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今週、目を怪我して、眼科で処置をしてもらっている際
視力が損なわれず、よかった(ホッとした)という想いと共に
20代の頃、ネイチャーガイドへの憧れから参加した
NECさん協賛の養成コース(@KEEP協会)で経験した
特別なワークについて思い出していました

そのワークの名前は
ブラインド・ウォーク
その名の通り、目が見えない状態で、森のなかを歩く
という体験なのですが
だれかとペアになって
目隠ししている人に見せてあげたいものを
視覚と聴覚、以外の感覚に訴えて、伝える
というアクティビティでした

「もし私の目が三日間だけ見えるとしたら」

ヘレン・ケラーの著作の朗読がワークに合せてありました
近年は、没後50年にあわせ(↓別の企業さんによる取り組みですが↓)関連する動画制作も行われ、更なる啓発が進んでいるようです

おなじコースに参加した同期のメンバー何人かとはSNSで繋がってもらっているものの、目隠しした私を案内してくれた彼の名前は忘れてしまったのですが…
ほんとうに、特別な優しさと温かさに触れることができたひとときで
いまでもその時の感覚だけは鮮明に覚えています

草の生えた地面を、目隠しした状態で
怖くないスピードで慎重に手を引いてくれるなかで、少し下って歩いているんだなということが、足先から感じられると
立ち止まり
たしか膝か膝裏を触ってもらい、座るように促されたんだとおもうんです
(視覚・聴覚以外なので、無言で)

その場に、しゃがむと
手を差し出すように導かれ
その手を、少し前方に降ろすと

冷たい水に、触れました

八ヶ岳の麓の 清廉な水が湧きだす泉でしょうか

同期の彼が、じぶんに泉の水を教えてあげようとおもってくれた
その優しさ
全身で感じることができたのを
今でも思い出すことができます


雨がひとしく心を洗い清めてくれる美しい季節

目であるく

その日、1日の大きなテーマは
  目であるく
というものでした

当時は、失われつつある自然について伝えたい、という想いから行動していた私ですが

その当時に受け取ったメッセージには
自然環境をどうする
といったこと以上に
深い意味合いがあったことに、気づかせていただいています

観るために生まれてきた

という縁についての驚きについては、少し前に書きましたが

知る、伝える、分かち合う

ということの豊かさそのもの

尊さ
に触れさせてもらったのだと

いま振り返って感じております

  • 見えているようで、なにも観ていなかったり

  • 自分の心や時間を、2次情報や 副次的な感情で埋めてしまったり


25年以上前とは、比べ物にならないほど情報が錯そうする世の中になったのか
それとも、あくまで
1人1人の心の持ちよう、向き合い方の問題なのか

そのどちらも、なのかもしれません

私自身が、世の中とどのように関わりたいのか
今一度よく考え、受け止めなおす
いい機会をいただきました

自分が授かった命、からだ と
貴重なご縁の数々を

大切に活かしていきたいとおもいます

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