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「人間は世界を観察するために生まれてくる」

昨年、小学校の同級生でカードリーダーの友人から
わたしにとっては衝撃的なことを聞きました
それは「わたしたち人間はこの世界を観察するために生まれてきている」という知見

”え、そんな…”、”自分の人生にお客さん的な向き合い方をするなんて!”
”いろいろあっても、頑張ってなんとかするとか、目的に向かって何かを成し遂げようとするから、人生に意味を見いだせるんじゃないの!?”
という感情が沸き起こりました

わたしは、仏教系の私立中高一貫校で
思春期に仏教や古文漢文を大いに満喫したくちですが、
そのときに触れた ”無為” とか ”諦め” のようにもおもえる世界観だけはホントに苦手で
そのときに似た感覚がよみがえりました

2か月後、職場で中国から来日中のストラテジスト(プライベートでコーチングをしている方)に半年ぶりに会い、最近どう?ってきかれ
”あさの瞑想のあと、その日のテーマを決めるようになった”
と話したうえで
”そういえば…世界を観察するために生まれてきたって最近友人から聞いた”という話をすると
「そうよ、わたしたちはこの世を観察するために生まれてきているのよ」
と慈母のような話し方で、生き生きとした輝く眼差しで微笑み返されました

こんな短期間に2回もきく、ということは
きっと探索する意味があるのだろうと考えていると
観光の哲学
という切り口の本が、何冊か世の中にあることを知りました
きょう紹介するのはその1冊です

自ら損なわなければ、世界が価値を認める(What)

この本は、イタリアのIT企業の御曹司が30代で相続した数億円の資産で
アドリア海に面する南部の山村サント・ステファーノ・ディセッサーニオの空き家ばかりが立つ小さな山村の土地を購入し
映画俳優ジョージ・クルーニーも訪れるような一泊数万円の隠れ家的ホテルが点在する特別な観光地に育てたという話で
土地を購入した本人を含む多数の現地インタビューをもとに書かれています

古代ローマ帝国から6マイル目の見張り台があったことが村の名前の由来
そこで、アルベルゴ(宿)・ディフィーゾ(水平分散した)
というユニークな形で
快適なホテルの部屋で何でも揃ってしまう都会の高級ホテルの真逆をいく
その土地の歴史的な価値を
伝統食材をつかった郷土料理を提供するレストランや工房とつないで
体験してもらう経験を提供する宿泊で
山村の価値を底上げしてみせたというストーリーです

そこには、最初は資産家のバカ息子のように扱われたこと、彼が見出していた価値を実現するために本当の意味で地元の人に納得してもらうには地価が上がる必要があったこと、2度の地震を経た決して平坦ではない道のりであったこと、兄を失ったことで薬物依存の手前で踏みとどまれたから今日があること、イタリア南部はムッソリーニ時代の流刑地で「イタリアの恥部」と表現されるような貧困で子供が衰弱死していくような土地柄であったことから比べると数十年ではなく世紀を超えた歴史をへて天地をひっくり返すような復元ドラマであったこと、が深堀りに深堀りをかさねて描かれます

イタリア南部の悲惨な現代

わたし(自分)の人生を損なわないという意味(Why)

投稿を目にして下さる方に、ひょっとしてこの御曹司のような遺産を受け継がれた方もいらっしゃるかもしれませんが、
ずんの飯尾さんのネタのように”あぁ、お袋がニコール・キッドマンだったらな”というような話がしたいわけではありません^^;

仮にいまは、大金で購入される前のイタリアの貧しい山村のように
労働市場での価値が、けっして高くない
そのような位置にいる場合でも
仲間を増やし、できることを増やし、やることを絞れば(価値を損なうことは絶対にしないというルールを守る)
実績と経験だけは、かならず積みあがりますし

そこに自分にしかないテーマを見出し
さらに特化していくことで
自ずと価値が上がるのではないか
ということを考えずにはいられません

私自身、業界20年で自分でも驚くほど水平のつながりが増えましたが
自分が進みたい方向性(プロジェクト)にあった人脈と
それとは違うニーズを提示してくれる人脈があることに気づきます

自分の価値を損なう、外からの圧力
それは、分かりやすい悪のカタチである場合だけではなく
自分が生活していくうえで、より良い生活をしていくのに助けてくれる装置(客観的にみても価値ある人間関係)
だったりします

外のせいにするのは簡単で、やっかいなのは内側にある自分の決定や思考
そう、ちょうど山村の住民たちが、最初は御曹司とその仲間に対して懐疑的だったように

良い悪い、べき・ネバ思考ではなく
強い感情の向こう側(自分の無意識)にある
正直な価値観、なぜ、自分は○○のように感じてしまうのだろう
という影の部分も、おだやかに観察し
統合的な自分として、一貫性をもって働く道を仲間と手を携えて建設することが
心の時代のいま
求められているのではないでしょうか

日本型アルベルゴ・ディフィーゾに旅してみよう(How)

ここまでお読みいただいた方も、さすがに理論や哲学的なお話はもう沢山
なのではないか、とおもい
最後のHowの部分をとっておきのリストにしました
それは、本書の第10章
「日本型アルベルゴ・ディフィーゾ(p.260-287)」
を、ググってみたので、
下に検索結果のリンクをご紹介します
(リンク許可の状況をふまえ、随時アップデートしてみます~)

ご自身の価値観を観察するのに
日本の伝統的な良さを感じる旅に身を委ねてみてはいかがでしょうか

ちなみに、かならずしも便利と快適さを追求したスタイルの旅ではないことだけ註書いたします(第9章これからの新しい観光、賛否両論のアルベルゴ・ディフィーゾ(P.236~)で、鍵が開かなくなって締め出されて騒いだイタリア人をみて受け入れる旅慣れたドイツ人夫妻の例が紹介され、travelの語源は予期せぬ出来事を享受するという意味だと解説されています)
日本の宿なので、そこまでのトラブルはないと信じますが、不便をちょっとたのしんでエンジョイできたら、人生豊かになりそうですね~

わたしも、先日退院した父を誘って、実家も近い滋賀県あたりに行ってみようとおもっています

みなさんも、いらした感想やお気づきの点がありましたら
コメントなどいただけましたら幸いです
すてきな旅を Bel Viaggio


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