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すべてを大切に出来ない


夫との関係が悪くなった時に
「私はなぜこんなに愛されないんだろうか?」とずっと考えていた

こうなってしまったのも私が原因なのではないか?と自分を責めたりもしたし、実際に夫との数少ない話し合いの中でも「こうさせてしまった私にも責任がある」
と夫に謝った気がする

今思えば、あの時夫は私に謝ったんだろうか?
それよりも「私が悪かった」と言う気持ちだけ覚えているので、おそらく夫は謝ってもないし、今に至っても悪かったなんて思ってもいないだろう

今になって思えば私はどんだけお人好しなんだ!
自責以前の問題だ
こんな私は夫にとっては都合が良かったのだろう
だから常に都合が悪いことは私のせいにして責任から逃げてきた

それにしても、この男がそこまでして守りたいものは何なんだろうかと冷静に考えてみると大したプライドでもなく、ただ目の前のことを日々、流れ作業で生きているのではないか?と感じる

まぁまぁなマザコンだった夫は自分の母親の一周忌を二日酔いで欠席したことがあった
そんな事があるんだろうか?と私はかなり驚いたのだが、当の本人は至って普通で「別に法事に行かなくてもたまに「母ちゃん元気か?」と下から声をかけているから大丈夫だろ」と言い放った

そう言う考え方もあるのかな?とも思ったが、だからと言って事あるごとに義母を思い出している様子もない

私から見れば「死んだら用無し」にしか見えない

よくよく夫を見ていると、自分の大好きだった母親だけではない
仕事で使う車、仕事道具、新築で建てた家から趣味の楽器

とにかく大切に使わないのではないが執着がない
壊れても使えなくなるまでそのままだし「メンテナンスをして大切に使う」と言うことが出来ない、とりあえず目の前にあるから使っている、そして本当に使えなくなる寸前で仕方なく修理に出す、それでもダメなら買い直す。それだけなのだ

もちろん、自分の体もそういう使い方をする
数年前の健康診断で肝臓とコレステロールが見事にHのオンパレードだったのだが放置し、数年後でも同じ結果だったのだがやはり現在も放置している
本人曰く「数字が悪いとはいえ、自覚症状がないから大丈夫」

おそらくこれも使えなくなるギリギリまでやり過ごすのだろう

言っておくが、妻としてちゃんと病院に行くように3回は忠告した。が、それで行かないのは自己責任なので私は妻としてやるべきことはやったと思っている

なんだろうか?
先のことが考えられないんだろうか?
とか色々考えたが、本人も深く考えてないので私が考えても意味がないので時間の無駄だ

そんな彼にとって「人を愛する」「物を愛でる」というのは今世ではちょっと無理難題のようだ
だから私は夫から愛されてないのではないか?とか考えるレベルではなかった

水の出ない蛇口をひねったところで水は出ないのだ

であれば、水が出る蛇口を探すしかないのだ

だから私は自分を責める必要もないし、やることはこの使い捨てしか出来ない夫と早く解散することだ

目の前のものを大切に使えない人は
生きていくのに大切なものの見極めが出来ない
目の前に「ある」ということを実感出来ない
だからいつも「足りない」と思ってしまう

夫を通じて私が大切なことを学ばせてもらっている
それだけはありがたいことだ
解散するまで彼から学べることは学んでおこう

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