第10回:長岡大花火大会

毎年、8月2・3日の夕方から新潟県長岡市にある信濃川の河川敷で行われる花火大会。

この祭はそのものの起源としては1945年8月1日の長岡空襲からの復興を願い、翌1946年8月1日に行われた戦災復興祭が始まりであるが長岡の地で始まった花火大会です。

その後、本格的な花火大会となったのは1906年からであり、現在の「長岡まつり」という名称になったのは1951年。

この長岡花火には『慰霊、平和、復興』の3つが込められています。

大曲・土浦・そして長岡…日本三大花火の1つ「長岡まつり」であり、2015年にはYahoo! JAPANの調査する「有名花火師が選ぶ花火大会厳選10選」で首位を獲得しています。

新潟県内においては同じく中越地方の片貝まつり浅原神社秋季大祭奉納煙火(小千谷市片貝町)とぎおん柏崎まつり海の花火大会(柏崎市)と併せて越後三大花火と呼ばれている。

県内では、その開催場所から「川の長岡」「山の片貝」「海の柏崎」とそれぞれ表現されている。

この長岡花火大会は協賛金や募金によって開催されているが、年を重ねる毎に規模を増しています。

かつては片貝まつりと花火の大きさで競い合っており、一例として1982年に片貝まつりが正三尺玉よりも大きい火薬量120kgの三尺五寸玉を打ち揚げると、翌1983年には長岡花火も追随して三尺五寸玉を打ち上げました。

互いに競い合って花火の規模を大きくしてもきりがなく、多量の火薬を使用する大型花火の開発を制限しようと、当時の通産省による火薬量の規制が始まり、火薬使用量が80kgに制限される事態となりました。

現在は長岡の正三尺玉(近年は昇曲導付き)、片貝の四尺玉というかたちで落ち着いたという。

そのような経緯から実際に使用された火薬量としては、片貝の四尺玉よりも、かつての三尺五寸玉の方が多く、現在の長岡まつりの正三尺玉も片貝の四尺玉も火薬量は同じ。

先述の通りこの長岡花火は日本三大花火のひとつであるが、長岡花火は他の大曲・土浦とは開催趣旨が全く異なり「花火を競う」のではなく、1945年の長岡空襲と平成以降の中越地震・中越大震災など、戦争や自然災害といった慰霊・復興を祈念するためのものとして開催されています。

このことから東日本大震災が発生した2011年、全国では花火大会が相次いで自粛されるなか、「慰霊と復興を祈念する花火であるから自粛する必要は全くない」として、例年通り開催されました。

しかし、2020年は新型コロナウイルスの世界的な感染を受け、長岡花火財団は「共催者である長岡市との協議において、影響が広く及ぶこと等に鑑み長岡市長の最終的な判断を求め、現時点で8月に長岡花火を安全に実施できる具体的な根拠が見いだせない以上、本年度の花火大会は中止せざるを得ないという市長の判断に従うことといたしました」という声明を出し、2020年度の開催中止を発表となった。

長岡花火の開催中止は戦後初めてのことである。

ただし、長岡まつり期間中の2020年8月1日、2日、3日において、「慰霊、復興、平和の花火」、そして、「新型コロナウイルスの終息を祈願する花火」を打ち上げる方針であることを明らかにしている。

翌年の2021年も新型コロナウイルス感染拡大の影響で開催を中止した。

2022年の大花火大会は3年ぶりに新型コロナ禍以前とほぼ同等の規模で開催された。









#長岡花火
#長岡花火大会
#長岡大花火大会
#新潟県
#新潟

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?