見出し画像

四十にして惑わずとは言うけれど


孔子の論語に書き記されている有名な言葉だ。
だが、ところがどっこい。四十を過ぎて幾数年。迷ってばかりである。

二十代は若さ故、怖いもの知らずだった。根拠のない自信。未来は明るい、自分は何にでもなれる、なんでもできると信じていた。

三十代は、結婚、子育てとがむしゃらな日々だった。初めての育児。幼い子供と向き合う毎日が必死だった。

四十を過ぎ、少しずつ子供に手がかからなくなり、自分と向き合う時間が増えた。二十代の頃よりは臆病になり、三十代の頃のような必死さはなくなった。心に余裕がうまれた証拠でもあるのだろう。迷えることは、ひとつの贅沢なのかもしれない。

さて、明日の夕食は何にしようか、お肉が良いか魚がよいか、はたまた惣菜ですまそうか。転職しようかどうしようか、資格取得を目指そうか。今度の休みはどこにいこうか、家でゆっくりしようか、公園で遊ぼうか。

いびきをたてながら布団を占拠している黒猫を撫でながら、今日も私は迷うのである。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?