〜も〜飲んだコップくらい片付けてよ〜!」
「も〜何で今洗濯物出すの〜!?」
「何なのそのため息!やめてよ!」

初めは心の中だけで抑えていた言葉を、
だんだん我慢できなくなってぶつけてしまっていた。

でも、前回のブログで

自分の子育てを否定=息子のネガティブさを否定

という事に気づいてからは、
そんな息子の姿も全く気にならなくなり、

「この子も向こうで一人でいつも頑張ってるんだよなぁ」
「帰ってきた時くらい、甘えさせてあげてもいいのかも」

って思うようになった。


そして息子が帰った後、
ある人から言われた言葉で気づきがあった。


「(飲みっぱなし、食べっぱなしの)〜ぱなしは
母のことしっかり安心基地として愛着ある行動ですね!

この言葉で
すごく胸が苦しくなって涙が溢れてきた。


幼少期、愛着形成がうまくいかなかった私。
私にとって母は、実家は、
安心(安全)基地ではなかった。

おそらく大半の人は
何らかの愛着問題を抱えているだろう。
愛着形成がうまくいかなかったことによって、
情緒や対人関係で問題を抱えている人も多いだろう。


でも私が今回気づいたのは、
母と私との
私と息子との
愛着形成のことではない。

私がこれからの人生で、何を求めているのか

ということ。


【心の安全基地】


私は人に甘えることができず、
自分一人で抱えてしまう。

人の顔色を伺って、
頼ることも、
自分の思いを口にすることもできない。

嫌われたくないから、
大変でもいろんなことを引き受けてしまう。

「誰かのために自分が役に立つのなら…」
それが自分の喜びだと思って、必死で頑張る。


でも、

そこには「安心」「安全」があるのだろうか?


私が望むのは、

心の安全基地。


安心して頼れる人がいて、

助けてくれる人がいて、

寄り添って話を聞いてくれる人がいて、

未来に対する不安も、

嫌われる恐れも、

世間様の目も、

何の心配もいらない、

そんな「安心」「安全」な場所。


そんなコミュニティの中で、
「愛」を感じながら生きていきたい。


自分の望む世界を描いていても、
恐れから何も行動できずに
苦しみながら生きていく人…
周りに期待ばかりして
自分では何も行動しない人…

そんな自分ではいたくない。


「安心」「安全」じゃない環境なら、離れればいい。

「安心」「安全」じゃない人間関係なら、手放せばいい。


そしてそんな環境、人間関係、パートナーシップを自分で創っていけばいい。

愛に溢れた世界


それを想像しただけで胸がいっぱいになる。

みんな自分の手でそれを、

創っていけるんだよ。



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